2020年03月19日

戸惑わせない名乗りをする

最近はメールで用件を伝えることが増えた。しかし、メールでは好ましくないということで電話で用件を伝える場合も多い。また、メールアドレスが分からなければこれまでと同様、電話で用件を伝えることになる。
用件を伝える際、先ず、自分がどこの誰であるかを相手に伝えるかと思うが、その名乗りがうまくいかないことが時にはある。
以前、作家の故城山三郎さんが書かれた作品「打たれ強く生きる」の中に元内閣総理大臣の故福田赳夫さんからお電話をいただいた時のエピソードが紹介されていた。
福田さんは大変気さくな方だと思うが、ご自宅から家人を通さず、直接、城山さんに電話を入れたようで「福田ですが」と話し始めると、電話に出た城山さんの奥さんにとって聞き覚えのない声だったので「どちらの福田様でしょうか」と聞いた。福田さんは「ソーリの福田です」と名乗ったという。城山さんの奥さんは「ソーリの福田さんというひとからですが・・・」と訝しげな表情で城山さんに受話器を渡した。城山さんはソーリの福田さんとは誰かな?と思いながら受話器を取った。一瞬、内閣総理大臣の福田さんの顔を思い浮かべたが、福田さんとは以前、ある会合でお会いしたことが一度だけあったきりであり、まるで付き合いがない。
いくらなんでも現職の総理大臣から電話があるなどとは思わず電話に出ると、なんと、その総理大臣の福田さんだった。城山さんは「大変失礼いたしました」と謝ったという。
福田さんの用件は、城山さんが「黄金の日々」というタイトルの作品を書くために、堺の古い歴史を調べていることを知り、堺に旧知のお寺さんがあり、そこを紹介しましょうかという電話であったということである。
福田さんは「自分は現在、内閣総理大臣をしている福田です」と名乗ると相手に威圧感を与えるかもしれないと考えて、気を利かしたつもりで「ソーリの福田です」と名乗ったものと思われる。

似たような事例の紹介で恐縮だが次のような話もある。
以前、何かの雑誌に出ていたが、世界のホームラン王の王貞治さん(現福岡ソフトバンクホークス取締役会長)がプロ野球ダイエーホークスの監督をされていた時に、ヤクルトスワローズの投手コーチを辞めて浪人中の尾花高夫さんという方に投手コーチをお願いしようということで電話を直接されたという。
王さんは電話口に出た尾花さんの奥さんに「王と言いますがご主人はおられますか?」と聞いたと言う。奥さんは、どちらの王さんですか?とは聞かないで、ご主人の尾花さんに「あなたに電話です」と言って、受話器を渡したという。王さんは「王ですがお願いがあります」と話し始めたが、尾花さんは警戒?して「どちらの王さんですか?」と聞いたということである。王さんは「これは失礼いたしました。ダイエーホークスで監督をしている王です」と名乗った。名乗られたところで尾花さんは相手が「世界のホームラン王」の王さんということが分かり、「大変失礼いたしました」と平謝りに謝られたということである。
王さんは「王です」と名乗れば、同じ業界(プロ野球界)の人間なので、分かってくれるだろうと考えて、姓だけを名乗ったと思うが、所属とフルネームを語った方がよかったかもしれない。
社会的に地位がある人であっても、どこどこのだれだれとフルに言った方がお互いに助かるかと思う。

ただ、勤務先名あるいは所属先をストレートに名乗った場合、先方が戸惑われる、あるいは不安に思われる場合があるので注意した方がよい。
以前、私のところに開口一番、「こちら京都地検です」と名乗る電話が入った。
私は一瞬、京都で何か悪いことをしたかなぁと思ってしまった。
不安を感じながら、相手の次の言葉に耳を傾けると、「私は大津地検の知り合いから紹介されたのですが、『ホウレンソウ』(報告・連絡・相談)の講演をお願いできないかと思い、お電話を差し上げました」と言われて一安心した。
私は「大津地検」という名前が出たところで、1年ぐらい前に大津地検から『ホウレンソウ』の講演を依頼されて、講演終了後、「大変いい話を聞かせていただきました。近くの地検の知り合いにも紹介したいと思いますのでその節はよろしくお願いします」と言われていたことを思い出した。
  私が「地検」と言われて、一瞬、不安を感じたように、「こちら○○警察です」と言われて不安を感じる人が結構いるかもしれないので、「○○警察です」と名乗るのは止むを得ないが、「○○警察ですが、××の件でお知らせしたいことがあります」という具合に名乗りの後に用件名をすかさず添えると、用件名にもよるが相手の不安はなくなるかと思う。
 緊急事態発生の場合はともかく、通常の連絡の場合は、電話に出た相手の心情にも心を配って、名前、勤務先・所属先、及び用向きを簡潔に伝えれば、相手に要らざる心配をさせなくて、「あの人は気が利く人だ」ということになるかと思う。
posted by 今井繁之 at 13:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

専業主婦から職場の戦力になる


先日、テレビの画面を見るともなしに見ていたら、画面に美しい女性が登場し、大きな会社の役員会議室みたいなところで、役員らしき男性の皆さんを前にして、プレゼンテーションをしている場面に遭遇した。女性は素人ではなく、俳優さんみたいで、テレビドラマの一シーンと思われた。
ドラマの中で、その女性は次のようなことを話していた。
 「私は大学卒業後、貿易会社に就職、結婚・出産のため30歳で家庭に入り、専業主婦として17年間を過ごしました。
 主婦に専念した17年間という期間は、仕事においてはブランクでしたが、だからといって、今、自分の力が仕事で通用しないとはまったく 思っていません。
  主婦としての体験は仕事に活かせることばかりです。言葉の通じない生まれたばかりの子育てでは24時間、365日付き合います。嫌に なっても辞められません。根気強くなります。
  子供が成長すれば遊びばかりで勉強しなくなったり、思春期になれば口を利いてくれなくなったりします。母親は知恵と工夫を絞り出して 対処します。
  PTAでも色々な人がいました。家庭環境、価値観も異なるので意見がぶつかります。お互いを尊重して、一つ一つクリアしていくことで 協調性が身に付きました。
  主婦業で得たものは決して家の中だけでしか通用しないものではありません。
  どうか主婦を社会の中に埋もれたままにしないでください。
  主婦の可能性を見てください。
  主婦の力を、主婦の可能性を信じてください」
 実に素晴らしいプレゼンテーションで、このプレゼンテーションを聞いていた、その会社の社長と思われる方の「面白い話だ! 今の話は次の経営会議にかけよう」という発言で、この場面は終わった。
 私は一体これは何のドラマなのだろうと思った。
 後で分かったことだがこれは4回か5回の連続ドラマで、私の見たのは最終回であった。 ドラマのタイトルは『主婦カツ!』というもので、主人公の女性を演じていたのは鈴木保奈美さんという女優さんだった。
 そして、このドラマは薄井シンシアという女性が自分の体験を書いた「専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと」(KADOKAWA)をベースにして、NHKが製作したものであるということが分かった。
 興味を引かれた私は薄井さんの書かれたその本を書店で求めて読んでみた。
 同書に薄井さんのプロフィールが出ており、薄井さんは1959年、フィリピンの華僑の家に生まれ、結婚した夫は日本人で外交官であった。出産を機に退職、家庭に入ったが、専業主婦として知らず知らずに得ていた経験や能力を活かし、混乱を極めていたバンコクの小学校のカフェテリアを給食のおばちゃんとして活躍、見事に改善して人気のカフェテリアにした。そこで得た自信や確信を胸に、新しい世界に羽ばたいた。そして何と5つ星ラグジュアリーホテルの勤務を経て、現在は日本コカ・コーラの東京2020オリンピックのホスピタリティ担当という要職に就いているとあった。
 同書に書かれていた薄井さんの主張の一部を記すと次のようになる。
 私は主婦であれば皆がやっている毎日の家事・育児を一生懸命やってきました。買い物、料理、洗濯に炊事、そのほか細々とした雑用を並行してこなし、育児においては、小さくて言葉も分からない相手にものごとを理解させ、納得させて来ました。その積み重ねがどれほど実務的な仕事を効率的にこなす能力を育ててくれたか分かりません。
 PTAや地域活動で育まれて来た調整力や忍耐力が仕事を進める上で有効に働きました。 夫や子供に提供してきたホスピタリティが、サービスがより求められる時代にあって大変役立ちました。
 仕事で様々な苦労に遭遇する度に、私が何とか対処しクリアできているのは、専業主婦というキャリアがその能力を育ててくれたからです。家事育児には仕事に生かせるスキルが確実にあります。
 そして、子育て後の五十代専業主婦の強みは、なんといっても豊かな人生経験です。何しろ子供をひとりの大人に育て上げているのです。私自身、子育てに全力投球でした。言ってもきかない娘にものごとの道理をどう理解させればよいのか。あれもしたい、これもしたいという娘の可能性をどう伸ばしていけばよいのか。これがダメならあの方法でと、試行錯誤した日々を思い返すと、その間に成長したのは娘だけでなく、私自身であったことに気付きました。
 どんなスキルが身に付いたか、というような話ではありません。長い主婦の経験で育まれた、よく気がついたり、てきぱきと(周りの人を)助けたり、人付き合いに長けていたり、人の気持ちを察したり、肝がすわっていたりなど、ひっくるめて人間力の成熟というほかない五十代女性の底力は、二十代の若い力とは別種のものです。そして、もし、その力を上手に活用できたなら、職場の生産性向上に相当貢献できるということを私は経験上知っています。
 上記以外の自分の体験から得た話が記述されているが、この本は専業主婦からビジネスの現場にカムバックしようと考えている人はもちろん、企業の人事・採用担当者にぜひ読んでいただきたいと思った。

 私はたまたま私の母校である明治大学から依頼されて再就職を目指す女性のための「スマートキャリア講座」を担当しているが、三十代から 五十代の女性受講生から聞いた、いくつかの話は薄井さんの書いたものとぴったり一致する。
受講生から聞いた話の一つに「私たちの強みは図太さです。子育てを通じて予測不可能なことが連続して起きても、夫はおろおろするばかりですが、私たち母親はどれから、どのようにしたらよいか落ち着いて対処できます。このことは仕事で何か大変なことが起きても、何をしなければならないか、どれから着手したらよいかと冷静に優先順位をつけてことに対処することと共通します」とあった。
 私の妻を見てもそうだが、女性、それも母親体験のある女性は強いと思う。
 もう一つ、「私たちは主婦の目線で商品やサービスを見て来ました。どうしてこんな馬鹿なことをしているのだろうと呆れることが沢山あります。男性が物事を決めているからだと思います。サービス業、金融業、販売業、保育業、教育業といった分野に厳しい目を持つ主婦を雇用して、責任あるポジションに付ければ必ずや期待に応える結果を出すと思います」と言われた。
 これも薄井さんが同書で語っていることと共通している。
 
 2025年には労働人口が583万人不足するということである。
安倍内閣は若い子育て世代が共働きできるように保育園を増やし、男性の育児休暇取得を促進するという政策を進めようとしている。さらに外国人労働者の雇用をより一層拡大することにより、何とか労働力不足に対応しようとしているが、そのようなことで深刻化する一方の労働人口の不足に到底対応できないと思う。
 しかし、日本には一度は就職して、結婚・出産で家庭に入り、専業主婦となった人達がいる。家庭に入ったが、もう一度ビジネスの世界に戻りたいと考えているこの人達を活かさない手はない。
 企業は子育ての終わった主婦の方の受け入れを真剣に考えるべきである。
 再就職を目指そうとしている主婦の皆さんは主婦業を卒業したわけではなく、引き続き家庭の主婦としての仕事はこなさなければならないので、午前9時から午後6時までのフルタイムの勤務は難しいかと思う。できれば午前10時から午後4時まで、時間外勤務なしで働けたら主婦業との両立はできる人は多いだろう。
 時間的な制約があっても受入れ側の工夫次第で何とかなると思う。
 それと薄井さんの本を読んでいただくと分かるが、薄井さんは30歳から47歳までの17年間、専業主婦に全力投球したとあるが、子育てが一段落したら、ビジネス社会にカムバックするということを常に念頭においていたということである。娘さんが大学に入学したところで、本格的にカムバックの準備をして、一歩づつ、キャリアアップのステップを踏んだので、今日のポジションを得たといえる。
 むの たけじさんの言葉に「より高く、より遠く跳躍しようとする者は、それだけ助走距離を長くする」とあるが正しくそのとおりで、それなりの助走は絶対必要である。
 薄井さんと同じようにビジネス社会にブランクのあった主婦は、短期の雇用であればともかく、長期の雇用、それも正規雇用を期待して働こうという方は、それなりの助走というか事前準備をしっかりしてから臨むべきである。
自分の持っている力をブラッシュアップするべく努め、即戦力となれるような訓練を受けてから企業の人事・採用担当者にアピールすれば、再就職に成功し、企業とウイン・ウインの関係を築けると思う。
posted by 今井繁之 at 13:20| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年01月21日

忘れられない一言(ひとこと)


人生を長年過ごしてきてこれまで色々な人にお世話になってきた。その中にはご迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせた人もいる。お叱りをうけたこともあり、貴重なアドバイスの言葉をいただいたこともある。また思いがけない有り難い言葉をいただいて生きる勇気をもらったこともある。
そういった言葉をいただいたお陰で、その後の人生で大きな過ちをしなくてすみ、考えの甘さを反省することができて、少しは大人になることができた。
短い言葉であるが私の脳裏に今でも鮮やかに残っている忘れられない一言(ひとこと)のいくつかを挙げてみる。
一つ目の忘れられない一言は「今井さんにだまされたと思えばあきらめがつく」という言葉である。
この言葉は今から約30年前、当時三重県伊賀上野市でホームセンターを経営していた平井和夫(仮名)さんに言われたものである。
平井さんとは私が研修講師として独立する前、三重県商工労働課が主催した問題解決法(EM法)の研修にご参加いただいたのがきっかけでお付き合いさせてもらうようになった。平井さんには私が研修講師として独立して仕事を始めた時に品川高輪にあった平井さん所有のマンションを事務所として無償で貸していただき、さらに平井さんの会社の顧問ということで数年間、毎月25万円という破格の顧問料をいただいた。私にとっては本当に有り難い友人であり、何かの形でご恩返しをしなければいけないと思っていた。
ある時、私の長年の友人であった京都在住のMさんから「私の知り合いに面白いビジネスを考えている男がいる。Aという名前の男だが一度会ってみないか?」という話があった。Mさんは京大を出て、大手都銀に勤めた後、独立して経営コンサルタントをされている。Mさんにはこれまでもいくつかの顧客を紹介してもらったこともあり、信頼出来る人であった。
Mさんの紹介なら安心ということでA氏に会ってみた。当時NTTの回線を使ってダイヤルQ2という新しいビジネスが流行っており、A氏は「これは絶対儲かる話です。ただビジネスを軌道に乗せるにはお金が数千万必要だが自分にはお金がない。出資してもらえないか」と言う。私だって「そんなお金はない」と言うと、「誰かお金を持っていて、スポンサーになってくれる人はいないですか?」と言う。そこで平井さんを思い出して、平井さんを儲けさせることができるかもしれないと考えて、この話を平井さんにつないだ。
平井さんの住んでいる伊賀上野にA氏と一緒に行き、事業の概要を説明すると、平井さんは「分かった。今井さんの紹介でもあるし、話に乗りましょう」ということでまずは5000万円出資することになった。その後もA氏は何かとお金が必要だということで言われるままに平井さんが出資した金額がなんと2億円に達した。事業は目論見どおり展開せず店仕舞いした方が良さそうだということで清算した結果、1億7000万円の損失が出た。
清算作業が終わった後、平井さんに「私があなたにA氏を紹介したばかりにこのような迷惑をかけることになった。申し訳ないことをした。許してほしい」と頭を下げたところ、平井さんは「今井さん、頭を上げて下さい。大損したが、今井さんにだまされたと思えばあきらめがつきます。あまり気にしないで結構です」と苦笑いを浮かべながら言う。
私がA氏の紹介者であったMさんを信頼していたように平井さんは私を信頼してくれていた。もし、私が紹介者でなかったらこの話には乗らなかっただろう。平井さんはA氏を信頼していたわけではなく、私を信頼していたからこそ多額のお金を出資することになったのである。
「今井さんにだまされたと思えばあきらめがつく」という言葉は、「何であんな男を俺に紹介したのだ」と責められるより、私にとってはつらい言葉だった。ただ、私をこのように信頼してくれる人がいることを大変嬉しく感じた。そして私をここまで信頼してくれていた平井さんに多大な迷惑をかけるような結果になった私の軽はずみな行動を心から反省した。
このことが教訓になって、自分がよく知らない人を紹介する時は十分相手を見極めてから紹介するようになった。それと濡れ手で粟のような話は絶対、友人・知人に紹介することのないようにしようと心掛けて今日まで生きてきた。
平井さんはその後本来の事業で失敗して、伊賀上野を離れて、私とは音信不通となっているがひょっとしたら私の紹介したビジネスの話が何らかの悪影響を与えたのではないかという思いがあり、あれから30数年経った今でも申し訳なく思っている。

二つ目の忘れられない一言は「お金は貸さない。でも、どうしても必要なら上げる」である。
これは埼玉県川口市で独自製品を開発・製造・販売している会社を経営している小山 栄(仮名)さんに私が「お金を用立ててほしい」とお願いした時に言われた一言である。
小山さんとは私が独立する前の昭和61年頃、EM法の公開セミナーの講師を務めた時に知り合い、同郷ということもあり、親しく交際するようになった友人である。
私は自分が始めた会社、シンキングマネジメント研究所を有限会社でスタートさせたが、有限会社より株式会社の方が世間一般の方の印象がよさそうに思えて、株式会社にしようと考えた。当時は株式会社の最低の資本金は1000万円であった。悲しいことに私には600万円しか持ち合わせがなく、そこで小山さんに「不足するお金400万円ほどを出資してもらえないか」と話した時、「出資するといってもお金を貸すようなものだ。友人間でお金の貸し、借りをすると、後で『返せ、返せない』というもめごとに発展して、長年の友情が壊れてしまうことがある。私は友人とは金の貸し借りはしないことにしている。今井さんがどうしても必要ならばお金は用立てる。そのお金は出資ではなく今井さんに上げることにする」と言う。
さらに「今井さんが声をかければ出資してくれる人がいるかと思うが、そういった人は最初は『配当なんて期待していない』と言うが、人には欲があり、配当がなければ必ず文句を言ってくる。だから他人に出資を仰がない方が賢明だと思う。株式会社にすることが本当に得策なのかをもう一度考えた方がいいのではないか。その結果、どうしても株式会社にしたい、しかしお金がないということであればいつでも言ってくれ。400万だったらすぐ振り込む」と言われた。
「分かりました。考えてみます」と言って、その時は別れた。どうしたものか考えていたところ、以前からの友人のOさんと会う機会があり、株式会社化の話をしたら、「ぜひ私に出資させてほしい。配当なんてまったく期待していない。ただ、びっくりするような利益が出て処分に困るようなことになったら配当してくれ」と言われる。
そのようなことで小山さんには相談することなく、Oさんに出資を仰ぎ、株式会社にした。
沢山の利益が出たらよかったが、いつも赤字すれすれの決算であった。
Oさんに配当することはできないまま、数年過ぎた。ある日、Oさんから「出資させておきながらなぜ、無配当なのか、何かおかしなことをしているのではないか」といった意味の抗議の電話が来た。その時、Oさんはどうもお酒を飲まれているようであり、だから本音をさらけ出したのかもしれないが、電話で私を口汚なく罵倒?する。なぜ、ここまでこの人に言われなければならないのかと悔しい思いをした。配当こそしてなかったがそれなりに礼を尽くしてきたつもりだった。しかし、それは私の勝手な思い込みであったようである。
この時になって小山さんの忠告を聞いておけばよかったと心から悔やんだ。その後、Oさんの持ち株は買い取ることにして、全株自分が所有することにしたので、無配当でも誰からも文句を言われることはなくなった。そしてOさんとは絶交することにした。
お金の貸し、借りは長年の友人関係をダメにしてしまうというのは小山さんの言う通りであろう。
小山さんの「今井さんにはお金は貸さない。どうしても必要なら上げる」という言葉は私を信頼してくれているからであり、私のことを真に考えてくれたからであると思う。
決してお金を出し惜しみしたわけではなくて、私がどうしてもと言ったら本当に400万円という大金を振り込んでくれたと思う。
小山さんが私に言いたかったことは研修専門の会社が借金してまで株式会社にする必要はないということであったと思う。それでもどうしてもそうしたかったらお金が溜まったところで、自己資金で株式会社にすればよいのであって何も背伸びをすることはないということであった。
「友情ある説得」というタイトルの映画があったような気がするが、正しく小山さんは私に友情ある説得をしてくれた。
小山さんのアドバイスに耳を傾けなかったために苦い思いを味わった以降は、他人からお金を融通してもらうことは絶対しないようにしてきた。どうしても必要な時は割り切って処理できる銀行から借りるようにしてきたので、その後はお金の貸し借りで友情にひびが入るようなことはまったく起きていない。

三つ目の忘れられない一言は「一緒に仕事ができて幸せでした」という言葉である。
この言葉は私が13年間勤めていた木更津にあったソニーの子会社(現ソニーイーエムエスシー木更津テック)を去ってソニー本社に勤務するようになった際、職場の皆さんが催してくれた送別会の席で私の部下であった東貞夫(仮名)さんが私に言ってくれた言葉である。
部下といったが彼は私にとってかけがいのない仕事上のパートナーであった。私は総務部長を務めていたが、彼には施設管理関係の仕事の責任者をしてもらっていた。
彼は私とまったく同年齢であり、私は全幅の信頼をおいていた。寡黙な男で、必要なこと以外はほとんど喋らず、上司に対してもおもねるような態度をとることは一切しない男であった。
その彼が送別会もそろそろお開きにしようという時間に私の席に来て、私の手を強く握って、「今井さんと一緒に仕事ができて幸せでした。心から感謝しております。本当にありがとうございました」と涙をにじませながら言ってくれる。
「いや、私の方こそ東さんに感謝している。ありがとう」と彼の手を彼以上に強い力で握り返した。
本当に彼がいたから仕事はスムーズに運んだ。どんなことがあっても泣き言を言う男でなかった。
いくつも思い出に残る事柄があるが、そのうちの一つに門扉の製作がある。
「不用心だから門扉を作れ」と鳥山社長の指示があり、その製作を彼に依頼した。
「どこかに発注してよろしいのですか?」
「いや、予算はゼロなんだ。何とかならないか」
「それは無理ですよ」
「無理を言って悪いと思うが、そこを何とか頼む」
「分かりました。何とか考えてみます」
一週間後、見事な門扉ができた。
鳥山社長に呼ばれて「えらい立派な門扉ができているが、いったいいくら掛かったんだ」と言われた。
東さんに確認すると「ゼロです。材料は生産技術部から分けてもらい、それを加工しました。溶接材料は前からのストックがあったのでそれで使いました。でも、これが出来たのはN君のお陰です。すべて彼がやったようなものです」と言う。
N君は東さんの部下であり、いつでも手柄は部下に譲るといういつもの東さんらしい答えがこの時も返ってきた。
鳥山さんに報告すると「お前はいい部下を持って幸せだなぁ」と言われた。
本当に東さんは文句の一つも言わず私の期待に応えて何でも厭わずやってくれた。感謝しても感謝しきれないほどの仕事をこなしてくれた。
私は東さんに感謝の言葉を贈ってもらえるような上司ではなかったことを自分が一番承知している。
私は人を使う立場のマネジャーとしては不向きな男であり、部下に過酷なことを要求するくせにそれに感謝するような労いの言葉をかけることは少なく、私を怨む人はいても私に感謝する人はほとんどいないと自分では思っていた。
私は東さんの手を握りながら「東さんには色々な場面で助けてもらった。それに対して何もしてあげられなかった。ふがいない上司であったことを謝りたい」と話した。
「とんでもない、今井さんが自分達の味方だったということはここにいる連中は皆、知っていますよ。皆、今井さんがいなくなってしまうことを心から悲しんでいます」と言ってくれる。彼が追従を言うような男でないことは私が一番知っており、このようなありがたい言葉を言っていただいて私の目からも涙が出てきた。
組織の一員として複数の人達と協同して仕事をする上で、一番幸せなことは自分をよく理解し、正当に評価してくれる上司に恵まれることであると言われるが、私はそれ以上に上司の立場をよく理解して、汗を惜しまず協力してくれる部下、同僚に恵まれることではないかと思う。
自分が部下から敬愛されるような上司でなかったと思っていただけに、東さんの「今井さんと一緒に仕事ができて幸せでした」という言葉は、こんな私を信頼してついてきてくれた人がいてくれたということで本当に嬉しかった。
この思いもかけない感謝の言葉を私に贈ってくれた東さんは数年前、ガンで亡くなってしまったが、彼のこの時の言葉はその後の私の人生にどれだけ自信を与えてくれたか計り知れない。

四つ目の忘れられない一言(ひとこと)は「人を責める前に己の無知を責めなさい」という言葉である。
この言葉は私が30代の後半、ヒューマンアセスメントのアセッサー養成コースという社外研修に参加した時、一緒に参加していた高橋さんという方に言われた一言である。
講師がやたらと横文字を使うのに閉口した私が、このコース終了後の懇親会の席で隣り合わせた私よりはるか年配、50代の後半と見受けた高橋さんに「いやぁ、あの講師の横文字の乱発には参りましたねぇ。横文字をわざわざ使わないで日本語でお願いしたいものですねぇ」と話しかけた。私より年配者だからこの人も講師の横文字の多さに閉口して 「まったくその通りですねぇ」という返事が返ってくると思ったら、高橋さんは「あなたは私よりはるかに若い。そのあなたが横文字が多いといって講師を責めるのはおかしいよ。その横文字の意味を知らない自分の無知を責めなければいけません。分からなかったら辞書で確認すればよいではないですか」と言う。その言い方に一瞬、反発を感じたが、確かに高橋さんの言われる通りである。
高橋さんは「分からない言葉が出てきたら書き留めておいて、後で辞書で引けばよいのです」と言う。そう言われる高橋さんの傍らに国語辞典と英和辞典があった。
後日、高橋さんからこの時の立派な講義録が送られてきた。そこには私が分からなかった横文字に日本語の意味が付してあった。素晴らしい講義録を前にして私は恥ずかしくなった。
「己が無知であることを恥ずかしいことだと思いなさい」という高橋さんの言葉は私のその後の生き方に大きな影響を与えた。
自分が理解できない言葉を使われたからといって、使った相手を責めるのではなく、分からないのは己がよくないのであると自分に言い聞かせて、何らかの手段を講じて自分で分かろうとする努力を惜しまないようになった。辞書を必ず持ち歩くようになった。
分からないことの大半は辞書を引けばどこかに出ているものである。
高橋さんが言われた「分からないことがあったら分かるように自ら努力しなさい」という教えがなかったら、私は自分の勉強不足を棚に上げて他人を非難していただろうから私にとっては大変有り難い忠告であった。
知らなかったことを知る、分からなかったことが分かるようになることは楽しいことである。それも他人から教わるのではなく自分の力でそれができるとより楽しい。
高橋さんからいただいた名刺の肩書きはNTT、当時は電々公社であったかと思うが都内にある支店長というものであった。
講義録をいただいた時はお電話でお礼を申し上げたが、その後は疎遠にしており、今現在、どこにおられて、そもそも存命かどうかも分からないので、お会いして「高橋さんの教えのお陰で少しは利口になることができました。ありがとうございました」とご挨拶できないのは大変残念である。

五つ目の忘れられない一言は「ケンカする時は対等ではなく一段上から相手を見なさい」という言葉である。
この言葉は前述した東さんの時にも登場した私がソニーの子会社に勤務している時、その会社の社長であった鳥山さんに言われた言葉である。
この会社に斉藤さんという個性豊かな人がいた。彼は自尊心の高い男で周囲とあつれきを頻繁に起こしており、私が彼より年下であるにも関わらず、職位上は上位者であったのが気に食わなかったのだろうが、私にも何かと反抗的な言辞を弄していた。
詳しいことは忘れてしまったが、社内の会議の際、彼の主張があまりにも一方的であったので、それをたしなめるようなことをやんわりと言ったところ、彼は大変立腹して、私に食ってかかる。その態度に腹を立てた私は、「あなたの主張には同意できない。どう考えても間違っていると思う」とはっきりと言った。
私が満座で「あなたは間違っている」と言ったので彼は顔を真っ赤にして私に「今の発言は撤回しろ!謝れ!。謝らなかったら侮辱罪で訴える」と言う。売り言葉に買い言葉で「訴えたかったら訴えてもかまわない。これ以上あなたと話したくない」と言って取り合わなかった。
剣呑な雰囲気のまま会議は終了して、私は自席に戻って仕事をしていたら、鳥山さんから「社長室にすぐ来なさい」という電話があった。
急ぎ社長室に行くと、鳥山さんが「今、ここに斉藤君が来ていて「今井に恥をかかされた。今井を訴えるといって大変怒っていた。斉藤君をここに呼ぶから『申し訳ないことをした』と言って謝りなさい」と言う。「なんで私が謝らなければいけないのですか。非は斉藤さんにあります。誰かがガチンと言ってあげなければいけなかったんです」と言うと、鳥山さんは「お前は自分自身と斉藤君を比べてどっちが上等な人間だと思っているのか?」と聞く。「それは私の方が上等だと思っています」と言うと、「そうだろう。自分が上等な人間だと思えばあいつは可哀相な奴だと思えるはずだ。ケンカする時は対等ではなく一段上から相手を見なさい。自分を一段高い立場に置くと、この人はどうしてこんな物言いしかできないのか、哀れな奴だなあと思えて怒る気持ちはなくなるはずだ。これから不愉快な思いをして怒りたい気持ちになったとしても、相手と対等になるのではなく、自分を相手より一段高い立場に置いて相手を見なさい」と言われる。
そう言われるとそんな気がして、斉藤さんに対してムキになって反論したのが恥ずかしくなってきた。
鳥山さんは「これから斉藤君をここに呼ぶから、お前は一言『失礼なことを言って申し訳ありませんでした』と言いなさい。斉藤君には私からお説教するから」と言われる。
社長室に呼ばれた斉藤さんに私は鳥山さんに言われたとおり素直に謝まった。本人は分かればいいのだという顔をしているが、こんな男と張り合うのは愚かなことだという気持ちになってその場を去った。その後、鳥山さんは斉藤さんに諄々とお説教されたようである。
このことがあってから仕事の上で意見が対立するようなことがあっても怒るということはほとんどなくなった。もちろん、怒りたいという気持ちになることはあっても、一段高い立場に自分を置いて、冷静に考えるようになった。そうすると、まあ目をむいて怒ることもない、まあ許してやろうという気持ちになってきた。
鳥山さんの教えはその後のサラリーマン生活の中で大変役に立ったが、この教えは家庭生活でも多いに役に立った。妻や子供が夫であり父親である私をないがしろにする?度重なる発言にも、(女・子供相手にムキになってはいけない、この人達は私の真の価値が分からない可哀相な衆生である)と言い聞かせて怒りを抑えてきたおかげで今日までなんとか無事に来れたので大変貴重な教えである。
もっとも妻や子供は私とは逆のことを思っているかもしれないが…………。
私は自分が実にいい加減な男であることを自認しており、そのような私にここに紹介したような言葉を語っていただけたことは本当にありがたいと思っている。

作家の伊集院 静さんがある雑誌に次のようなことを言っている。
「運命が人の行く末を決めるのではなく、人との出会い、己以外の人の情愛が、その人に何かを与えるのだと思う。人一人の力などたかが知れていると思う」
まったくその通りで、私が今日まで人様に後ろ指を指されることのないまともな人生を歩んで来れたのも、これまでの人生の様々な場面で巡り合った人達からの教えの賜物であり、そのような人達に心から感謝している
posted by 今井繁之 at 10:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする