2018年04月04日

選定基準は価格だけではよくない 

 
 先日、テレビのニュースを見ていたら、日本年金機構が年金データの入力業務を委託した東京都内の情報処理会社が、中国の業者に入力業務を再委託して作業をさせていたことが報じられていた。なぜこのようなことが問題になったかというと中国の業者の入力ミスが原因で年金の支給額が本来より少なくなるということが判明、それも相当多くの年金需給者に影響があるということで大騒ぎになった。
 日本年金機構がデータ入力を受託した「SAY企画」という情報処理会社は契約では800人で作業するとしていながら、作業員が百数十人しかいなかったので中国大連にある会社に委託、その会社が決められたシステムを使わずに作業した結果、入力ミスが発生したということである。
 日本年金機構がSAY企画に委託したのも、SAY企画が中国の業者に委託したのも、委託料金が一番安価で引き受けてくれたからだと言う。
 業者の選定に当たって、価格は重要な条件ではあるが、当事者はそれだけで決めたのではないと言われるかもしれないが、価格を最重要視するとこのようなお粗末なことになりかねない。 
年金機構の水島一郎理事長は記者会見で「態勢の整った会社なのか契約前に確認し、監査も強化する」と今後の姿勢について述べている。
「安物買いの銭(ぜに)失い」という教訓があるが、理事長以下関係者はこの教訓を噛みしめていると思う。
理事長が責任を感じて、今回の損失を弁償することはなさそうだから、年金加入者の我々の貴重な資産が無駄遣いされたことになる。

 年金データの入力ミスのトラブルは多少時間を掛ければ回復できるが、これが命に関わるようなことであれば価格だけで物事を決めるのは絶対避けなければいけない。
 少し、以前の話であるが、高層の都営住宅に設置されていたエレベータが不意に動き出して若い人の尊い命を奪ってしまったという事故があった。
 私は事故発生はエレベータ会社に責任があり、裁判で当然、厳しい判決か出ると思っていたら、最近、事故責任は業者には問えないという意外な判決が出てびっくりした。
なぜそのような判決が出たのかよく分からないが、このエレベータは外資系のS社のものであり、そもそもはS社に発注したのがいけなかったのではないかと思う。
S社のエレベータは公共機関に沢山採用されている。なぜ採用されているかといえばS社のエレベータは他社より価格が安いからだという。
 公共機関の高層な建物ではどこの会社のエレベータを採用するかの検討に当たって、複数の業者から相見積もりを取って決めていると思うが、S社のエレベータを採用したところはひょっとしたら最低の機能を満たしていれば後の評価基準は価格だけだったのではないかと思ってしまう。
決してそんなことはない、S社には優れたところが沢山あって決めたのだと言われるかもしれないので、門外漢の私がこれ以上言うのは止めるが、このような人命の関わる施設の選定に当たっては、最低の機能を満たしていたとしても、より安全、安心できる構造になっているか、強度はどうか、メンテナンスはどうか、過去の故障率(事故率)はどうかといった観点から厳正な比較評価をしなければいけない。
 「うまい話には落とし穴がある」とよく言われるが、価格が安いにはそれなりの理由があり、その辺まで考慮して物事を決めないと後悔先に立たずということになってしまう。

 最低の基準さえ満たしていれば後は価格ということで、一番価格の低いところに決めるというワンパターンの決め方は他の業界でもよく見受けられる。
 価格のみでどこに発注するかを決めてしまうということは私が身を置いている研修業界でもある。
 昨年の春、M県の市町村研修センターから見積もりを出してほしいと要請された。この研修センターには5年前から研修を依頼されており、今まで見積もり書の提出を求められたことはなく、何かおかしいなぁと思ったが、見積もり書提出なんて形式的なものだろうと深く考えることなしに前年と同じ金額を記して見積書を提出した。
 ところが、この研修センターから後日、一通の文書が送られてきて、そこには「本年度はお願いしません。お願いするのはW社であり、理由はそこが最低の見積もり価格であったからです」と書かれていた。
 ご丁寧にも、そのW社の見積もり価格が書かれており、私共より相当下回った価格である。価格以外のことは一切書いてない。
 私共の出した見積もり額は民間企業で行う時の3分の1ぐらいの価格であり、私の公共機関のお役に立ちたいという思いからそのような価格を出しており、その価格をはるかに下回る価格を出すとなると受注したW社がいったいどんな研修をやるのかと心配になって来た。W社がどんな会社か分からないし、講師を勤める方がどのようなキャリアの方なのかが分からないので何とも言えないが、ひょっとしたら安かろう、悪かろうという研修ではないかと考えてしまった。
 この研修センターの旧知の担当者に電話して「私はW社は知らないが、そちらではW社の研修内容を確認したのですか」と聞いた。担当者は「今井さんのところとほぼ同じ内容のものをやるという企画書が来ていますので大丈夫だと思います」と言う。「企画書はどのようにでも書けるし、この見積もり価格で私共がやっていたのと同等の研修をやれるかどうか心配です。本当に大丈夫ですか?」と言うと、「多少不確かな部分はありますが、財政状態が厳しい昨今、価格の安さが一番です」と言われてしまった。
 いまさら決定事項を覆すことはできないが、価格の安さだけで委嘱する研修会社を決めるのは、果たしてどんなものか考えざるを得ない。
 研修内容が企画書に書かれているとしても、具体的にどのようなものであるか、教える講師がどの程度のレベルの人か、受講者を引きつける魅力ある人であるかどうかは実際に受講してみなきゃ分からない。
 もちろん、自分達が受講しなくても、すでに導入済みのところがあればそこに確認するという方法はある。
 同研修センターから本年も 「見積書を出してほしい」とお話があり、昨年より少し金額を下げて出したものの、またもや私共は採用されなかった。先方からの通知書には前年同様、研修委託機関の名前と金額が明記されており、それだけを見ると、評価基準は価格だけであると思われる。
 通知文書を見ながら何か空しくなってきて、今後はたとえお誘いがあってもこの研修センターには見積もりを提出するのは止めようと思っている。

 自治体に限らず、業務をアウトソーシングするというスタイルが増えてきているが、委託先の選定に当たる担当者およびその責任者に申し上げたいことは、物事を決める際、価格は重要なファクターだが、価格だけで決めてよいものではなく、多面的、多角度から検討しないと、大きな間違いになるということである。
 価格は大事だが、それと同等、あるいはそれ以上に大事なものはないかを検討した上で、その上でどこにするかを考えた方がベターであり、さらにうまい話には時には落とし穴があることにも注意しなければいけない。
 価格の安さを売り物にするのは家電製品の販売では許されても、すべてについてそういった価格至上主義の考えが適用されると、とんでもないことになるのではないかと危惧する。
そのようなことから、我田引水になって恐縮だが、ぜひ多くの人に私が日頃、研修で伝えている多面的、多角度から考察して最適案を選択するという考え方を学んでいただき、それに沿ってどこがベストかを決めていただきたいものであると思っている。










posted by 今井繁之 at 17:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

「伝えた」から「伝わった」とは限らない     

 
 「伝えた」ということと「伝わった」ということはイコールではない。「伝えた」からといって相手に絶対「伝わった」とはいえない。
 相手がどんな人なのか、どんな思いがあるのかをじっくり見極めて、どのような言葉使いをしたら相手の心に届くか、当方の伝えたい内容を受け止めてもらえるかを十分考えてから伝え始めれば、間違いなく相手にこちらの思いは正しく伝わる。
 そうでないと、肝心なことが伝わらず、無用なトラブルを発生させてしまう。
 相手の理解のレベルに合わせて話せば、相手の心を引きつけることができるが、その逆であると相手の反感を買ってしまうことがあるので要注意である。

 伝えるという点ではこの人の右に出る人はいないと私が思っている人に「ジャパネットたかた」の前社長の高田 明さんがいる。
この人は東洋経済新報社から『伝えることから始めよう』という著書を出しているが、同書で高田さんは「私は何よりも心掛けていることは、上手くではなく、分かりやすく伝えることです」と述べている。さらに「私はラジオ・テレビショッピングでは難しい専門用語を使わないで、できるだけやさしい言葉で話すようにしていました。例えば『カメラのピントを合わせて』」と普通に言ってしまいますが、私はそうは言いません。代わりに『距離を合わせる』と言います。『ズーム』という単語も使わずに『遠くのものを近づかなくても大きく撮影できる』」と説明していました。『コンパクトカメラ』とも言いませんでした。『名刺くらいのサイズのカメラ』と言いました」と述べている。
 このように平易な言葉を使用するのは、伝えたい当の相手を強く意識しているからであると言う。「ジャパネットたかた」のお客様の多くはシニア世代が多いのでその人達に伝わるような言葉を使用するように心掛けているということである。
「ジャパネットたかた」の取り扱い商品が沢山売れる秘訣は高田さんの言葉の使い方にあると思う。

 相手が分かる言葉遣いをすると相手の共感を得ることができると述べたが、話の始めに、相手の心に届くような呼び掛けをすると相手を自分の味方?にすることができる。
 ワールドカップ・アジア予選で日本の出場が決まった2013年6月4日、渋谷の駅前に集まった熱狂するサポーターに警視庁の機動隊広報係に所属する男性隊員がユーモアを交えた呼び掛けをしてサポーターを味方につけた。
 この男性隊員は「皆さん、ワールドカップ出場 おめでとうございます。私達もワールドカップ出場を喜んでいます。こんな良き日に私達は怒りたくはありません。私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いて下さい」と自分達警察官もサポーターの皆さんと同じように喜びを感じているのだと歓喜しているサポーターに共感を示し、仲間であると伝えた。そして「サポーターの皆さんは12番目の選手でもあります。ルールとマナーを守ってフェアプレーで今日の喜びを分かち合いましょう」と呼び掛け、さらに「怖い顔をしたお巡りさんもいますが、皆さんが憎くて怖い顔をしているわけではありません。心ではW杯出場を喜んでいるのです」とユーモアを交えて話した。
 このことによって当日、一人の逮捕者やけが人も出さず、大きなトラブルを起こさなかったことで、この人は「DJポリス」と呼ばれるようになった。
 もし、この時、杓子定規な「こちらは警察です。皆さん、ルールとマナーを守りましょう」というストレートなお願いであったら、興奮しているサポーターに反感を持たれたかもしれない。
 サポーターの皆さんに警察官である自分達は皆さんの敵ではなく味方である、仲間であると思わせる呼び掛けが功を奏したということである。

 声に出して呼び掛ける場合だけでなく、文字にして伝える場合も、相手の心を捕らえるような表現をしないと、相手の心を動かすことができないことがある。ところが相手の琴線に触れるような文字にすると、相手の心を動かすことができる。
 少々以前の話で恐縮だが、ソニーの創業者である故井深大さんが、かつて、あるところで、次のようなことを語っている。
 「自分がソニーの社長をしていた時、最新鋭の設備を備えた厚木工場に世界中から見学者が来て案内したが、一番頭を痛めたのは便所の落書きであった。会社の恥だからと工場長に落書きをなくすよう指示を出し、工場長も落書きをしないようにという通知を徹底して出した。それでも一向になくならなかった。そのうちに「落書きをするな!」という落書きも出て、しょうがないと諦めていた。するとしばらくして、工場長から電話があり、『落書きがなくなりました』と言う。『どうしたんだ?』と聞くと『実はパートで来てもらっている便所掃除のおばちゃんが蒲鉾の板2,3枚に“落書きはしないでください。ここは私たちの神聖な職場です”と書いて、便所に貼ったんです。それでピタッとなくなりました』と言います。私も工場長もリーダーシップは取れませんでした。パートのおばちゃんに負けました。私はリーダーシップは上から下への指導力、統率力だと考えていましたが、それは誤りでした。リーダーシップは影響力だということが分かりました」
 「落書きはしないでください」「落書き厳禁」といった強い調子の呼び掛けより、平易ではあるが、相手の琴線に触れるような呼び掛けをしたので、相手の心にそれが突き刺さり、かたくなであった相手の心を動かしたと言うことである。 

 「伝えた」が「伝わっていない」のと同じようなことだが、「見えるようにした」が、それを関係者が「必ず見てくれる」とは限らない。
見えるようにしたものが非常に重要な伝達事項であった場合、それを見てくれないと、時には、大変なトラブルに発展してしまうことがあるので要注意である。
 見えるようにしたものが非常に重要な事柄であれば、関係者が必ず見るような工夫をすると共に、その後のフォローを不断に行なうべきである。

 NHKの名アナウンサーであった山川静夫さんが以前、次のようなことを新聞で語っています。
  野球の基本は「キャッチボール」である。キャッチボールをことば通りに解釈すれば 「捕球」であ   る。 球を確実に捕ることである。投げる人が主役ではない。捕る人が主役 である。投げる人はいつでも捕 りやすいところへ投球すべきで、捕球を重視するのがキ ャッチボールの本意であると思う。
  放送の仕事に長年たずさわってきた自分が、今ごろになって不安に思うのは、電波を 通じていろいろな 情報を伝えてきたものの、それが視聴者の皆さんにしっかり伝わった かどうか、ということである。「伝 える」と「伝わる」では大違いで、いくら伝えたつ もりでも、相手に伝わらなければ意味がない。こちら の投げた球を捕球してもらえたか どうかが問題である。捕球する相手は気に入らなければジャンプしてま で捕ってくれな い。「捕れない」のでなく「捕らない」のである。たとえ自信のある球でも、相手が捕 ってくれなければ、キャッチボールにはならない。

 山川さんの言われるように、相手の心に届く、相手が当方の意図を正確に受け止めるような伝え方をしなければ何にもならないので、相手に確実に伝わるように心掛けなければならない。
                          
posted by 今井繁之 at 16:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年03月02日

 美輪明宏さんの『ヨイトマケの唄』に思う


 2018年1月にNHK BSで『美輪明宏とヨイトマケの唄』というスペシャル番組があり、美輪明宏さんが2012年の紅白歌合戦で歌った場面が再現された。
 この番組では「ヨイトマケの唄」の成り立ちや紅白唄合戦の際の舞台裏が紹介された。
 2012年の紅白歌合戦に出場した美輪さんはこの時、77歳であったという。私は美輪さんのような方は紅白歌合戦に何度も出場していると思っていたが、意外にもこの人はこの時が紅白初出場であったということである。テレビ画面に写し出された美輪さんは普段の長い金髪・艶やかなドレス姿ではなく、短い黒髪、黒い衣装という姿、そしてピンスポットの照明のみという演出で『ヨイトマケの唄』を朗々と歌った。場内に響き渡った美輪さんの歌声に場内の至るところですすり泣きが始まり、インターネット上でテレビ放映中から絶賛と感嘆の声が飛び交ったということである。

 私自身も久し振りに聞いた美輪さんの歌声に涙した。
 久し振りというのは私は以前、ナマで美輪さんの歌声に接したことがあるからである。
 私が美輪さんの『ヨイトマケの唄』を初めて聞いたのは1968年(昭和43年)か、あるいは1969年(昭和44年)である。当時働く人が音楽を観賞する団体として労音という組織があり、私が勤めていた会社はそれに加入していた関係で色々な歌い手の唄を聞いた。当時、美輪明宏さんは「丸山明宏」と名乗っており、当時、丸山さんは「おとこおんな」とか「シスターボーイ」とか言われ、女装する人であることは知っていた。
 私は丸山さんの唄に興味があったわけでなく、丸山さんが私が少年時代を過ごした長崎市の出身ということなので、それに惹かれて聞きに行った。私の席は一番前であった。丸山さんは私の目の前で歌っていた。丸山さんは美しかった。男性に美しいというのはおかしいかもしれないが、男女の垣根を超えて、とにかく美しかった。今の美輪さんと違って実にスリムな体付きで、だけど力強い朗々たる声で歌っていた。最初は「メケメケ」とか「愛の賛歌」といったシャンソン系の唄が多く、私は今一つ唄の世界に没入できなかった。
切りのいいところで帰ろうかな?と失礼なことを考えていたところに何の前触れなしで、「父ちゃんのためなら エンヤコラ」という言葉で始まる『ヨイトマケの唄』を歌い始めた。
 歌っている姿はそれまでのなよなよしたものではなく、大地をしっかり踏み締めて、このか細い体のどこから、こんな力強い声が出てくるのか不思議なくらいの声量で歌い始めた。この『ヨイトマケの唄』を歌っている丸山さんは完全な男性であった。私はその朗々たる歌声に圧倒された。
 特に次に記す後半の歌唱の部分で私は涙を堪えることができなかった。

 何度か僕もグレかけたけど
 やくざな道はふまずにすんだ
 どんなきれいな唄よりも
 どんなきれいな声よりも
 僕をはげまし慰めた
 母ちゃんの唄こそ世界一
 母ちゃんの唄こそ世界一
 今も聞こえるヨイトマケの唄
 今も聞こえるあの子守唄

 父ちゃんのためならエンヤーコラ
 子供のためならエンヤーコラ

 私が泣いたのは私にはこの唄と同じような実体験があったからである。
 私が中学生の時、私の母はこの『ヨイトマケの唄』にあるように、工事現場で荒くれ男たちに混じって「子供のためにならエンヤーコラ」と言って綱を引いていたことがあった。 それを思い出したので自然と涙が流れて来た。確かこの時はお付き合いしていた女性と一緒だったが、彼女は私の涙にびっくりしたようでハンカチを貸してくれた。
 丸山さんの歌声に心は揺さぶられて涙したのは私だけでなく、会場のあちこちで涙をふいている人がいた。
 あれから半世紀近くが経ったが、あの日の丸山さんの姿と歌声はかすかに残っている。
 
BSの放送のあった直前に音楽プロデューサーでもある佐藤 剛さんがお書きになった『美輪明宏とヨイトマケの唄』(文芸春秋)という本を読んだ。
 その本に紹介されていたが、丸山明宏さんがこの唄をマスコミの前で最初に歌ったのは1963年(昭和38年)の12月7日、NHKの「夢で会いましょう」という番組の中であったという。しかし、この時はさほど話題にもならなかったという。私も「夢で会いましょう」は毎回見ていたがこの時のことは私の記憶にはまったくない。
 その後、丸山明宏さんが1965年の3月に東京の日経ホールで小規模のリサイタルを開き、そこでこの『ヨイトマケの唄』を歌い、会場でこの唄を聞いた人の多くが泣いたという評判をNET(現在のテレビ朝日)の木島則夫モーニング・ショーのスタッフが聞き、丸山さんに出演を依頼、4月5日に6分50秒ある唄をノーカットで歌ったという。
 放送直後から放送局にはもう一度聞きたいという要望の電話や手紙が6万通以上あり、4月27日、再び歌ったということである。
 ところが、しばらくしたら、この唄に「働く土方のあの唄が 貧しい土方のあの唄が」という歌詞があるが、この「土方」という単語が差別的であるということでテレビ局やラジオ局が自粛してしまうことになり、放送メディアから姿を消してしまったという。
 「土方」という言葉がなぜ差別的なのか私には分からないが、マスメディアから締め出された丸山明宏さんは私が見た労音の舞台などでこの唄を歌うことになったという。
 私が生でそれも特等席?で見ることができたのはそのお陰である。
         
 この唄は自分を育ててくれた母を恋うる唄であり、幼い日々のことを思い起こし、母に感謝の気持ちを伝える唄であると思う。
 メディアが放送を自粛したのでこの唄は表舞台から姿を消したが、しばらくしたら、丸山さん以外の他の歌手、それも意外と思われる人がこの唄を歌っているのが面白い。
 五木ひろしさんが1974年(昭和49年)にTBSテレビで歌ったということである。五木さんの母親は小さな田畑だけの農業では食べていけないので、男たちに交じって日雇い労働をしていたという。一日も早く母を楽にしたいとスター歌手を目指して苦労した結果、その夢がかなっての初リサイタルの際、母への感謝を込めてこの『ヨイトマケの唄』を歌ったという。そのリサイタルの模様をまとめて放送するに当たって、五木さんの希望でもあったと思うが、TBSの砂田実というディレクターは「放送禁止など何するものか」という気概で番組を作り、『ヨイトマケの唄』を放映したという。
 桑田佳祐さんもこの唄を歌っているということである。
 私は桑田さんは湘南の裕福な家の子供かと思っていたが、そんな恵まれた境遇ではなく、母親と父親は夜の飲食業を営んでおり、親に遊んでもらった記憶がないという。ヨイトマケの唄に描かれている孤独な子どもと外で働く母親の関係が他人事と思えなかったようで、子どもの頃にこの唄を聞いて、なぜか歌えるくらいに曲を覚えていたということである。
 色々な機会にこの唄を思いを込めて歌っており、ソロのベストアルパム『トップ・オブ・ザ・ホップス」にもこの唄が収録されているという。
 五木さん、桑田さん以外にも泉谷しげるさん、槇原敬之さん等10名ぐらいの歌い手が歌っている。

 これだけ多くの人がこの『ヨイトマケの唄』を歌うのはなぜだろうかと考えると、音楽にはまったくの素人の私が思うに、この唄は単に母を恋うる唄ではなく、働く人への応援歌であることが多くの人に支持された理由ではないかと思う。
 母を恋うる歌であれば、川内康範作詞 猪又公章作曲の森進一さんが歌った名曲「おふくろさん」があるが、『ヨイトマケの唄』には額に汗して真面目に働いている人を励ます歌詞があり、その部分が共感を呼んで、多くの人の心を打ったのではないかと思う。
 エンヤコラというほんものの労働歌が入っており、歌詞の中に働く人の姿をストレートに表現した言葉があり、それが働く人の応援歌であると思う所以である。

 姉さんかぶりで泥にまみれて
 日にやけながら汗を流して
 男にまじって綱を引き
 天に向かって声をあげて
 力の限りに唄っていた
 母ちゃんの働くとこを見た
 母ちゃんの働くとこを見た

 そもそも丸山明宏さん、今日の美輪明宏さんがこの唄を作るきっかけは、東京に出て来て、歌手として活躍していたある日、銀座を歩いているとき、偶然に長崎時代の旧友と工事現場で再会、その彼が苦学の末、高校・大学を卒業して今やエンジニアとして立派に活躍しているという話を聞いて、彼が小学校時代に級友に「ヨイトマケの子」と呼ばれ、からかわれたこと、その母親が汚れた格好を恥じることなく授業参観に来たことを思い出してこの歌詞を一気に書き上げたということである。
 この『ヨイトマケの唄』は世の中に受け入れてもらうのに時間を要したという。だが丸山さんがあきらめず歌い続けているうちに、演奏会場で「父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もうひとつおまけに エンヤコラ」という出足の言葉を当初はバカにして聞いていた人達も、私がそうだったように、丸山さんのこの唄にかける真剣な思いが伝わり、次第に真剣なまなざしに変わり、この唄の世界に共鳴していったということである。
この唄が生まれたのが1963年、それから55年が経過しているが、時代は変わっても、この唄を聞いて涙するのは私だけではないと思う。
とにかく美輪明宏さんの歌う『ヨイトマケの唄』は素晴らしい。美輪さんにはいつまでもお元気で、この唄を朗々と歌って欲しいと願っている。それと共に、このようないい唄は時代を超えて受け継がれて欲しいと思う。
              
posted by 今井繁之 at 12:56| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする