2018年07月24日

有難いお叱りの言葉

 
 先般、私がかつて勤務していたソニーの子会社で一緒に仕事をしていた石田秀一(仮名)さんという方が亡くなったという訃報が届いた。仕事の関係で葬儀には顔を出すことができなかったが石田さんのいた木更津の方向に向かって深く頭を垂れて黙祷を捧げた。
 石田さんは私より5歳ほど年上で、生産技術部の部長をしていた。年下の私を可愛がってくれて、私が議長役を務めていた週一回の部長会議の席上でも何度も助けていただいたことがある。                                   
 その石田さんから「今井さんがそんなことをいったら駄目だよ・・・」と注意されたことがある。何のきっかけであったかは忘れてしまったが、石田さんを含めて何人かの人達と歩きながらおしゃべりしていた時に、私が深く考えずに軽口を叩いた時に石田さんの口から出た叱責の言葉であった。私はどのようなことをいったか覚えていないが、言った自分もまずいことを言ってしまったなぁと悔やんでいた時に、石田さんが私だけに聞こえる声で私をたしなめた時に言われた言葉であった。                   
 石田さんは日頃から私のようないい加減な男を大変買ってくれていた。買ってくれたというのも変な表現だが、石田さんは何かあると「今井さんはいい」と言って褒めてくださり、「今井さんはもっと偉くなるのを皆、期待しているよ」と言って励ましてくれた。
 その私が不用意に石田さんを失望させるようなことを言ってしまったのである。
 自分でも恥ずかしく思っていたが、石田さんの口から「今井さんがそんなことを言っては駄目だよ」という言葉は、私のその後の言動にも大いに影響を与えて、周りの人を失望させるような軽口を利いてはいけないという戒めになった。
 私がこの会社を去った数年後、研修講師の仕事をするようになったことを知らせた時、「今井さんはたいしたものだ。いつかは今井さんがそんな風になるかもしれないと思っていたが、その通りになってくれた。ありがとう」というお褒めのお手紙をいただいた。
 ここ数年、石田さんと親しくお会いする機会はほとんどなくなったが、年賀状のやりとりをしており、年賀状にはいつも励ましの言葉があった。何年経っても、「今井さんがそんなことを・・・」と言って、私をたしなめてくれた石田さんの言葉は忘れない。

 二つ目は「人を責める前に自分の無知を責めなさい」という言葉である。
 この言葉は私が30代の後半、ヒューマンアセスメントのアセッサー養成コースという社外研修に参加した時、一緒に参加していた高橋さんという方に言われた一言である。
 講師がやたらと横文字を使うのに閉口した私が、このコース終了後の懇親会の席で隣り合わせた私よりはるか年配、50代の後半と見受けた高橋さんに「いやぁ、あの講師の横文字の乱発には参りましたねぇ。横文字をわざわざ使わないで日本語でお願いしたいものですねぇ」と話しかけた。私より年配者だからこの人も講師の横文字の多さに閉口して 「まったくその通りですねぇ」という返事が返ってくると思ったら、高橋さんは「あなたは私よりはるかに若い。そのあなたが横文字が多いといって講師を責めるのはおかしいよ。その横文字の意味を知らない自分の無知を責めなければいけません。分からなかったら辞書で確認すればよいではないですか」と言う。  その言い方に一瞬、反発を感じたが、確かに高橋さんの言われる通りである。
 高橋さんは「分からない言葉が出てきたら書き留めておいて後で辞書で引けばよいのです」と言う。そう言われる高橋さんの傍らに国語辞典と英和辞典があった。
 後日、高橋さんからこの時の立派な講義録が送られてきた。そこには私が分からなかった横文字に日本語の意味が付してあった。素晴らしい講義録を前にして私は恥ずかしくなった。
 「己が無知であることを恥ずかしいことだと思いなさい」という高橋さんの言葉は私のその後の生き方に大きな影響を与えた。
 自分が理解できない言葉を使われたからといって、使った相手を責めるのではなく、分からないのは己がよくないのであると自分に言い聞かせて、何らかの手段で自分で分かろうとする努力を惜しまないようにした。辞書を必ず持ち歩くようになった。       分からないことの大半は辞書を引けばどこかに出ているものである。         
 高橋さんが言われた「分からないことがあったら分かるように自ら努力しなさい」という教えがなかったら、私は自分の勉強不足を棚に上げて他人を非難していただろうから私にとっては大変有り難い言葉であった。
 高橋さんからいただいた名刺の肩書きはNTT、当時は電々公社であったかと思うが都内にある支店長というものであった。       講義録をいただいた時はお電話でお礼を申し上げたが、その後は疎遠にしており、今現在、どこにおられて、そもそも存命かどうかも分からないので、お会いして「高橋さんの教えのお陰で少しは利口になることができました。ありがとうございました」とご挨拶できないのは大変残念である。

 三つ目は「本当に偉い人は偉ぶらないものだ」という言葉である。
 私がこの言葉で誰かに叱られたということでなく、周りの人がこのようなことを言うのを聞いて、自分も意識して偉ぶるような言動はしないようにしなければいけないと自分に言い聞かせた言葉である。
 この言葉を実感させていただくきっかけになったのは、今は故人となったが、発想法の権威であった保坂栄之介さんという方を私の主催する問題解決・意思決定力強化研修の公開セミナーに迎えた時である。この人は今から20年近く前に若くして亡くなられたので知る人ぞ知るという存在になってしまったが、創造的発想法として定評のあった『イメージコントロール法』を開発した人で、創造力開発の分野では第一人者であった。沢山の著書を出しており、私などは及びもつかない人であった。
 その人が私の開催したセミナーに一受講者として参加されたのでびっくりした。
 セミナーがスタートする前に私が「保坂先生に受講していただくなんて恐れ多いことです」と挨拶すると「今日は私は今井さんの一生徒ですから決して遠慮しないで下さい」と言われる。
 保坂さんのその後の言動はその通りで、私の説明を素直に聞き、疑問点があれば率直に質問する。グループ討議では自己主張はあまりせず、メンバーの意見に耳を傾ける。
 どこにも自分のキャリアをひけらかすようなところはなく、メンバーの一員に徹している。たまたま、保坂さんのグループに栃木県庁から参加されていた私の知り合いでもあった高久さんという若い人がいて、この人が保坂さんに「保坂さん、そんなこと言っちゃダメだよ。何もわかっていないなぁ」と私がハラハラするようなことを遠慮容赦なく言う。 保坂さんはニコニコしながら「いやぁ、高久さんの言う通りです。いい勉強になりました。ありがとうございます」と頭を下げる。
 セミナー終了直前に、私がこの高久さんに「保坂さんは本当は凄い人で、発想法に関する日本の第一人者だよ」と話したら「本当ですか、私は保坂さんに大変失礼なことを言ってしまった。謝らなければいけない。それにしても保坂さんは凄い人ですね。ウチのグループメンバーは皆、保坂さんに好意を持ってますよ。だけどもあの人は一言も『発想法』のことはお話にならなかったですよ。本当に偉い人は偉ぶらないものなんですね」と言う。 この言葉を聞いて、自分の日頃の振る舞いはどうであったかを考えた。
 私はどちらかといえば受講生に侮られないように権威者ぶるような言動をしていたような気がする。
 この一件があって以降、保坂さんをお手本にしなければいけないと自分に言い聞かせて、偉ぶるような言動は厳に慎むように心掛けている。
 そのお陰かと思うが、受講生とフランクに話し合えるようになり、必然的に良好な人間関係を作ることができるようになった。

 この三つ以外にもいくつもお叱りを受けたり、指導を受けたりしたことがある。そのように叱ってくれる人、お手本を示してくれる人に恵まれたお陰で今日まで研修講師としての仕事を続けることができたので感謝、感謝、感謝である。














posted by 今井繁之 at 16:07| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

最後の晩餐にあんドーナツを

         
 大阪に本社があるTという会社で研修を終えて、「今回も大変お世話になりました」と挨拶をして辞去しようとしたら、事務局を務めた植田さんが「先生、お帰りの新幹線の中で食べてください」と言って渡してくれるものがあった。開けるとその中にはあんドーナツが2ヶ入っている。「お気遣いいただいてどうもありがとうございます」とお礼を言って、有り難くいただいて来た。
 なぜ、そのようなことがあったのかというと、以前、植田さんに下記の「最後の晩餐に食べたいもの」という文章を上げたことがあり、それを覚えておいてくれたからである。 長い文章で恐縮だが以下をお読みいただければ幸いです。

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 [最後の晩餐に食べたいもの]
 以前、久米宏さんがキャスターを務めていたニュースステーションという番組の中で 「最後の晩餐」というコーナーがあった。有名人であるゲストにこの世にサヨナラする最後の日が来た時、あなたは何を食べたいかを聞くというものである。          
 番組の中でゲストがその好物を食べながら「なぜそれを食べたかったのか」とその食べ物に関する思い出を語るというものであった。大体のゲストは子供の頃、感激して食べたものを挙げていた。それを見ながら自分がそのように問われたら何と答えるかを考えた。  私の答えは「あんドーナツ」である。                       
 なぜ「あんドーナツ」かと問われても、これは「好きだから」としか言いようがない。
 「なぜ好きなのか?」と聞かれたら、理由はひとこと、「美味しいからだ」である。  
 「あんドーナツ」に関する思い出で、今でも私の脳裏に鮮やかに残っているのは「あんドーナツ」を一番最初に食べた時のことである。
 中学1年、13歳の時、私は家計を助けるため長崎市内浦上地区で新聞配達をしていた。 
 ある時、新聞の購読を勧誘するおじさんを私が配達している地域に案内したことがあった。その地域に私が配達している新聞を購読していなかったパン屋さんがあった。勧誘員のおじさんは店の主人に購読を勧める前に、私に「好きなパンを食べてもいいよ」と言う。  私は以前から一度でいいから食べてみたいと思っていた「あんドーナツ」を迷わず手にしてむさぼるようにして食べた。涙が出るほど美味しかった。食べ終えたが、おじさんの交渉は成立していない。一つだけという制限はなかったのでもう一つ、「あんドーナツ」に手を出して猛スピードで食べた。まだ交渉は成立してない。この機会を逃したらこんな美味しいものを食べるチャンスは永久に来ないだろうと思えた。いささか無理して三つ目の「あんドーナツ」を食べた。さすがにこれ以上食べる気はしなかった。店の主人は私が「あんドーナツ」を食べるのをちらちらと見ていた。私が「あんドーナツ」を三つ食べたのが功を奏したのか、勧誘交渉はうまくいったようである。勧誘のおじさんはパン代を支払う時、私に「好きなパンを食べろといったが好きなだけ食べてもいいとは言わなかったぞ。これでは赤字だ」と文句を言うが後の祭りである。
 「あんドーナツ」を食べたのはこの時が生まれて初めてであった。本当に美味しかった。 こんな美味しいものがこの世にあるのかと感動した。そしていつの日にかお給料をもらう身分になったら、自分のお金で「あんドーナツ」をお腹いっぱい食べたいと思うようになった。

 中学生時代の大半を長崎市内で過ごし、新聞配達でなにがしかのお金をいただいていたので「あんドーナツ」を購入できないことはなかったと思う。しかし、当時のわが家は経済的に苦しかったので、新聞配達で得たお金は家計を助けるため母親に全額渡していたので、それは叶わなかった。だから新聞勧誘のおじさんの好意で「あんドーナツ」を腹いっぱい口にして以降、中学を卒業するまで食べることはなかった。            
 昭和30年代の前半くらいまでは現代では考えられない位、食料事情は悪かった。   
 アイスキャンデーはあったがアイスクリームなんてものは庶民の口には入らなかった。 いちごショートケーキのようなケーキがあったかもしれないが、わが家の経済的事情ではそのような高価なものは口にするチャンスは絶無であった。             
 食べ物としてバナナがあったが、当時のバナナは高級品であり、私にとっては高嶺の花であった。今、わが家で子供が少し黒ずんでいるバナナを見て「これは傷んでいるから食べるのはやめとこう」なんてことを言うのを聞くと、私は頭にきて、「バナナを何と心得ているのだ。こんな高価なものは多少傷んでいても全部食べなければダメだ」と言う。  
 子供はこのおっさんには付き合いきれないという表情を浮かべている。この連中はものの価値を知らない、実に嘆かわしいと思うものの、世の中は変化して今やバナナは庶民の食べ物になってしまっており、時代錯誤なのは私かもしれない。
 でも、食糧事情の悪かった時期に食べ盛りの少年時代を過ごした私にとっては多少黒ずんでいてもバナナはバナナであり、食べないで捨てるなんて罰当たり?な行為は許されないことである。                                  
 私の少年時代は道端にある野いちごを食べたり、蜂の巣を落としてその中の卵を食べたり、イナゴやバッタを焼いて食べたりするのが当たり前だった。            
 何かの集まりがあって、そこで少年時代に何を食べたかという話になった時、食べたものが一致すると、同世代であったことが確認できたりすることがあるが、私の同世代の人達の食べ物はおしなべて貧しかった。                       

 昭和32年に中学を卒業して、初めてもらった給与で念願の「あんドーナツ」を購入した。この時、自分が稼いだお金で大好きな食べ物を好きなだけ食することができる幸せを味わった。                                    
 昭和40年代の後半だと思うがミスタードーナツとかダンキンドーナツといったドーナツ専門のお店が出現するようになった。色々なドーナツが出現したが、私にとって、昔からある「あんドーナツ」が一番である。                       
 中年になってから、どういうわけか「あんドーナツ」をより食べるようになってきた。 私のお腹が出て来たのと「あんドーナツ」は相関関係があるような感じがする。娘から「『あんドーナツ』は太るから食するのは少し控えるように」とアドバイスされているが娘の目の届かないところで食べている。
 疲れた時には「あんドーナツ」が特に美味しく感じられる。研修や講演を終えて帰京する際の新幹線の中でコーヒーを飲みながらパン屋さんで求めた「あんドーナツ」を食べるのが無上の喜びとなっている。

 なぜ「あんドーナツ」をこんなに好んで食べるのかと考えると貧しかった少年時代に腹いっぱい食べれなかった反動からかもしれない。
 「あんドーナツ」をこの上もないご馳走と思えるということは決して悪いことではないと思っている。何でもかんでも口にすることができるという恵まれた生活をしてきた人にとっては「あんドーナツ」のようなものに渇望感を感じることはあまりないだろう。
 私は「あんドーナツ」に限らず、いつかは美味しいものを沢山食べれるようになりたいという夢を持って歩んできたが、貧しい時代があったから、そういう夢を持てたのであって、私にとって貧しかったということは必ずしも悪いことではないと思っている。
 最後の晩餐がいつ訪れるか分からないが、もし許されるのであればコーヒーをかたわらに置いて、「あんドーナツ」を2ヶ、味を噛み締めながら食したいと思っている。
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 この文章を植田さんに差し上げ、それを読んでいただいたお陰で、あんドーナツをいただくようになったが、私の母校である明治大学から依頼されている社会人向けの講座の受講生にも「私はあんドーナツが好物です」と言ったことがあり、時々お会いする受講生であった女性から「これ、プレゼントです」ということで、あんドーナツをいただく機会があり、お腹は当分の間、ひっこみそうもない。

posted by 今井繁之 at 15:58| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

 嘘つきは泥棒の始まり


 「嘘つきは泥棒の始まり」と子供の頃、親だったか、先生だったか、明確には思い出せないが、誰かに言われた記憶がある。
 大体の意味は承知しているものの、正確な意味は何かと思い、先日、『新明解国語辞典』を引くと、そこに「平気で嘘をつくようになると、良心がなくなって、盗みも平気でするようになる。嘘をつくのは悪の道に入る第一歩であるので、嘘をついてはいけないという戒めである」と出ていた。
 私を含めて普通の人はこの戒めを守って嘘をつかないように自分に言い聞かせていると思うが、最近はこの戒めを平気で破り、恬(てん)として恥じない人が続出するようになった。
 愛媛県今治市に獣医学部を作った加計学園の事務局長渡辺良人氏は自分が愛媛県庁及び今治市職員に「2015年2月25日に加計孝太郎理事長が内閣総理大臣の安倍晋三氏と面会したのは嘘です。面会した際、安倍総理が『それはいいね』と言ったのも嘘です。あの場の思い付きで職員の皆さんに申し上げました」といけしゃあしゃあと語っている。
 自分の嘘を見抜けなかった県庁及び市役所職員がお馬鹿ですと言わんばかりであった。
 このことについて後日、上司の加計孝太郎氏が形ばかりの記者会見をして「事務局長が嘘を言ったのは確かです。そのような嘘をついたのは獣医学部新設の話を前に進めるためです」と言って、事務局長の嘘を弁護した。あたかも、目的を遂げるために嘘をついても、それは決して悪いことではありませんと言わんばかりであり、これには呆れた。
 この事務局長にこの理事長ありで、事務局長も理事長も一応子供たちの教育に携わっている人達であり、そういった人達が嘘をつくのは方便で許されると平然と言うようであると、この人達の経営している加計学園グループの大学・高校ではどんな教育をしているのか慄然とする。
 こんな学校に高い授業料を支払っている父兄は複雑な思いをしたことだろうと思う。

 しかし、この事務局長及び理事長が語っていることは嘘で、本当は安倍総理と加計理事長は会っており、安倍総理が「いいね」と言ったのも事実だろう。
 でも安倍総理は「2015年2月25日に加計理事長に会っていない。これまで何度も加計理事長に会っているが獣医学部の新設について話をしたことはない」と言っているので、安倍総理を嘘つきにするわけにはいかないということで、嘘の上塗りをしたのだろう。
 嘘をついたと嘘を言う方も悪いが、そのように嘘をつかせる方はより悪いと思う。

 加計学園の問題については安倍総理の元秘書官であった柳瀬唯夫氏は国会で「加計学園側と2015年4月2日に面談したが、この面談は上司である安倍総理からの指示があったから会ったわけではなく、会ったことを安倍総理に報告していない」と嘘を言っている。
 加計学園関係者が東京に出てくる用事があり、柳瀬氏は暇だったので会ったと言う。
 総理秘書官が上司である総理の指示がないのに、一民間教育機関の関係者に会うはずがないのに、柳瀬氏もいけしゃあしゃあと嘘をついた。
 このように嘘をつくのは安倍総理が「加計学園が国家戦略特区制度を使って獣医学部を新設することを初めて知ったのは2017年の1月10日である」という答弁を国会でしているので辻褄合わせをせざるを得なくなったからだろう。
 柳瀬元秘書官は2015年の4月2日だけでなく、その後も2回、4月と6月、加計学園関係者と官邸で会い、どうしたら国家戦略特区制度をクリアできるかというアドバイスをしているが、総理の指示がなければこのような親切なことをするはずがない。
 小学生でも分かる嘘をなぜつくのか、そんなにまでして出世したいのか哀れになってくる。柳瀬氏に子供さんがいるかどうか分からないが、もし、子供さんがいたらどういう説明をしたのだろうか? 大人の世界では嘘をつくのは許されると言ったのだろうか?

 加計学園問題だけでなく、もう一つ、森友学園の小学校建設問題でも、財務省の佐川宣寿前国税庁長官が2017年の国会で嘘を連発し、本年2018年になって国会の証人喚問の席で、前年は嘘をついたことを認めた。ただ肝心なことは訴追される恐れがあるということで真実は語らなかった。公文書の改ざんを指示したことは確かなようであるが、昨年から今年にかけて国政を混乱させたにも関わらず、退職金を少し減額されただけで終わりということになった。
 佐川氏がなぜ嘘をついたのか、なぜ公文書の改ざんを指示したのかというと、安倍総理が「私も私の妻も森友問題に関係していたら総理大臣も国会議員も辞めます」と威勢のよい啖呵を切ったからである。
 佐川氏にしても柳瀬氏にしても、学校を卒業して、国家公務員としてスタートした時は一政治家のために嘘をつくようなことは考えもしなかったことだと思う。
 二人とも国会で嘘の答弁をした時、「嘘をつくのは泥棒の始まり」という戒めを思い出さなかったのだろうか?

 森友問題では近畿財務局の職員が公文書改ざんに関係したことを恥じて自殺している。 その職員のお父さんが2018年5月号の文芸春秋に次のような手記を寄せている。

 私の子は、公文書を改ざんするという法律を犯したまま、その後も平然と生きていくような卑怯な男ではなかったのです。自らの命を絶ってまで「不正は許せない」という信念を曲げなかった息子のことを、私は心から誇りに思います。(中略)
 正義と不正の狭間に追い込まれた息子が、死を以て己の正義を貫こうとしたのであれば、私はこの悲しみをぐっと耐え、息子を称賛してやりたいです。今はそれぐらいの想いです。 息子の命が無駄にならないためにも、誰が、何のために、改ざんするような指示をくだしたのか、真相を究明してもらいたいと願います。
 責任の所在を有耶無耶にされたまま、終わらせては絶対いけないと思います。

 私はこの手記を読んで涙した。
 財務省が隠していた改ざんした公文書を出してきたのはこの手記を読んで心を動かされた職員がいたからだと思う。

 加計・森友学園の問題の根幹は総理大臣の安倍晋三氏にあることは小学生でも分かる。 安倍氏は臆面もなく「公文書の改ざんについてはなぜこのようなことが行われたのか、徹底的に調査をして膿を出す」と言う。
 「膿」は安倍氏そのものであることは誰でも知っており、膿を出すということは安倍氏が総理の座から退くことである。
 森友学園問題では国政を混乱させたが、朝日新聞を始めとするマスコミ及び日本共産党を始めとする野党の追及によって、国有財産の不当な払い下げは防止できたが、もう一つの加計学園問題では愛媛県・今治市役所が93億円という巨額のお金を、さらに文部科学省も毎年相当な補助金を安倍氏の腹心の友である加計孝太郎氏に差し上げることになった。
 政治の私物化は好ましくないと言われるが、これだけ白昼堂々と公金が総理大臣の友人のために使われるのは日本の政治史上、初めてのことであると思う。
 酷な言い方で恐縮であるが、これは総理大臣の犯罪であると言ってもよいかと思う。

 最近、開催されたサッカーのワールドカップに出場したブラジルの名選手ネイマールは相手選手と接触すると、突き飛ばされたというオーバーリアクションをしてレフリーからPKをいただこうとする場面が多く、彼の過剰なアクションを真似する子供たちが「ネイマールする」と言っていると聞いたが、安倍氏もこれ以上長く総理大臣をやるようだと、嘘をつくことを「安倍する」と言われかねない。
 戦後の総理大臣を務めた人達は大体知っているが、安倍氏ほど嘘をつく人はいない。
 嘘をつくことを恬として恥じない人には一日も早く退陣していただき、「嘘をつくことは泥棒の始まりであり、嘘をつくような人にはなってはいけない」ということを親や先生が子供に堂々と言えるようにしなければいけないと思う昨今である。


posted by 今井繁之 at 12:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする