2018年06月19日

「リスク分析」と「危機管理」

 私は日頃、研修を通じて、「リスク分析」の考え方を紹介している。
 私の紹介する「リスク分析」はあらかじめ発生するかもしれないリスクを想定し、それを発生させないためにはどうしたらよいか(予防対策)、万が一、そのリスクが発生した時はその悪影響を最小に抑えるのにするにはどうしたらよいか(発生時対策)を事前に検討し、準備しておくというものである。
 事前に注意深く考察した結果、予見できるリスクに対しては、周到なリスク対策を講じておけば発生確率を抑制できるし、また発生したとしても最悪の事態になることを避けることができる。
 そうはいっても、時々私たちは一見、予見できないような事故や事件に遭遇することがある。
 2011年3月11日、東日本を襲った大地震と大津波は正しくそれで、この事故は色々なことを考えさせられた。
 日本は地震国と言われており、私もそうだが一般の人でも多少の大きさの地震が発生することは想定できたと思うが、東北から関東にかけてのこれだけ広範囲な大地震の発生と太平洋岸を中心とした巨大な大津波の襲来まで想定できた人は少ないかと思う。
 起きてから「自分はこのようなことが相当な確率で起こり得ると警鐘を鳴らしていた」と言われる識者がいたが、その識者も震度はともかくこれほどの巨大な津波になるとは思わなかったことだろう。
 科学技術の粋を集めたら、今回のような大地震や大津波の発生はある程度予見はできるかもしれないが、その発生を阻止する、あるいは発生確率を抑える効果的な予防対策はないといってよい。
 事故が起きないのが一番好ましいことなので、起こさせないことは大切だが、天災地変のように起こるのを阻止できない事柄については、万が一起きてしまった時にどう対応するかを事前に考えておくことが大切である。
 どれだけ素晴らしい守備力を持っている内野手でも万が一ということがあるので、内野手が球を取れなかった時、外野手が必ずカバーするという体制を整えておくことが必要である。
 起きる確率は非常に少なくても、起きてしまったら手も付けられない惨事になるということであれば、起きてしまった時にどう対応するか、一の矢だけでなく、一の矢が効果がなかったらどうするかという二の矢、三の矢を考えて、備えをしておかなければならない。
 そのような備えをしていなくて、起きてしまってから「今回は想定外であった」といったエクスキューズは許されない。
 想定外というのは思慮が浅い人が言うことで、東日本大震災、特に原発事故は想定外の事故ではなく、想定する努力を怠ったがために起きた事故と言わざるを得ない。
 大地震や大津波の発生を阻止するのは人間の知恵では難しいが、起きてしまった時の影響を最小で抑えることは人間の知恵でできるはずである。

 「リスク分析」はイコール「リスク管理」といえるが、「リスク管理」イコール「危機管理」かというと、いささか違うかもしれない。
 「リスク管理(リスク・マネジメント)」は将来の不安・心配を先取りして、適切な事前対策を講じる、あるいは準備しておき、それらの発生をコントロールし、万が一発生した場合、最悪の事態にならないようなことを考えておくというものである。
 「危機管理(クライシス・マネジメント)」はその文字通り、重大な事故や事件が発生した時にどう対応して、その悪影響を最小に抑えるかというものである。
 「危機管理」には事故や災害を起こさないように事前に対策や計画を立て、それに基づいて行動することも含まれるが、どちらかといえば最悪の災害・事件が実際に起こった後の悪影響を抑えることに重きが置かれているといってよい。
 予見が非常に難しく、発生をコントロールできない重大な事故や事件については「危機管理」が妥当である。

 ではどうしたら適切な「危機管理」ができるか?
予見が非常に難しい重大な事故や事件が発生した際、最初の手の打ち方を間違えると被害がさらに広がってしまうので何を最初にするかが重要である。しかし、長考一番でじっくり考えている時間的余裕はないはずであり、緊急に適切な手を打たなければならない。
 重大な事故や事件が発生した場合、何より求められることは被害を最小に抑えることであろう。事故発生の連絡があった時、起きていることの重大性とこの後の影響の大きさでどう対処するかを決めなければならない。
 予見が難しい出来事、それも重大事故、大事件が発生した場合、それに適切に対処するのに必要な情報がすべてあるということはまず有り得ない。情報がないからといって、か手をこまねいているわけにはいかない。情報の不足の場合には把握できた情報にこれまでの経験・知識及び想像力を働かせて適当に情報を補って、まず対策を立てるべきである。
 そしてこの事態に対してどのような考え方で臨むかという基本方針のいくつかを設定する。最優先するものは何か、それに次いで重視するものは何かという具合に方針を決め、関係者に知らせる。
 
 そういった点で実にお粗末な「危機管理」をして世間の失笑を買った事件が2018年の5月にあった。
 それは日本大学のアメフト部の選手が対戦相手の関西学院大学の司令塔であるクォーターバック(QB)の奥野選手に悪質なタックルをして負傷退場に追い込んだ事件である。
 試合中、無防備状態にある選手に、背後から猛タックルすることは許されないことであり、今回、そのタックルをした宮川泰介という選手もいけないが、それ以上にいけないのはそのようなプレイを指示した日大アメフト部の内田監督及び井上コーチであり、明らかに指示しておきながら「自分達はそのようなことまでやれと言っていない」と責任を回避する言動に非難の声が上がった。
 この二人の指導者の責任回避の弁明に対して、日本大学の再考責任者がその弁明を許容していることにさらに非難の声が広がった。
 私は監督及び井上コーチから猛タックルを命じられたと告白して奥野選手に謝罪している宮川選手の記者会見を見た。宮川選手はどう見ても正直に語っており、タックルそのものは良くないが、ここまで顔をさらして謝るこの学生に好意を持った。
 専門家で構成されるアメフト関東学生連盟の調査でも、タックルをして反省している宮川選手の告白を真実と認め、宮川選手の誤解であったと言い張る内田監督以下の指導者に責任ありと断罪したが、日大の最高責任者は表に出て来ず、学長とか常務理事が登場して、何を言いたいのか分からない会見をして、責任逃れをしている。
 学生スポーツで今回のような悪質な行為は許されるべきではなく、このようなことの発生を告げられた段階で、日大の責任者は起きた事柄の重大性と、この問題を放置しておくと、どのような悪影響が出ることを想像して、至急適切な手段を講じるべきであった。
 今回、日本大学の責任者は自分達の非を率直に認め、関西学院大学及び被害者である奥野選手に即刻謝るべきであった。
 そして、間違った指導をした内田監督以下日大アメフト部の指導者を更迭するべきであった。
 これだけの不祥事を発生させたら、企業であれば最高責任者である社長が出てきて、謝罪の記者会見をするが、日大も最高責任者である田中理事長が記者会見をして、頭を深く下げると共に再発防止策を告げるべきであった。
 「謝罪会見をしたら笑い者になる」というのが、記者会見しない理由だというが、もうすでに十分笑い者になっている。
 現在、就職活動をしている日大の4年生は辛い思いをしているだろうし、来年・再来年の就職活動にも影響があるかもしれない。
 来春の日本大学への入学志望者も激減することだろう。
 すでに社会人となっている日大の卒業生も肩身の狭い思いをしばらくはするだろう。
 なぜあの時、しかるべき手を講じなかったのかと反省してももう遅いかと思う。

 ある程度注意深く考察すれば予見できるリスクには、私の紹介している「リスク分析」の考え方をそのまま使い、予見が難しい、突然起きたような重大な事件・事故については、今回述べた、「危機管理」の考え方で臨めば被害を必要最小限に食い止めることができるのではないかと思う。
 そして、予見が難しい悲惨な事故、事件を体験あるいは見聞したら、それを貴重な教訓として、そのようなことが今後も起こり得ることと考え、二度とそのようなことの起こらないようにする、起きたとしても最小の被害で済ませられるように「リスク分析」を徹底して行うべきであると思う。


posted by 今井繁之 at 12:10| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

選定基準は価格だけではよくない 

 
 先日、テレビのニュースを見ていたら、日本年金機構が年金データの入力業務を委託した東京都内の情報処理会社が、中国の業者に入力業務を再委託して作業をさせていたことが報じられていた。なぜこのようなことが問題になったかというと中国の業者の入力ミスが原因で年金の支給額が本来より少なくなるということが判明、それも相当多くの年金需給者に影響があるということで大騒ぎになった。
 日本年金機構がデータ入力を受託した「SAY企画」という情報処理会社は契約では800人で作業するとしていながら、作業員が百数十人しかいなかったので中国大連にある会社に委託、その会社が決められたシステムを使わずに作業した結果、入力ミスが発生したということである。
 日本年金機構がSAY企画に委託したのも、SAY企画が中国の業者に委託したのも、委託料金が一番安価で引き受けてくれたからだと言う。
 業者の選定に当たって、価格は重要な条件ではあるが、当事者はそれだけで決めたのではないと言われるかもしれないが、価格を最重要視するとこのようなお粗末なことになりかねない。 
年金機構の水島一郎理事長は記者会見で「態勢の整った会社なのか契約前に確認し、監査も強化する」と今後の姿勢について述べている。
「安物買いの銭(ぜに)失い」という教訓があるが、理事長以下関係者はこの教訓を噛みしめていると思う。
理事長が責任を感じて、今回の損失を弁償することはなさそうだから、年金加入者の我々の貴重な資産が無駄遣いされたことになる。

 年金データの入力ミスのトラブルは多少時間を掛ければ回復できるが、これが命に関わるようなことであれば価格だけで物事を決めるのは絶対避けなければいけない。
 少し、以前の話であるが、高層の都営住宅に設置されていたエレベータが不意に動き出して若い人の尊い命を奪ってしまったという事故があった。
 私は事故発生はエレベータ会社に責任があり、裁判で当然、厳しい判決か出ると思っていたら、最近、事故責任は業者には問えないという意外な判決が出てびっくりした。
なぜそのような判決が出たのかよく分からないが、このエレベータは外資系のS社のものであり、そもそもはS社に発注したのがいけなかったのではないかと思う。
S社のエレベータは公共機関に沢山採用されている。なぜ採用されているかといえばS社のエレベータは他社より価格が安いからだという。
 公共機関の高層な建物ではどこの会社のエレベータを採用するかの検討に当たって、複数の業者から相見積もりを取って決めていると思うが、S社のエレベータを採用したところはひょっとしたら最低の機能を満たしていれば後の評価基準は価格だけだったのではないかと思ってしまう。
決してそんなことはない、S社には優れたところが沢山あって決めたのだと言われるかもしれないので、門外漢の私がこれ以上言うのは止めるが、このような人命の関わる施設の選定に当たっては、最低の機能を満たしていたとしても、より安全、安心できる構造になっているか、強度はどうか、メンテナンスはどうか、過去の故障率(事故率)はどうかといった観点から厳正な比較評価をしなければいけない。
 「うまい話には落とし穴がある」とよく言われるが、価格が安いにはそれなりの理由があり、その辺まで考慮して物事を決めないと後悔先に立たずということになってしまう。

 最低の基準さえ満たしていれば後は価格ということで、一番価格の低いところに決めるというワンパターンの決め方は他の業界でもよく見受けられる。
 価格のみでどこに発注するかを決めてしまうということは私が身を置いている研修業界でもある。
 昨年の春、M県の市町村研修センターから見積もりを出してほしいと要請された。この研修センターには5年前から研修を依頼されており、今まで見積もり書の提出を求められたことはなく、何かおかしいなぁと思ったが、見積もり書提出なんて形式的なものだろうと深く考えることなしに前年と同じ金額を記して見積書を提出した。
 ところが、この研修センターから後日、一通の文書が送られてきて、そこには「本年度はお願いしません。お願いするのはW社であり、理由はそこが最低の見積もり価格であったからです」と書かれていた。
 ご丁寧にも、そのW社の見積もり価格が書かれており、私共より相当下回った価格である。価格以外のことは一切書いてない。
 私共の出した見積もり額は民間企業で行う時の3分の1ぐらいの価格であり、私の公共機関のお役に立ちたいという思いからそのような価格を出しており、その価格をはるかに下回る価格を出すとなると受注したW社がいったいどんな研修をやるのかと心配になって来た。W社がどんな会社か分からないし、講師を勤める方がどのようなキャリアの方なのかが分からないので何とも言えないが、ひょっとしたら安かろう、悪かろうという研修ではないかと考えてしまった。
 この研修センターの旧知の担当者に電話して「私はW社は知らないが、そちらではW社の研修内容を確認したのですか」と聞いた。担当者は「今井さんのところとほぼ同じ内容のものをやるという企画書が来ていますので大丈夫だと思います」と言う。「企画書はどのようにでも書けるし、この見積もり価格で私共がやっていたのと同等の研修をやれるかどうか心配です。本当に大丈夫ですか?」と言うと、「多少不確かな部分はありますが、財政状態が厳しい昨今、価格の安さが一番です」と言われてしまった。
 いまさら決定事項を覆すことはできないが、価格の安さだけで委嘱する研修会社を決めるのは、果たしてどんなものか考えざるを得ない。
 研修内容が企画書に書かれているとしても、具体的にどのようなものであるか、教える講師がどの程度のレベルの人か、受講者を引きつける魅力ある人であるかどうかは実際に受講してみなきゃ分からない。
 もちろん、自分達が受講しなくても、すでに導入済みのところがあればそこに確認するという方法はある。
 同研修センターから本年も 「見積書を出してほしい」とお話があり、昨年より少し金額を下げて出したものの、またもや私共は採用されなかった。先方からの通知書には前年同様、研修委託機関の名前と金額が明記されており、それだけを見ると、評価基準は価格だけであると思われる。
 通知文書を見ながら何か空しくなってきて、今後はたとえお誘いがあってもこの研修センターには見積もりを提出するのは止めようと思っている。

 自治体に限らず、業務をアウトソーシングするというスタイルが増えてきているが、委託先の選定に当たる担当者およびその責任者に申し上げたいことは、物事を決める際、価格は重要なファクターだが、価格だけで決めてよいものではなく、多面的、多角度から検討しないと、大きな間違いになるということである。
 価格は大事だが、それと同等、あるいはそれ以上に大事なものはないかを検討した上で、その上でどこにするかを考えた方がベターであり、さらにうまい話には時には落とし穴があることにも注意しなければいけない。
 価格の安さを売り物にするのは家電製品の販売では許されても、すべてについてそういった価格至上主義の考えが適用されると、とんでもないことになるのではないかと危惧する。
そのようなことから、我田引水になって恐縮だが、ぜひ多くの人に私が日頃、研修で伝えている多面的、多角度から考察して最適案を選択するという考え方を学んでいただき、それに沿ってどこがベストかを決めていただきたいものであると思っている。










posted by 今井繁之 at 17:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

「伝えた」から「伝わった」とは限らない     

 
 「伝えた」ということと「伝わった」ということはイコールではない。「伝えた」からといって相手に絶対「伝わった」とはいえない。
 相手がどんな人なのか、どんな思いがあるのかをじっくり見極めて、どのような言葉使いをしたら相手の心に届くか、当方の伝えたい内容を受け止めてもらえるかを十分考えてから伝え始めれば、間違いなく相手にこちらの思いは正しく伝わる。
 そうでないと、肝心なことが伝わらず、無用なトラブルを発生させてしまう。
 相手の理解のレベルに合わせて話せば、相手の心を引きつけることができるが、その逆であると相手の反感を買ってしまうことがあるので要注意である。

 伝えるという点ではこの人の右に出る人はいないと私が思っている人に「ジャパネットたかた」の前社長の高田 明さんがいる。
この人は東洋経済新報社から『伝えることから始めよう』という著書を出しているが、同書で高田さんは「私は何よりも心掛けていることは、上手くではなく、分かりやすく伝えることです」と述べている。さらに「私はラジオ・テレビショッピングでは難しい専門用語を使わないで、できるだけやさしい言葉で話すようにしていました。例えば『カメラのピントを合わせて』」と普通に言ってしまいますが、私はそうは言いません。代わりに『距離を合わせる』と言います。『ズーム』という単語も使わずに『遠くのものを近づかなくても大きく撮影できる』」と説明していました。『コンパクトカメラ』とも言いませんでした。『名刺くらいのサイズのカメラ』と言いました」と述べている。
 このように平易な言葉を使用するのは、伝えたい当の相手を強く意識しているからであると言う。「ジャパネットたかた」のお客様の多くはシニア世代が多いのでその人達に伝わるような言葉を使用するように心掛けているということである。
「ジャパネットたかた」の取り扱い商品が沢山売れる秘訣は高田さんの言葉の使い方にあると思う。

 相手が分かる言葉遣いをすると相手の共感を得ることができると述べたが、話の始めに、相手の心に届くような呼び掛けをすると相手を自分の味方?にすることができる。
 ワールドカップ・アジア予選で日本の出場が決まった2013年6月4日、渋谷の駅前に集まった熱狂するサポーターに警視庁の機動隊広報係に所属する男性隊員がユーモアを交えた呼び掛けをしてサポーターを味方につけた。
 この男性隊員は「皆さん、ワールドカップ出場 おめでとうございます。私達もワールドカップ出場を喜んでいます。こんな良き日に私達は怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いて下さい」と自分達警察官もサポーターの皆さんと同じように喜びを感じているのだと歓喜しているサポーターに共感を示し、仲間であると伝えた。そして「サポーターの皆さんは12番目の選手でもあります。ルールとマナーを守ってフェアプレーで今日の喜びを分かち合いましょう」と呼び掛け、さらに「怖い顔をしたお巡りさんもいますが、皆さんが憎くて怖い顔をしているわけではありません。心ではW杯出場を喜んでいるのです」とユーモアを交えて話した。
 このことによって当日、一人の逮捕者やけが人も出さず、大きなトラブルを起こさなかったことで、この人は「DJポリス」と呼ばれるようになった。
 もし、この時、杓子定規な「こちらは警察です。皆さん、ルールとマナーを守りましょう」というストレートなお願いであったら、興奮しているサポーターに反感を持たれたかもしれない。
 サポーターの皆さんに警察官である自分達は皆さんの敵ではなく味方である、仲間であると思わせる呼び掛けが功を奏したということである。

 声に出して呼び掛ける場合だけでなく、文字にして伝える場合も、相手の心を捕らえるような表現をしないと、相手の心を動かすことができないことがある。ところが相手の琴線に触れるような文字にすると、相手の心を動かすことができる。
 少々以前の話で恐縮だが、ソニーの創業者である故井深大さんが、かつて、あるところで、次のようなことを語っている。
 「自分がソニーの社長をしていた時、最新鋭の設備を備えた厚木工場に世界中から見学者が来て案内したが、一番頭を痛めたのは便所の落書きであった。会社の恥だからと工場長に落書きをなくすよう指示を出し、工場長も落書きをしないようにという通知を徹底して出した。それでも一向になくならなかった。そのうちに「落書きをするな!」という落書きも出て、しょうがないと諦めていた。するとしばらくして、工場長から電話があり、『落書きがなくなりました』と言う。『どうしたんだ?』と聞くと『実はパートで来てもらっている便所掃除のおばちゃんが蒲鉾の板2,3枚に“落書きはしないでください。ここは私たちの神聖な職場です”と書いて、便所に貼ったんです。それでピタッとなくなりました』と言います。私も工場長もリーダーシップは取れませんでした。パートのおばちゃんに負けました。私はリーダーシップは上から下への指導力、統率力だと考えていましたが、それは誤りでした。リーダーシップは影響力だということが分かりました」
 「落書きはしないでください」「落書き厳禁」といった強い調子の呼び掛けより、平易ではあるが、相手の琴線に触れるような呼び掛けをしたので、相手の心にそれが突き刺さり、かたくなであった相手の心を動かしたと言うことである。 

 「伝えた」が「伝わっていない」のと同じようなことだが、「見えるようにした」が、それを関係者が「必ず見てくれる」とは限らない。
見えるようにしたものが非常に重要な伝達事項であった場合、それを見てくれないと、時には、大変なトラブルに発展してしまうことがあるので要注意である。
 見えるようにしたものが非常に重要な事柄であれば、関係者が必ず見るような工夫をすると共に、その後のフォローを不断に行なうべきである。

 NHKの名アナウンサーであった山川静夫さんが以前、次のようなことを新聞で語っています。
  野球の基本は「キャッチボール」である。キャッチボールをことば通りに解釈すれば 「捕球」であ   る。 球を確実に捕ることである。投げる人が主役ではない。捕る人が主役 である。投げる人はいつでも捕 りやすいところへ投球すべきで、捕球を重視するのがキ ャッチボールの本意であると思う。
  放送の仕事に長年たずさわってきた自分が、今ごろになって不安に思うのは、電波を 通じていろいろな 情報を伝えてきたものの、それが視聴者の皆さんにしっかり伝わった かどうか、ということである。「伝 える」と「伝わる」では大違いで、いくら伝えたつ もりでも、相手に伝わらなければ意味がない。こちら の投げた球を捕球してもらえたか どうかが問題である。捕球する相手は気に入らなければジャンプしてま で捕ってくれな い。「捕れない」のでなく「捕らない」のである。たとえ自信のある球でも、相手が捕 ってくれなければ、キャッチボールにはならない。

 山川さんの言われるように、相手の心に届く、相手が当方の意図を正確に受け止めるような伝え方をしなければ何にもならないので、相手に確実に伝わるように心掛けなければならない。
                          
posted by 今井繁之 at 16:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする