2020年12月02日

 野村克也さんに学ぶ

 私は自分が独立して研修講師の仕事をスタートする時に社名を何という名称にするかを色々考えたが、最終的にはシンキングマネジメント研究所と称することにした。そして、私が伝える論理的思考による問題解決・意思決定の手法名もシンキング・マネジメント・メソッド(略称TM法)とすることにした。
 そもそも「シンキングマネジメント」という言葉はどこから来たかというと、それは2019年に惜しまれてこの世を去った野球界のレジェンドともいうべき野村克也さん(以下ノムさんと略させていただく)が1969年、34歳で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の監督に就任した時、頭を使った野球をやろうということで「シンキングベースボール」という言葉をキャッチフレーズにしたが、その「シンキングベースボール」という言葉が気に入って、それにあやかった次第である。
 企業幹部にとって人望、豊富な経験、知識、鋭い直観力も必要だが、それ以上に頭を上手に使って正しい判断をする能力が求められており、上手に頭を使って(シンキング)、管理・監督(マネジメント)をするということで、シンキングマネジメント研究所、シンキングマネジメント・メソッドと称した次第である。

 ノムさんは監督を引き受けた時、メジャー仕込みの守備や頭脳プレーで日本人選手を感服させていたブラッシンゲーム氏をヘッドコーチに迎えて、これまでと一味違う頭を使った野球を展開した。ノムさんは南海ホークスの監督を8年間務め、その8年間、監督だけでなくキャッチャーも務め、何と4番打者も務めた。監督を一つ務めるだけでも大変なのに、三つも務めたのだから凄い人だった。奥さんのサッチーさんとの問題があり、南海ホークスの監督を解任された後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズで選手を務め,45歳で現役を引退した。
現役最後の年、1980年のシーズン途中で『敵は我に在り』というタイトルの本を書いている。この本の「はしがき」に当時、西武鉄道の社長であり、西武ライオンズのオーナーである堤 義明さんが「我が野村克也君」と題して一文を書いている。堤 義明さんがこのようなことをするのは最初にして最後だと思うが、いかにノムさんが凄い存在であったかを窺わせる。
 ノムさんは現役を引退した後、野球解説者になり、その後、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を歴任している。「シンキングベースボール」がいつの間にか「ID野球」という名称に変わったが、頭を使って野球をやろうということでは何ら変わりはなかった。
 ノムさんは監督を退いた後、再び野球解説者になった。生涯でトータル150冊をも超える本を書いている。私は全部読んだわけではないが、最初に書かれた『敵は我に在り』は教えられることが沢山あり、この本が一番ためになる本ではないかと勝手に思っている。

私は『敵は我に在り』の中にあったお話のいくつかを問題解決・意思決定力強化の研修の中で、あるいは拙著の中でお断りすることなく勝手に使わせていただいている。
その一つに「WHY NOT」という考えがある。ノムさんは情報を取るのに5W1H以外に「WHY NOT」もあるとしている。「WHY NOT」とは打てた、三振を取れたなどの結果について、なぜ打てなかったのか、なぜ三振が取れなかったのかと裏側からライトを当てて分析することである。
打者であれば打てたと時と打てなかった時を対比する、捕手の立場であれば相手打者に打たれた時と打たれなかった時を対比して考えてみる。そこに必ず違いがある。その違いを活かすと次は期待した結果に繋がる確率は高くなるという考えである。
ノムさんはヤクルトスワローズの古田捕手、阪神タイガースの矢野捕手、楽天イーグルスの嶋捕手等有能な捕手を育てたことに定評があったが、その中の一人、古田捕手があるところで語っていたが、攻守交替でベンチに戻ると、ノムさんに呼ばれて、リードについて質問を受けたという。松井秀樹という強打者にホームランに打たれたとすると、どうして打たれたコースに投げるようなリードしたのかと聞かれる。古田捕手は深く考えずに「何となく」と言うと雷(かみなり)が落ちる。「馬鹿たれ、何となくということはないはずだ、何か根拠があってリードしたはずだ、前回うまくいったので今回もそのコースに投げさせたのではないか、今回と前回ではアウトカウントが違うとか、ランナーの有無とか違いがあったはずだ。それを考えないでピッチャーをリードしてはダメだ」ときついお叱りがあったということである。ノムさんは根拠のあるリードを要求したということである。根拠のあるリードをするには考えなければそれはできない。よって常に考えてプレーしなければならないというのがノムさんの野球であった。
この考えはビジネスにも共通しており、前回は売れたが今回は売れなかった、あるいはある地域は売れているのに他地域では売れていない、ある営業担当は売れているのにそうでない営業担当がいるとすればそこには必ず違いがあり、その違いに気付けばうまく行くはずである。
 
この本には「WHY NOT」以外にもビジネスの世界に共通して使える話がいっぱいある。ノムさんは物事には優先順位があり、上位者はそれを明らかにするべきだと言う。
そして上位者が部下に指示する時、具体的な指示をするべきで、その際、あれもこれも一挙に言うべきでないと、本の中で次のようなことを述べている。
野球に取り組む姿勢として、絶えず状況を考える必要はあるが、色々考えた末、選択するのは一つです。特に首脳陣が考えたことを選手にすべて伝えていては混乱を招くだけです。
ある球団の話ですが、こんな例があります。打撃コーチが打席に入ろうとする選手を呼び止めて、次の様なことを言ったそうです。
「あの投手は調子がいいぞ。気をつけてゆけ。ストレートは走っているし、カーブも切れている。気をつけろ。追い込まれるとフォークボールもあるからな」
これでは、選手がたとえ「ストレートを狙おう」と決めていても、迷ってしまってどうしょうもない。並列列挙は良くないです。また「気をつけろ」あるいは「思い切ってゆけ」では仕方がない。何に気をつけるか、どう思い切るか、選手はそれを知りたがっています。

なるほどと納得のいく話である。
私は自分の担当する研修でやらなければならないことが複数ある場合は、あれもこれも同時並行に取り組むのはよくない、どれから先に取り組むか、優先順位を付けてから取り組むべきであると話している。
上位者の立場で、忙しい、忙しいと言っている部下に対しては優先順位を着けて取り組むよう促すことが必要であるし、何かを決めるような場合はいくつかの狙いがあれば、それらの中で何を重視するべきかを明確にすれば部下は迷うことなく決めることができると話しているが、ノムさんの言っていることと一致する。

この本のラストの方で『無依是真人』という言葉が紹介されている。この言葉は仏教の教えの中にあるようで、雨が降っても、差し掛けてくれる傘を期待せず、自分一人の力で切り拓いてこそ真の人であるという意味ということである。
この言葉を私の座右の銘というとオーバーだが、私はこの言葉を常に自分に言い聞かせて生きて来た。
とにかくノムさんの本を読むと、この人がどれだけ幅広く本を読み、多くの人と交流し、そこから学んで来たかということがよく分かる。
プロ野球人でこれだけ博識の人はいないのではないかと思う。
プロ野球セ・パ合わせて12球団あるが、ノムさんの薫陶を受けた人が監督しているチームが5球団か6球団あり、この人の影響力がいかに凄かったかが分かる。
もう少し頑張って生きていて欲しかったと思うが、書かれた本が残っているので、ぜひ読まれることをお勧めしたい。
posted by 今井繁之 at 16:44| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

教え過ぎない方がいい



 私達は仕事に慣れていない時期は上司や先輩から仕事の要領について教えられることが多い。ただ、細部まですべて教えてもらうことが良いかと言うと必ずしもそうではない。
 全てを教えてもらうと自分で考えようとしないことになりかねない。
自分で考えようとしないと成長しないと言われるが、その辺りを具体的事例を挙げて説明する。
 
 プロ野球の世界の話で恐縮だが、次のような話がある。
 プロ野球西武ライオンズ傘下のライオンズアカデミーで子供たちに野球の指導をしている石井丈裕さんは沢村賞も受賞した素晴らしい実績を残した選手だが、現役を引退後、西武ライオンズのピッチングコーチを経て現在の仕事に就いている。
 その石井さんがあるところで、「コーチは教え過ぎないのがいい」と言って次のようなことを語っている。
 私はある程度、プロで実績を残させていただいたので、その技術を子供たちに教えたいという気持ちで最初は始めたのですが、そういう思 いが強すぎても、子供たちはただ聞いているだけになってしまう。自分はこと細かく教えることで子供の成長を促しているように感じていたが、実は子供の成長を邪魔していることに気付きました。過保護・過干渉になり過ぎ、子供たちの創造力を奪い、考えることの妨げをしてしまっている。
これではいけないということで、子供たちに考えさせる指導をすることにしました。
そうしたのは自分には次のような体験があったからです。
プロの世界に入ってコーチから色々と指導されて、コーチに言われた通りやりましたが、言われたことをやるのは大切だけれど、ある程度までいったら、自分で考えないとレベルは上がっていかないことに気付きました。教えられたものは、一応はできる。
しかし、どうしてそうするのかを考えないでやっていると身に付かないことが分かって来た。自分で色々考えてやったことは身に付き、そういったものはいつまでも忘れないということに気付いたからです。

 確かに石井さんの言われる通りだと私も思った。
石井さんと同じようなことを先年、亡くなった野球界のレジェンドのノムさんこと野村克也さんは1980年にお書きになった『敵は我に在り』という著書の中で、監督・コーチから教えられるより多少時間はかかっても自分の頭で考えることが大事であると述べている。
 野村さんはバッティングについては打撃の神様と言われた故川上哲治さんに影響を受けたと言う。
 1955年、大阪球場でオールスターゲームが行われた時、憧れの川上さんが打撃練習をしていたのでネット裏から食い入るようにして見た。そこで不思議な光景に出会った。
レベルスイングの元祖と言われていた川上さんが、前屈みになって体の右側のところで、まるでゴルフスイングのような素振りを繰り返していた。頭の中にいくつもの疑問が沸き、何故だろう、どうしてだろうとその後、1週間考えた。実際に川上さんの真似をしてそのスイングを試した。川上さんがなぜそのようなスイングをするのかが分からなかったが、そのスイングを繰り返していたある日、「あっ」と気が付いた。このスイングをしていると体重が右側から左側にスムーズに移動する。このスイングで体重の移動を体に覚えさせているのだということに気付かされた。自分も体重の移動がスムーズに行かなくて悩んでいたが、川上さんの真似をしていたら上手く行くようになり悩みが解消できた。
 もし、川上さんに質問したらすぐ教えてもらえたかもしれないが、それでは身に付かない。
 自分で考えたので時間はかかったが、でもそのお陰で自分のものにすることができた。
そうやって覚えれば、確実に自分のものになり、それは決して忘れないものである。

 野球の世界の話の連続で恐縮だが、2019年のNHKのスポーツ番組だったと思うが、三冠王を3回も受賞した打撃の名人であり、名監督でもあった落合博満さんが野村さんと同じようなことを語っていた。その番組の中で、2018年、2019年と2年連続パ・リーグのホームラン王になった西武ライオンズの山川穂高選手と対談していたが、山川選手が「自分は××部の球を打つのを苦手としているが、そのコースを打つにはどうしたらよいですか?」と聞くと、落合さんは「そんなことは分からないよ。それは自分で考えなければダメだよ。だって俺とお前とでは体が違うんだから」と言われた。山川選手はどうして教えてくれないのだろうという不満顔?をしていた。この場面を見た方の中には落合さんは不親切だなぁと思われた人もいるかと思うが、前述の野村さんの話と重ね合わせて考えていただくと納得できるかと思う。
 教えてもらったものはすぐ忘れるかもしれないが、自分で考えて得たものは真の力となり長続きする。やはり一流に達した人は共通した考えを持っていると感じた。
 ただ、落合さんに教えを乞うた山川選手の2020年度の打撃成績は本塁打24本、打率は2割5厘と前年,前々年と比して著しく低下した。考え過ぎたのかもしれない。

 私の好きな野球の世界の指導者の話に終始して申し訳ないが、ここで紹介した事柄はどのような世界でも共通することであり、指導者は教え過ぎないことが肝要であり、基本的なことは指導しても、部下の成長を願って、その先は本人に考えさせるように仕向けてこそ、有能な部下が育つかと思う。

posted by 今井繁之 at 16:34| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年09月16日

言葉は使いよう


物は使い方ひとつで、役に立ったり、立たなかったりすることがある。それを「物は使いよう」と言うが、似たようなことであるが、言葉も使い方次第で、相手を喜ばせたり、不快にさせたりすることがあるので、私は「言葉は使いよう」ともいえるのではないかと思う。
「言葉は使いよう」の一例をあげると、テレビ朝日に「じゅん散歩」という番組があるが、この番組は俳優の高田純次さんが、色々なところに出かけて、そこでお会いした人と楽しいおしゃべりをするというものだが、高田さんはお会いする女性に年齢を問わず、「お嬢さん」とか「女子大生」とか言って近寄る。そう呼ばれた女性、それも相当なご年配の女性もいるが、その言葉にほとんどの方は怒らない。高田さんが調子のいいことを言う人であることを皆さん承知しているからだとも思うが、怒るどころか、むしろ嬉しそうな表情を浮かべて近寄って来て握手を求める。厳密にいえば高田さんは嘘をついていると言えるが、そのことで誰かにご迷惑をかけているわけではないから、目くじらを立てる必要はない。
少し前であるが、サザンオールスターズのリーダーの桑田佳祐さんが作詞・作曲した「C調言葉にご用心」という唄があったが、「C調」というのは、調子がいい→調C→C調と変化したものだということだが、人に迷惑をかけていなければC調も悪くないと思う。
世の中には嘘をついているのか、巧みな言葉遣いをしているのか、その境界線を引くのは難しい場合もあるが、周りの人にご迷惑をかけていなければ、高田さんのようなC調な言葉遣いは許されるかと思う。

高田さんには敵わないが、私自身がC調といえばC調な対応をしたことがある。数年前、私が中学生生活の大部分を過ごした長崎市の西浦上中学校の同級会に参加した時の話である。その時は中学校を卒業してほぼ50年近くが過ぎており、私にとっては久しぶりの同級会であった。  50年も過ぎると、この人は一体誰であったか分からず、名乗りがあってようやく分る同級生が多かった。私が男性のせいということもあるが、女性は特に分からない。
 一人の女性が親しく近寄って来た。Aさんという女性ではないかという気がした。Aさんはクラスのマドンナ的な存在であり、中学生の時の面影は十分残っている。彼女が「私はAです。今井さんは若い時と全然変わらないわね。私はすぐ分かりました」と嬉しいことを言ってくれる。
 私は「それはどうもありがとう」とお礼を言った。すると、彼女は「私も昔と変わらないでしょう」と言う。すぐ、「うん、そうだね」と言わなければいけないと思ったが、「昔と変わらない」と即座に言うのは苦しかったが、でも思い切って「Aさんも昔と変わらないよ。すぐ分かったよ」と言ったら、彼女は「皆さんにそう言われるのよ」と大変嬉しそうな表情を浮かべて言う。
 厳密にいえば結構な変貌を遂げているが、あえてそれを言う必要はなく、本人が昔と変わらないと思い込んでいるのだから、誰かに迷惑をかけるわけではないから、このような言葉の使いようは気の利いた対応ということで許されるのではないかと思う。

 もう一つ、多少ニュアンスは異なるが、気の利いたというか、巧みな言葉遣いで相手を傷つけない人の例を紹介する。
 皆さんの中には、一度はお会いしたものの、しばらくご無沙汰していたので、再度お会いした時に相手のお名前が出てこなくて困ったということがあるかと思う。
 そのような時、「あなたはどこのどなたでしたか?」とストレートに聞くのはいささか失礼になる。
 でもそのような時、巧みな言葉遣いで相手の名前を聞き出す人の話を聞いたことがある。その方は元総理大臣をされていた故田中角栄さん(以下角栄さんと略す)である。
 角栄さんは人の名前とプロフィールを頭に入れることにかけては定評のある人だったが、その角栄さんといえども面会者の名前がどうしても思い出せない時があった。そのような時、角栄さんは慌てず、騒がず、相手に「君、名前は?」と聞く。聞かれた相手が「鈴木です」と名乗ると「 鈴木は知っとるよ。下の方の名前だ!」と怒ったような調子で言う。
 すると「失礼しました。鈴木一郎です」と相手が言うと、「ああ、そうだった。鈴木一郎君だ。久しぶりだなぁ」と言って握手を求めたということである。
 このやりとりだと、相手は自分の名前(姓)は覚えていてくれたと思って満足する。角栄さんは嘘をついたかといえば、厳密にいえば嘘をついているが、相手には気付かれていないし、相手を傷つけたわけではないから、気の利いた言葉遣いということで許されることだと思う。

 調子のいい、C調なのは決して褒められることではないかもしれないが、相手を傷つけるとか、不快にさせるということがなく、人間関係をよくするのであれば、ここで紹介したような言葉の使いようは気が利いているということで許されると思う。


posted by 今井繁之 at 12:30| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする