2016年11月17日

映画「ハドソン川の奇跡」から考えたこと


 先般、「ハドソン川の奇跡」という映画を見た。これはクリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演の映画であるが、なぜ、この作品を見たかというと、私は日頃の「問題解決・意思決定力強化の研修」で異常な事態に遭遇して一瞬の判断を求められた時の成功事例として、この映画の主人公である機長の行動を取り上げているからである。
 この映画は2009年1月15日に実際に起きた未曾有の航空機事故「USエアウェイズ1549便不時着水事故」をもとに作られたものである。
 ご存じでない方もおられるかと思い、少し長くなるが説明させていただく。
 ニューヨークのラガーディア空港から飛び立った飛行機が離陸してわずか1分後に左右のエンジンに鳥が飛び込み(バードストライクと呼ぶ)、エンジン出力が低下し、機体の推力が失われた。同機のサレンバーガー機長とスカイルズ副操縦士はエンジンの再始動を試みるものの反応はなく、機体は高度をどんどん下げていく。ラガーディア空港の管制官に知らせたところ、ラガーディア空港へ引き返すか、近くのテターボロ空港に向かうか、どちらかを選ぶように指示されたが、ペテラン機長であるサレンバーガー氏は長年の機長経験から同機はそこまで飛行する力はないと判断して目の前にあったハドソン川への不時着を決意する。
 機体は高層ビル群よりも低い高度で飛び、機体の傾きをフラップで調整しながら無事、着水を成功させる。バードストライク発生から208秒後であった。着水に成功したものの70トンの機体は刻一刻と川底に沈んでいく。機長を始め客室乗務員は焦る乗客を非常口に誘導し、両翼に乗せて救出を待っていた。たまたま飛行機の不時着を目撃したフェリーが飛行機が着水して4分後、救出に現れる。フェリーだけでなく水上タクシーや観光船といった民間の船舶が乗客の救出活動に参加してくれたおかげで乗員・乗客155名の命が救われた。
 元日本航空の機長で航空評論家の杉江 弘氏は「航空マニュアルでは、この事故のような全エンジンが停止するケースは想定していませんし、訓練も行っていません。このサレンバーガー機長が凄いのは、緊急時のチェックリストでは15番目でしかない『APU(補助エンジン)を回す』という項目を即座に実行したこと、早い段階でハドソン川に降りることを選択肢に入れていたことなどが挙げられます」と語っている。
 乗客・乗員の命を救ったということでサレンバーガー機長は幾多の表彰を受け、事故5日後に行われたオバマ大統領の就任式にも招待されて、一躍英雄となった。

 ところが、しばらくしたら、ハドソン川への着水という機長の決断は乗客たちの命を危険に晒した判断ではなかったか、管制官の勧めたラガーディア空港に戻るべきではなかったかという批判が出てきて、機長の判断が疑問視されて事故調査が始まった。
 事故調査の中で、回収されたフライト・データ・レコーダーの解析では、左のエンジンは完全に失火しておらず、操縦に必要な程度の電力を賄う程度の回転数は保たれていたことが確認された。でも、それは後になって分かったことであり、飛行中の機長及び副操縦士にはそのような数値は分からなかった。

 映画「ハドソン川の奇跡」はその機長の判断が果たして妥当であったかが争われた米国国家運輸安全委員会の公聴会を中心に描かれている。
 機長がラガーディア空港に戻れるとは思わなかったという主張に対して事故発生時の状況をシュミレーション機を用いて証明すると「エンジン停止後、すぐに空港へ引き返した場合、ぎりぎりであったが、緊急着陸は可能だった」ことが判明した。
 そうなると、サレンバーガー機長が取ったラガーディア空港に引き返さずハドソン川への着水を選択した判断は間違っていたということになりそうになった。しかし、シュミレーション機はエンジン停止後、何の迷いもなく、すぐに空港に引き返したから、緊急着陸は可能であり、現実は機長及び操縦士が今まで経験したことのない異常事態に直面して、どうしたらよいかを考え、再始動を試みても困難であることが判明、ではどうするかを考えた時間が30数秒あったが、その30数秒の行動をカットすれば確かに空港に戻れるが、そうでないと空港に着陸する前に機体が墜落するという結果になった。
 あらかじめ何が起こるか、どうしたらよいかということを事前に分かっていればそのとおり行動できるが、まったく経験したことのないような異常事態に直面した時に、人間はどうしたらよいかと迷うもので、考える時間はほんのわずかでも必ず必要である。
 サレンバーガー機長は正しくその通りで、ほんのわずかな時間、考えて、それから着水という行動に移った。
 サレンバーガー機長は着水に踏み切る前に、着水したら機体は使用不可能になってしまうということ、救出に果たして来てくれるだろうかという不安が脳裏をかすめたかと思うが、乗客・乗員の命を救うことを第一に考えた結果、ハドソン川への着水が最善と判断して、着水に踏み切ったということである。
         
 この「ハドソン川の奇跡」を見終わってしばらくしてから、最近、起きた、これまで経験しなかったような異常事態に遭遇して大変な思いをした女性のケースを思い出した。
 そのケースは航空機事故とはまったく違うが、女優の高畑淳子さんの息子さんである高畑裕太というタレントがビジネスホテルのフロントの女性A子さんを強姦したものである。
 この強姦犯は強姦致傷罪で刑務所に入れられると思っていたら無罪請負人として定評のある弁護士弘中惇一郎氏が代表を務める「法律事務所ヒロナカ」が弁護してくれたおかげなのか、何と事件から17日後の9月9日、示談が成立したということで高畑裕太は不起訴になり、同日に釈放されて、世間を唖然とさせた。
 なぜ示談が成立したかというと、A子さんは高畑裕太に部屋に歯ブラシを持って来てくれと依頼されて仕方なく部屋に持っていったところ、部屋に引きずり込まれ、ベットに押し倒され、必死に抵抗したものの、強姦されたが、抵抗の際、大きな声を出さなかった、壁を叩いて救出を求めなかったのは合意があったからであると見做されたからであるということである。
 不起訴という結果になったのはあたかも被害者であるA子さんに非があるという印象を与えることになった。
 なぜ、そんなことになってしまうのか、またA子さんがなぜ示談に応じたのかと不思議に思っていたら、『週刊現代』に2週に渡って掲載されていたA子さんの告白を読んでよく分かった。
 同誌でA子さんは「耳元で低く凄みのある声で指示され、目つきといい、声色といい、とにかく恐ろしかった。いま思えば、大声を出せばよかったと思います。取り調べの検事さんにも『なぜ大声を出さなかったのか』『なぜ壁を叩かなかったのか』などと聞かれました。でも私にはそれができなかった。まずホテル従業員として自分のことで騒ぎが起きて、他のお客様やホテルに迷惑をかけてしまうことを恐れたということがあります。そして何よりも加害者(高畑裕太)の目つきが怖かったのです。加害者は背が高く(181〓)、力も凄く強かった。もし、声をあげたら、もっとひどいことをされると思ってしまいました。大きな声を出すことによって何をされるか分からないという恐怖心は性犯罪の被害者にしか分からないと思います。自分の身を守るためには嫌でも相手の言いなりになるしかなかったのです」と語っている。
 前橋地検で行われた事情聴取は若い男性検事と女性検事であったという。A子さんは女性検事から「自分の身を守るためなら大声を出すべきだった。何でそうしなかったの」という言葉を聞き、検察は自分を守ってくれるところではないと思ってしまったという。
 A子さんは検事から「裁判員裁判になれば、相手側の弁護士からもっときつい追及がある」と聞かされたと言う。そして「これ以上つらい思いをするなんてもう耐えられない、被害にあった私を守ってくれるところはどこにもない、早く終わりにしてしまいたい、そう思うようになり、それ以上何も考えることができず、もう終わりにしたほうがいいと考えるようになりました。これが示談に応じた理由です」と語っている。
 A子さんは高畑裕太に襲われ、「止めてください」と必死に懇願しても聞き入れてもらえないという極限の状況下で、抵抗して命を失うか、抵抗を止めて体を投げ出して命を守るか、どちらかにするかを考えた結果、後者を選択したということである。
 A子さんの自分の命を守ることを第一に考えた結果、彼の言うことに従ったという判断は誰も責められない。
 被害者であったA子さんはこの極限状態で命を守るということを選択した結果、ネット上で高畑裕太の誘いに乗って部屋に行き、行為の求めに応じたというとんでもない中傷を受けることになってしまったが、どう考えてもこれはおかしな話である。
 釈放された高畑裕太が警察署の前で車に乗り込む寸前の異様な表情を見ると、A子さんが命を第一に考えた判断は正解であったと思う。

 「ハドソン川の奇跡」と並べて、この強姦事件をなぜ取り上げたかというとこれまで経験しなかった異常事態に遭遇した時の人間の判断に共通点があると思ったからである。
 これまで経験したことのないような異常な事態に追い込まれたら、当事者は瞬時の判断をしなければならないが、判断する前に、どうしたらこの危機を乗り切れるかを一瞬考える時間があり、その上で、どうしたらよいかという判断が生まれるはずである。
 その際、あれもこれも満たしたいと欲張らず、今、この場面で何を第一にしなければならないかを考えていくと最善の選択ができると思う。
 サレンバーガー機長は乗員・乗客の命を救うということを第一に考え、A子さんは自分の命を守ることを第一に考えたということである。

 最後に、「ハドソン川の奇跡」ではサレンバーガー機長の判断は米国航空運輸安全委員会では妥当であったという結果になったが、A子さんのケースを扱った日本の検察では、A子さんの命を守るという判断は妥当とされず、強姦犯を野放しにするような結果に対して、私は強い憤りを感じている。

posted by 今井繁之 at 15:20| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年11月05日

『このままでいいのか?』と問うてみる

 先日、週刊文春の10月13日号に掲載されていた阿川佐和子さんとジャズピアニストの大江千里さんの対談記事を読んだ。
 私は音楽の世界には詳しくないが、大江千里というお名前のシンガーソングライターがいることは知っていた。
 大江さんの紹介の欄に2007年末までに45枚のシングルと、18枚のアルバムを発表したとあったので、この人は相当な大物であると思った。
 対談の中で、大江さんは2008年、47歳の時、ジャズピアノを勉強するために単身渡米して、ニューヨークにある大学で勉強して、今はアメリカを拠点に活動していると語っている。
 阿川さんにシンガーソングライターとして確立されていた地位を捨ててなぜそのような転身をしたのか?と聞かれた大江さんは次のようなことを語っている。

 「自分が作ってきた音楽を振り返ったときにこのままでいいのかと考えたからです。
 日本語で詞を書く歌世界という畑を全部刈り尽したという思いもあり、このまま年を重ねて、かつての代表曲『格好悪いふられ方』を赤いチャンチャンコを着て歌うのか、と考えた時に人生は一回だけだぞという気持ちにかられました。
 それと40代半ばになって、母が亡くなり、大切にしていた犬も亡くなったりして、当たり前ですが、命に限りがあることを実感しました。
 人生でやり残したことを振り返ったら、途中で頓挫したジャズが浮かんできたのです。
 やるならば本場のアメリカしかない。アメリカのニュースクールという音楽大学に留学して勉強してみようと決心しました。
 幸い、大学も受け入れてくれたので4年半、猛勉強をして、何とかジャズピアニストとして評価されるよう になりました」

 対談記事にあった大江さんの「このままでいいのか」と自問自答した結果、転身したという記事を読んだ後で、この言葉を別の方から聞いたことを思い出した。
 文春の記事を読む1週間前に日本橋茅場町にある五島料理を出すお店に行ったが、その店のオーナーであり、料理人である堀川リツ子さん(仮名)が同じ言葉を私に話してくれた。
 なぜ、五島料理のお店に行ったかというと、私の顧客であるN工業のS専務がこのお店をご贔屓にしており、たまたま私が「自分は長崎の五島列島で楽しい少年時代を過ごしたことがある」というお話をしてあったので、ご案内してくれたという次第である。
 お店に向かう車の中で、S専務から、このお店は五島出身の女性が徒手空拳で始めたという話を聞き、いったいどんな人なのかと興味を持った。

 地下鉄の茅場町の近くにあるお店はそれほど広くはないが、ほぼ満席の盛況であった。
 五島から空路運ばれてきた新鮮なお刺身を始めとする魚料理や五島手延べうどん、かんころ餅が次々と出てきて、大変美味しくて舌鼓を打った。
 お客様が少し減ってきて、手が空いてきたのだと思うが、お店のオーナーである堀川さんが私達の席にご挨拶に来た。
 私が「自分は五島に縁がある人間です」ということを話したところ、大変打ち解けてくれて、このお店を始めたきっかけについて、大略次のような話をしてくれた。

 「私は結婚して家庭に入り、出産・育児という母親業を務め、料理屋とはまったく縁の ない人生を歩んで来ましたが、50歳を迎えたところで、自分はこのままでいいのかと 自問自答しました。
 主婦としての人生をこのまま続けるのが果たして自分の望む人生だ ったのか? そうではない。自分は何かやりたいことがあったのではないか?と考えました。自分に一体何をしたいのか、自分はいったい何ができるだろうか?と考えました。
 色々考えた結果、自分は周囲がすべて海という五島奈留島で育ったが、あの五島で取れる美味しい魚を多くの人に味わっていただきたい、五島の人口が減って過疎化が進んでいるというが、何か自分がお役に立てることがあるのではないかと考えた結果、五島料理のお店を出すことを思い付きました。
 料理屋の経営について何の知識もない、他人様に出すような料理を作った経験もまったくない、お酒についても無知同然、でも頑張れば何とかなるのではないかと必死になって勉強しました。沢山の人に助けてもらって、このお店を開業して、すでに16年が過ぎようとしています。そんなことで始めたお店ですが、お客様にも恵まれて、何とか商売になっています。
 16年間、ただの一度もこのお店をスタートさせたことを後悔したことはありません」

 大江さんはシンガーソングライターからジャズピアニストに転身したというが、音楽活動を続けたという意味ではそれまでの歩みの延長線と言えないことはないが、堀川さんの場合は、失礼ながら平凡な?主婦から料理屋のおかみさんというまったく異分野への挑戦であり、それも50歳になってからスタートさせ、そしてその試みを見事成功させたというからこの人は本当に凄い人だと思った。
 人生の途上で大江さんや堀川さんのように『このままでいいのか?』と考える人は多い。
 大江さんや堀川さんと比するのは恐れ多いことだが、私自身も44歳の時、「このままでいいのか?」と自問自答して、生き方を変えたことがある。

 当時は埼玉県坂戸市にあったソニーの子会社に勤務していたが、ある時、この会社の社長をしていた北島さんと人事上の問題で衝突したことがある。
 私は正論を主張しているつもりだが受け入れてもらえない。
 北島さんは自分の主張に素直に従わない私に対して、「今井君、青臭いことを言うな! 君は私の部下だ。部下である君は私の言うことに従うべきだ」と言う。
 その言葉を聞きながら、なぜ私はこのような理不尽な話を聞いていなければならないのかと考えた。
 どう考えても間違っていると思われる主張に耳を傾けなければならない自分が何かアホらしくなってきた。 面倒臭くなって「分かりました。社長のおっしゃるとおりに処理します」と引き下がり、自席に戻り、考えてみた。(俺は自分が正しいと思っている意見を正々堂々と主張できないような会社員人生を望んでいたのか? いや、違う。こんな人生を歩みたいとは思っていなかった。今回は自分のこれからの人生について真剣に考えるチャンスかもしれない)

 その日、寝床に入ってから、これまでの生き方、これからの生き方を考えてみた
 大学卒業と共に入社したリコーは若気の至りですぐやめてしまったが、その後、入社したソニーの子会社、桜電気(現ソニーイーエムシーエス木更津)は鳥山寛恕さんというその会社のトップに気に入っていただいた?お陰で不満のない会社員人生を12年間過ごさせてもらった。
 その鳥山さんが不慮の事故で亡くなり、強力な庇護者がいなくなったこの会社に引き続き勤務するかどうかを迷った。ちょうどその時、ソニー本社からこの会社に来ていた岩城 賢さん(後のソニー代表取締役副社長)から「ソニー本社で研修講師の仕事をしてみないか」という思いがけない話があり、KT法の社内講師を数年させてもらった。もし、その話がなかったら恐らく転職したはずである。
 数年後、社内講師の任を解かれた時にどうしようかと迷ったが、子供が生まれたということもあり、転職を考えるのは封印してグループ企業の一つである坂戸市にあるソニーボンソンという会社の総務部長として赴任して来た。それからすでに3年が経とうとしている。

 生活は安定しているが己れが正しいと思うことを主張できない、この会社員人生をこのまま継続するのがいいものなのか、自分に『このままでいいのか?』と問い掛けた。
 このままいけばこの会社、あるいは他のソニーのグループ会社の役員になれるかもしれない。でも、役員になっても、ソニー本社から来る社長の命に唯々諾々と従わなければいけない。これから先、忍の一字で耐えていれば、定年までの10数年は過ごせるだろう。
 だけどそのような隠忍自重しなければならない人生を自分は本当に望んでいたのか?
 そんなことはないだろう。自分には別の生き方があるのではないか。
 ソニーの本社でKT法の研修講師を務めたが、あの時、自分は一番輝いていた気がする。
 研修講師の仕事を一生の仕事にしても悪くない。自分を一番活かせるのは研修講師の仕事のような気がして来た。よし思い切って会社を辞めて研修講師に転身しようと決心した。
 プロの講師になるのはそれなりの修行が必要だろうから、まずは研修専門の会社に入ってノウハウを獲得して、その上で独立しようと考えた。

 KT法の社内講師の経験が活かせる研修専門の会社に入社して研修講師として4年間勤務、何とかやっていけるのではないかという自信がついたところで独立して今日に至っている。研修講師の仕事について今年で丸30年、五島料理屋の堀井さんと同じでこの転身について一度も後悔したことはない。
 私と同様にサラリーマン生活を続けていて、ある時期に「このままでいいのか?」と自分自身に問い掛ける人は沢山いるかと思う。このままでなく転身した方がよいと思っても決心がつかない人も沢山いるだろうし、また考えても仕方がない、このままで行こうと転身を断念する人も多いかと思う。それはそれで一向に構わないが、人生のラストで、あの時に、もう少し考えるべきであったと後悔することのないように、転身できるぐらいの年齢の時に「このままでいいのか?」を一度じっくり考えられることをお勧めする。
 今の勤務先を辞めることを勧めている訳ではなく、立ち止まって、生き方を考えてみたらどうかということである。
 ただ、転身を決意したからといって、軽挙に行動するのは好ましくなく、自分はどんな人生を歩みたいと考えていたのかをよく思い起こし、自分はいったい何をやりたいのか、自分はいったい何ができるのか、自分の歩みたい人生を送るにはどのような準備をしたらよいのか等を真剣に考えて、それから一歩一歩歩み出すべきである。
posted by 今井繁之 at 15:52| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする