2019年02月11日

40年前の話がよみがえって来た

            
 2019年1月18日、自分の事務所でのんびりしていたところに、「講談社の週刊現代の記者をしているHと申しますが、今井さんがご存じの鳥山寛恕さんのことで取材させていただきたいが、ご都合はいかがでしょうか?」という電話が突然入った。
 鳥山寛恕さんは私が今日の研修講師をする前に勤務していたソニーの子会社である桜電気株式会社(現ソニーイーエムシーエス株式会社木更津サイト)の創業者社長であった方で、私にとっては大恩人の一人である。ただ、鳥山さんは今から丸40年前の1979年に亡くなっており、その方をなぜ、今、週刊誌が取り上げるのか首を捻った。そもそも鳥山さんと私が上司と部下の関係ということを記者がなぜ知っているのかと疑問を感じた。 
 そこでHさんに問うと、「今井さんの書かれたブログを読ませていただき、今井さんが鳥山さんのことを色々とご存じのことを知ったからです」と言う。
 確かに私は鳥山さんのことを敬愛する上司としてこのブログに複数回書いている。
 それなら取材に応じてもよいかもしれないと考えて、H記者に会うことにした。
 翌週、お会いしてお話を聞くと、取材目的は、世間にあまり知られていないが、ソニーの本社内の敷地に神社があり、その神社のことを記事にしたいので話を聞かせてもらいたいのだと言う。「その神社と鳥山さんがどんな関係があるのか?」と問うと、私はまったく知らなかったが、社内のごくわずかな人はそこを「ソニー神社」と呼んでおり、その神社には在社中に亡くなった人(物故者)を慰霊してあるが、その神社を作るきっかけになったのが私の上司であった鳥山さんの死であったという。初耳であった。
 神社を作ろうと言い出したのはソニーの創業者の一人である盛田昭夫会長で、1993年に神社が出来たが、言い出した盛田会長は1999年に鬼籍の人となった。後継の経営陣の間で、いつまでもこのような神社を社内に設けるのはどうかということになり、2018年4月に神社を取り壊したという。
 それを聞いた神社建立に協力した宮司の高橋正宣氏は激怒して、ソニーを訴えて、裁判沙汰になっており、それを記事にする予定だが、その記事を書くに当たって、その神社の物故者にソニーの社員ではない子会社の社長であった鳥山さんの名前がトップにあり、それに疑問を感じて、なぜそのようになったのか、鳥山さんの死に何があったのかを私に聞きたいということであった。
 事情の分かった私は鳥山さんという立派な経営者のいたことを世に知らしめるよい機会と考えて、鳥山さんが突然亡くなった事故について次のような事柄を話した。

 今から40年前の1979年の3月16日、私が勤務していたソニーの子会社である桜電気株式会社に、ソニー本社から当時、本社の副社長であった大賀典雄氏(後のソニー本社の代表取締役社長)以下幹部がヘリコプターに乗って工場視察に見えた。
 そのヘリコプターが折からの強風に煽られて、不自然な形で会社のグラウンドに着陸した。
 ヘリにはパイロットを含めて4名が乗っており、ヘリの後部席に座っていた大賀氏に同行してきたソニー本社の役員である白倉氏と馬淵氏はヘリから出てきたが、パイロット席にいた大賀氏がなかなか出て来れない。ヘリの後部から煙が出ており、ヘリが爆発するかもしれない、何としても大賀さんをヘリから救出しようと出迎えた鳥山さん以下の3名が救出に向かい、大柄な大賀氏の体をヘリから引きずり出した。大賀氏を外に出した関係で機体が軽くなったので、それまで土に刺さって静止していたローターが動き、救出の先頭にいた鳥山さんの頭を直撃して死に至らしめた。
 鳥山さん以下の3名が命懸けで大賀氏の救出に努めたので、大賀氏は外に出ることができて命は助かり、それと引き換えのように鳥山さんは命を失った。
 ヘリから救出された大賀氏は事の一部始終を上司である盛田会長にすぐ報告しなければいけないということで、墜落現場からよろよろと歩いてきたが、そこに居合わせた私に 「きみ、どこかに電話はないか? 貸してくれ」と言う。メガネも吹っ飛び、乱れた服装だったので、私にはこの人はいったい誰なのかが一瞬分からなかったが、すぐにこの人は大賀副社長だろうと察した。私は電話のある場所に案内して、盛田会長との会話を傍らで聞くともなしに聞いていた。
 「大賀です。大変なことになりました。乗ってきたヘリが強風に煽られて着陸ミスをしてしまいました。出迎えてくれたこちらの社長が亡くなりました」
 この直後に電話の向こうで盛田会長がどのように言っているか推測するしかないが、大賀氏の答えから推測すると、次のような問いを発したのではないかと思う。
 「君が操縦していたのか?」
 「いや、私ではありません。今回は私は操縦していません」
 その後、どのようなやり取りであったかは忘れてしまったが、「いや、私ではありません」と大賀氏が大きな声で答えたのだけは鮮やかに覚えている。
 盛田会長は大賀氏がヘリコプターのパイロットの免許を持っており、これまでもしばしば操縦していた大賀氏が今回も操縦桿を握って、この事故を引き起こしたのではないかと思ってこのような問い掛けをしたものと思われる。
 盛田会長は次期社長として考えていた大賀氏に傷がつくことを懸念したものと思われる。 盛田会長との電話を終えたところで、大賀氏はその場に倒れ込み、私と同僚の一人が肩を貸し、車に乗せ、近くの整骨病院に連れて行き、診察してもらった。
 死亡事故の発生とソニーの次期社長と目されていた大賀氏の操縦ミスではないかということで、マスコミが病院に殺到したので、整骨病院の裏口から脱出させて、急遽、ソニー本社が手配したクルマで都内の済生会中央病院に向かった。

 週刊現代の記者には2時間前後、上記のことを含めてあれこれお話した。
早速、その翌週の2月9日発売の週刊現代に「バチが当たる 盛田昭夫の作った「ソニー神社」が現経営陣に壊されるまで」というタイトル付きで記事が掲載された。
 同誌によると、この事故から12年後の1991年12月に盛田会長は常陸国出雲大社の宮司の高橋氏に「社員の病気や事故が多いので墓や記念碑を作りたい」と相談したという。それもできるだけ早く建立したいという。そこで盛田会長に真意を確認すると、前述したヘリコプター事故で鳥山氏が死亡したことと、その事故から3年半後にソニーの第4代社長を務めた岩間和夫氏が63歳の若さで病死したことから、ヘリコプター事故と岩間氏の死去のあいだには因果関係があるのではないか、ヘリ事故で死亡した鳥山氏の祟りではないかと考えたからだという。
 裁判で明らかになった宮司の訴状には「盛田会長の切望した慰霊碑建立の最大の目的はヘリ事故の被害者である鳥山寛恕氏の御霊(怨霊)を鎮め、さらにその後においても被告(ソニー)を様々な災いから末永く守ることにあった」と記載されている。
 1993年5月に神殿が完成し、同月7日に物故社員招魂慰霊祭が行われ、物故社員の中にソニー社員でなかった鳥山寛恕氏の名前があったという。

 今回の「週刊現代」に大賀氏は日経の『私の履歴書』に「乗っていたヘリコプターが墜落したが、操縦していたのはパイロットであった」と語っており、これについてはそれ以前に発売された雑誌「諸君」にジャーナリストの有沢創司の取材に応じたものと思われるが、「操縦していたのは自分ではない、鳥山氏が墜落したヘリコプターに不用意に近付いてきたので事故が起きたのだ」と語っている。
 今回の「週刊現代」で私が大賀氏を機内から救出するのと引き換えの形で鳥山氏の命は奪われたということを語ったので、真実が明らかになったと思う。
 盛田会長が鳥山氏にこだわったのはヘリの操縦桿を握っていたのは大賀氏であり、死亡事故を起こしたのは大賀氏に責任があったと考えたからではないかという気がして来た。
 事故の直後の警察関係者の追及に、私は「大賀氏は『私ではありません。今回は私は操縦していません』」と大きな声で盛田会長に報告しました。あの興奮した状態でウソをつくことは考えられません」と話したので、警察関係者も納得してくれて、それ以上の追及はなかったが、今回の慰霊碑騒ぎで果たして真実はどうであったかと疑問が沸いてきた。
 慰霊碑に「大願意」と題した漢文が納められているというが、そこにソニー株式会社代表取締役会長 盛田昭夫と共に後継者 大賀典雄という署名があるというから、盛田会長は鳥山氏が亡くなった事故の責任は大賀氏にあったと認識していたのだろうと思った。
 週刊誌に、宮司の高橋さんは「鳥山さんは館山電子という会社の社長である」と告げられ、「館山電子の会社変遷と事故」と記されたメモが渡されたという話が出ていたので、私は奇異に思った。鳥山さんは従業員1200名前後を雇用していた桜電気株式会社の社長であり、館山電子という会社は桜電気全額出資の会社であるが、千葉県館山市に設立した従業員50名前後の会社であり、会社はこのヘリ事故の数年後には消滅している。
 事故のことを追跡調査されることを嫌って桜電気という名前を出さなかったのかなと思うが、大賀氏も故人となったのだから真実が明らかになっても良いのではないかと思う。
 今回の「週刊現代」の記事が出るまでヘリの事故の真実を知らなかった現経営陣の皆さんが、「ソニー神社」を撤去することにそれほど逡巡しなかったのは分かる気がする。

 もう40年前の話であり、鳥山寛恕氏はお名前の通り、寛(ひろ)く恕(ゆる)す人であり、お墓の下で「何を騒いでいるのか?」と苦笑を浮かべているかと思う。
 2019年の年始に鳥山氏の眠っている鎌倉霊園にあるお墓にお参りしたが、命日の3月16日に記事の載っていた『週刊現代』を持参して、下界ではこんな騒ぎがありましたと報告しようと思っている。

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2019年01月22日

ゆとり教育とは考える力をつけることだ


 2018年の年末、平成という年号がそろそろ終わりになるということで、いくつかのテレビ局で平成30年間に起きた様々な事件の特集番組が放送された。
 12月11日、NHKドキュメンタリー アナザーストーリーシリーズで「ゆとり教育~戦後最大の教育改革~」というタイトルで「ゆとり教育」が取り上げられていた。
 「ゆとり教育」を推進した文部官房審議官(当時)の寺脇 研さんが登場して、「ゆとり教育」というのはマスコミの造語で、生徒の自主的な学習を重視し、それぞれの能力・適性を育てるのが狙いであり、「ゆとり教育」というより、正しくは「生きる力をつける教育」であると話されていた。
 文部科学省は2002年から全国の公立の小・中学校に週3回、「総合学習」という名称で授業を実施することを義務付けた。具体的にどのような授業を行うかは教育現場に任されることになった。

 当日の放送で長野県伊那市の小学校で総合学習の一環として子供たちだけの力で羊やヤギを飼育する場面が紹介されていた。飼育を通じて何かを学ぶということだと思うが、動物の飼育と生きる力をつけることがどのようにつながるかが私には今一つ分からなかった。
 当時、全国各地の小・中学校の先生方は、生きる力をつけるにはどうしたらよいものかと悩まれたことと思う。
 なぜ、そんなことを言えるかというと次のようなエピソードがあったからである。
 2005年、私はある自治体で問題解決・意思決定力強化の研修を行った際、たまたま参加した教育委員会の関係者に「総合学習とは何をやるのですか?」と聞いたことがある。 その方は「生きる力をつける教育をすることです」と言う。かねてから「生きる力をつける」という言葉に興味を感じていた私は「その生きる力とは何ですか?」と重ねて問い掛けた。するとその方はちょっと困惑した表情を浮かべて「実はそれがよく分からないので困っているのです。今井さんは『生きる力』とは何だと思いますか?」と逆に質問されてしまった。
 私はしばらく考えてから次のようなことを話した。
 「『生きる力』とは『考える力』ではないかと思います。『考える力』とは、自分がどんな人間であり、何をやりたいか、どんな人生を歩みたいか、そのためにはどうしたらよいかを自分自身で考えることができるようになることだと思います」と。 私に質問した人は「同感です。確かにその通りだと思いますが、どうしたらそのような『考える力』を身に付けられるのでしょうか」と言われる。
 「今回の研修がまさしくその考える力を身に付ける研修なのです。ぜひ身に付けて子供さん達の指導に役立てて下さい」と私は話した。
 「分かりました」ということで受講していただいたが、はたしてその方が職場に戻ったところでどのように展開されたかは確認していない。
 総合学習の時間は端的にいったら、どう生きたらよいかを色々な角度から考えさせる時間であると言ってよいのではないかと思う。
 今回、このコラムを書くに当たって、「ゆとり教育」の推進責任者であった寺脇さんが語っていることをネットで探ったら、寺脇さんは「生きる力をつける」ということは「考える力を養う教育をすることです」と言われているので私の解釈は間違っていなかった。

 そもそも、わが国のこれまでの学校教育、小学校、中学校、高校で考える力を強化するような教育は残念ながらほとんどなかったといってよいのではないかと思う。
 私自身のつたない経験でも小学校から高校までは漢字の正しい読み、書き、西暦何年に○○事件が勃発したといった類いの知識を覚えさせ、それを正しく記憶しているかというテストの連続であったような気がする。
 少々以前の話で恐縮だが、NHKの『クローズアップ現代』という番組で放送されていた「ヨーロッパからの新しい風」の中でキャスターの国谷さんがOECDのアンドレア・シュライハーという方と対談していたが、そこで国谷さんが「日本では正解はどれかという問題が出題されるが、OECDのPISA(学習到達度調査)で出題される問題には正解は一つという問題はまったくなかったがこれはどういうことですか?」と質問していた。
 そこでシュライハーさんは次のように答えている。
 「子供たちが学校を卒業して社会に出るが、実際の人生において正解は一つということはなく、状況によって正解は複数あるものです。化学の原子記号とか、くもの足は何本かといったコンピュータのキーを押せば簡単に答えが出るようなことを学校は教えるのではなく、様々な分野の知識をつなぎ合わせて状況に合った答えを導き出す考える力こそ子供たちに身に付けさせなければならないと考えています。私達が生きていく上で必要と考えている『学力』は問題を科学的に考える能力です。幅広い事柄に適応できる能力です。状況を分析し、論理的に説明し、情報を批判的に捉え、その上で状況に応じて問題を解決していく能力こそ身に付けさせなければならないのです」

 シュライハーさんの言われるように確かに学校の問題には一応用意した答えはあるが、実社会ではそのようなものはない。何が正解かはその時その時の状況によって変わってくる。今日正解であっても明日もそれが正解とは限らない。A社にとっては正解であっても置かれている状況の異なるB社では正解とは限らない。
 実社会で求められるのは状況に合った正解を導き出すためにはどのように考えていったらよいかという考える力、思考力である。
 シュライハーさんの言葉を借りるまでもなく、これからの教育では知識の教育と共に思考の仕方こそ教えるべきであると私も思う。
 基本的な思考の仕方が身についていれば、異なった問題に遭遇しても慌てずにどうしたらよいかという答えを見出だすことができるはずである。
 学校で学んでいる知識がまったく不要ということではないが、実社会では不明な事柄があれば他人に聞くなり、辞書を引けば容易に得られる。特に最近は前述したシュライハーさんの話にあったように、インターネットの普及で情報は手軽に得られるので、学校教育では、その情報をどう組み合わせたら正しい結論を導けるかという考える力を養う教育こそ必要ではないかと思う。
 いわゆる「ゆとり教育」は授業時間が削減され学力低下につながるということで批判された関係からか、安倍内閣は「ゆとり教育との決別宣言」を標榜しているようだが、寺脇さんに言わせると「考える力を養う教育」は姿を消したわけではなく、教育現場では現在も「アクティブ・ラーニング」という名称で行われているということである。

 ただ、「考える力」と言っても、そもそも「考える力」とは具体的にどのようなものかが明確でない。
 辞書を引くと、「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる」とあるが、これでは今一つ具体性に欠ける。
 我田引水的な解釈で、はなはだ恐縮ですが、私は「考える力」を以下のようなものであるとしている。
 何が問われているかを明らかにし、問われている事柄が複数あれば、どれから取り組むか優先順位を明らかにする。次いで改善しなければならない事柄があれば、その解決策を探る。ただ、今現在、好ましくない状態になっており、どうしてそうなったのか分からなければ、解決策を探る前に何が原因なのかを探り、その上でどうしたらよいかと解決策を考えてみる。複数の解決策があり、どれを選択したらよいか迷うようであれば、目的を達するのにどの解決策が一番よいかを考えてみる。さらに、それらを実行した場合、各種の不安・心配があるようであれば、どのようにしたら、それら不安・心配を排除、抑制できるかを考えて、必要な手を講じる。
 という具合に論理的な思考のステップを踏んで考えていくのが「考える力」の一つになると思っている。

 何が問われているか、何故そんなことになったのか、どうしたらよいのか、それを実行に移したら果たしてうまくいくかといったステップで考える癖がきちんと身についていれば、学校生活でも、社会人生活でも、色々な厄介な問題に遭遇しても慌てずにどうしたらよいかという答えを見出だすことができる。
 この考える癖は誰でも訓練によって身に付けることができる。
永年、そのような思考力強化の研修講師を務めて来たので、私の存在意義はあると勝手に解釈している。

 「幸せの黄色いハンカチ」を始め数々の名作を世に送り出した映画監督山田洋次さんは映画「たそがれ清兵衛」の中で主人公の清兵衛に次のようなことを言わせているが、私の考えと一致するので最後に記述させていただく。
 「学問すれば自分の頭でものを考えることができるようになる。自分の頭でものを考え れば、知りたいことがたくさん出てくる。それを一つ一つ考えて分かっていくと、お前 は豊かな人間になれる。この先世の中どう変わっても、考える力を持っていれば何とか して生きていくことができる」


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2019年01月21日

できるだけ嘘をつかないで歩んで欲しい


 嘘をつくのは良くないことだというのは誰でも承知していることだと思う。
 しかし、昨今の政治家は嘘をつくことに何の衒いもなく平気で嘘をつく。特に日米の最高責任者は堂々と何度も嘘をついている。
 子供たちに「あんな人間になってはいけないよ」という反面教師としての役割を果たしていると思えばほんの少しは怒りは収まる。
 政治家に嘘をつかれるのは慣れっこなっており、いまさら「嘘をつくな!」と言うのは無理かもしれないが、正々堂々たるプレーが望まれるスポーツの選手が嘘をつくのは好ましくない。特に子供たちが憧れる競技の選手が嘘をつくのは絶対よくないと思う。

 正々堂々とプレーすべきスポーツ選手が嘘をついた事例を一つ挙げる。
 私は趣味のあまりない男だが、数少ない趣味の一つにプロ野球観戦がある。
 特定のひいきチームはなく、選手の全力プレーに手をたたいてエールを送り、ふがいないブレーには激怒するという野球ファンである。
 2018年に現役引退したプロ野球選手に読売巨人軍の脇谷亮太という選手がいる。
 全盛期は打ってよし、走ってよし、守ってよしと三拍子揃った好選手であった。
 彼は内野手であり、後方に上がった打球を落球したにも関わらず、落球ではなくダイレクトに捕球したとアピールして、審判が彼のアピールを信じてアウトにしたことがある。 古い話で恐縮だが、そのプレーがあったのは7年前の2011年4月20日の阪神タイガースとの試合である。
 私はそのプレーがあった巨人・阪神戦をテレビで見ており、脇谷選手を含む巨人の選手のプレーに激怒して、そして落胆した。
 阪神が3:2でリードして、なおも走者を一塁、三塁に置いて、阪神のブラゼル選手が二塁後方にフライを打ち上げた。二塁を守っていた脇谷選手が打球を後ろ向きに追いかけ、グラブに当てたもののグランドにポロリと落としてしまった。脇谷選手はそれをすかさず拾い上げて、あたかもダイレクトに捕球したかのようにアピールした。
 それを見て、土山一塁塁審はアウトとジャッジした。一塁塁審は背後から見ていたので脇谷選手の動作は見えなかったかと思うが、脇谷選手の同僚のセンターの長野選手とライトの高橋選手には脇谷選手の落球は目の前で行われただけによく分かったと思う。
 阪神タイガースの真弓監督は激怒して抗議したが、判定は覆えることはなかった。テレビではその捕球動作の場面をビデオの再生場面で流していたが、明らかに一度落としたボールを拾い上げており、これがワンバウンドで捕球したという判定になると、すでに一塁走者であった新井選手も三塁を回っていたので2点が追加となる。点差は3点差となり、阪神がこの試合に勝利したと思われる。ところがミスジャッジのお陰で、巨人は勢いづいて、その後逆転勝利した。脇谷選手のこの不正行為?は巨人の勝利に大いに貢献した。
 私はこの捕球の場面を見ていて、ごまかしをした脇谷選手はこんな不正行為をして恥ずかしくないのか、この選手はスポーツマンシップということを心得ているのかと怒りを感じた。さらに目の前で明らかに落球したボールを拾い上げたのだから、「これにアウトではありません」となぜ言わないのかと巨人の2選手に不信感を持った。長野選手はその時はまだ2年目の選手なので、先輩の脇谷選手にそれはおかしいとは言えないが、プロに入って10数年経ち、大先輩ともいうべき高橋由伸選手が脇谷選手に、「ダイレクトに取ったなんてアピールする暇があったら、ボールをホームに早く投げて追加点を防げ!」という指示をなぜしないのかと不思議に思った。
 私はこの高橋由伸選手を日頃ひいきにしているだけにこの彼の行動に腹立ちを覚えた。 高橋選手は当時から将来は巨人軍の監督になると言われていたが、こんな不正行為に組みするようではたいしたことのない男だと思った。

 高校野球では選手宣誓で「私達選手一同はスポーツマンシップにのっとって正々堂々と戦います」と誓っているので不正行為はせず、プロ野球ではそのような選手宣誓をしていないから不正行為があってもいいという理屈は通用しないと思う。
 ごまかしをした脇谷選手は自分のブログで「自分はダイレクトに捕りましたよ。ワンバウンドで捕球したと見えるのはビデオ、テレビの映りが悪いせいではないですか」と主張して、テレビの買い替えを勧めた。これには相当なブーイングがあったそうである。
 ただ、脇谷選手にも多少の同情の余地はあり、脇谷選手は捕球したとアピールしても、審判は落球と見抜くかもしれないがダメ元でアピールしようとしたかもしれない。ところが人のよい土山審判は同僚の審判に相談することなく、脇谷選手の演技を信用してしまったのがまずかったともいえる。でも、やはり主犯?は脇谷選手である。
 脇谷選手には酷な言い方だが、野球の好きな子供はいつかは自分もプロ野球選手になりたいと現役の選手にあこがれを持つが、この日の放送を見た子供達は脇谷選手のような選手になりたいとは思わなかったことだろう。
 審判が見ていないからといって不正行為をしても、当日の観衆の多くは見ているし、なによりも映像は残っている。
 プロ野球といえどもスポーツマンシップにのっとって正々堂々とプレイするべきであり、同僚といえども間違っていることをしたら、それは間違っていると指摘するべきである。 私は脇谷選手に良心があれば、この日の言動は悔いているのではないかと思っていた。

 脇谷選手はその後、西武ライオンズに移籍、高橋由伸氏が読売巨人軍の監督になったので、2016年、巨人軍にカムバックした。しかし、高橋由伸氏の監督辞任と共に脇谷選手も現役を引退することになった。
 脇谷選手の現役最後の試合は2018年10月6日にあり、相手球団は奇しくも阪神タイガースであった。
 代打で出場し、結果は一塁ゴロ、巨人ファンだけでなく、阪神ファンからも温かい拍手が送られた。脇谷選手は真っ先に阪神ファンのいる右翼席に深々と一礼した。
 7年前の嘘を許してくれた阪神ファンへの感謝の表れであった。
 試合後、脇谷選手はマスコミの取材に対して、「7年前の甲子園での一件、自分の行動でプロ野球ファンを悲しませてしまったことがずっとしこりとなっていました。今日、阪神ファンの方が私を応援してくれました。いつか話さなければならないと思っていました。最後に正直に打ち明けることができてよかったです」と語っている。
 落球か捕球かを決めるのは審判であり、この一件は誤審といえばその通りである。
 脇谷選手が自分はダイレクトに捕球したとアピールしたい気持ちは分かるが、試合後のマスコミの取材に対して「審判の判定の通りです。それ以上私が言うことはありません」で済ませればよかった。ところが「私は取りました。自分の中ではスレスレのところでやっていますから。落球に見えたのはビデオやテレビの写りが悪いせいじゃないですか」とまで言う必要はなかった。
 脇谷選手には「落球したのにダイレクトに捕給したと嘘の主張をした選手」という負のイメージがつきまとった。本人も骨が喉に引っ掛かったように、嘘をつき通したこの7年間は苦しかったと思う。
 現役を引退後は巨人軍のスカウトになるというが、今回、マスコミに正直に打ち明けたことですっきりした気分で新しい仕事に就くことができるかと思う。

 脇谷選手を俎上にあげて、嘘をつくことはよくない、嘘をつけば苦しむのは自分である、やはり正々堂々と振る舞うべきであると述べたが、この正々堂々と振る舞うのはビジネスの世界でも同様である。
 『不正をしない、不正があったらそれを許さず間違っていると主張する』ということは、言うは易く、行うのはなかなか大変である。
 この功利の世の中で嘘を全くつかないで生きていくのは難しいことだと思うが、それでもできるだけ嘘をつかず、正々堂々と歩んで欲しいと願わざるを得ない。










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