2021年02月09日

どこかで誰かが見てくれている


 
目立たない仕事に腐ることなく黙々と努力していたら日が当たる日が来ることもあるという。
 甘いことを言うなと言われてしまうかもしれないが、私は真面目に頑張っていればどこかで誰かが見てくれている、この世は決して捨てたものでないと思っている。
 2021年1月1日、切られ役専門の役者 福本清三氏が77歳で亡くなられたが、福本さんは「どこかで誰かが見てくれている」と信じて脇役一筋で生きて来た人である。

 2014年7月に「太泰ライムライト」という映画が封切られた。映画は太泰の撮影所に所属するベテランの大部屋俳優が、半世紀以上続いたテレビの時代劇が突如打ち切りとなり仕事が激減。そんな折、駆け出しの女優さつきと出会い、彼女に懇願され殺陣の稽古をつける師弟関係を結ぶ。さつきはスターへの階段を上がり東京に行くが、その間に大部屋俳優は体力の限界を感じ引退を決意するというお話である。
 主人公である大部屋俳優を演じたのは「5万回斬られた男」という異名を持つキャリア50年以上のベテラン俳優の福本清三氏であった。
 福本氏は20代後半から斬られ役専門として時代劇、現代劇にかかわらず数多くの死にざまを見せてきた。あくまでも主役を引き立てる脇役であった。
 その福本氏は主演の話が来た時のことを次のように語っている。
 「思ってもいなかった。今でも信じられないですよ。僕らにしてみれば、主役は二枚目で人気があって芝居ができるという概念がありましたから、(主演の)話をもらった時はとんでもない、ありえないと思いました。でも、普通だったら主役やらせてくれと言ってもやらせてくれることはない。そう考えたら、断るのはアホちゃうかと言われて、皆に後押ししてもらってやることに決めたんです」
 福本氏は斬られ役専門の役者として少しは注目されてきた頃、共演した故萬屋錦之介さんに「斬られ役がうまいヤツは芝居がうまい」と言われたという。
 福本氏は、「最初、そんなことはないと思いました。ただ自分なりの解釈で、斬られてから、現場に立って、アクションを起こして倒れるまでは自分の芝居や。同じおなかを斬られても一人一人表現が違いますよね。(斬られ役)皆で研究し合って、主役の邪魔にならないように何秒くらいの死に方をすればどう映るかということを考えて演じようとして来ました」と言う。
 5万回斬られるだけでも途方もない数だが、斬られてから倒れ、こと切れるまでの過程はすべて違う。ブリッジをするギリギリまで体を反らせる“えび反り”など、そこに斬られ役の矜持があるのだろう。
 斬られ役に注目する人は少ないかもしれないが、それでも考えて斬られ役を演じる内に話題になり、なんと2002年、ハリウッド映画の「ラストサムライ」から声がかかり、トム・クルーズを始め渡辺謙や真田広之と並んで存在感のある役を演じることになった。
 「太泰ライムライト」で初めて主演俳優を務めた福本氏は何とカナダ・モントリオール国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した。
 「太泰ライムライト」が封切られるに当たって福本氏は記者会見で「頑張れば日の目を見ることがあるんですよ。努力すれば願いが叶うわけじゃないけれど、努力を捨てたらいかん。置かれている立場の中で一所懸命やるしかない。それがこの映画で伝わればと思っています」と述べている。
 正しくその通りで、願わなければ実現しない、また願ったとしても努力しなければ願ったことは実現しない。そして与えられた場で真摯に努めていればいつかは報いられる日が来るということである。
 
福本さんの言葉に次のようなものがある。

 痛くない倒れ方をするのは簡単です。
 しかし、それでは見る人に感動を与えることはできません。
 逆に見ている人に「あの人、頭を打ったんじゃないか」と思われる倒れ方を演じれば、 真剣さが相手の心に伝わります。(中略)
 
 痛いからこの仕事がいやというなら、やめればいいのだけれども
 そんな考えではどの仕事についても長続きしない。

 頑張っていれば
 必ずどこかで
 誰かが見てくれている。

 私は子供の頃、大人に「御天道様はどこかで見ているよ」と言われたことがある。この言葉は悪いことはしてはいけないという戒めに言われたような気がするが、悪いことでなく陽の当たる仕事でなくても、真面目に頑張っていれば報われることがあるという意味もあったような気がする。
御天道様がはたしているのかどうかわからないが目立たない仕事に腐ることなく頑張って勤めていれば、どこかで誰かが見てくれている、この世は決して捨てたものではないということをこの福本さんの例は語っている。

posted by 今井繁之 at 11:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

会社勤めは好きだった

 
 私は長年勤務していた会社にサヨナラして研修講師の道を歩んだが、時折、「会社勤めは嫌いだったのですか?」と問われることがあるが、答えは「ノー」である。私は組織に課せられた目標をクリアすべくお互いに力を合わせて作業するという会社勤めは好きだった。       「すまじきものは宮仕え」なんてことも言われるが、組織の一員として仕事をするのはつらいことばかりかといえば、そんなことはなく、楽しいことも結構あるのではないかと思う。                                      
私は体を動かすことは苦にしない質なので、肉体的に多少きついことがあってもそれに音をあげて会社勤めを辞めようと思ったことはほとんどなかった。            会社勤めを辞めたいと思ったのは自分が正しいと思ったことが堂々と主張できず不本意ながら上司の指示に従わざるを得なかった時である。
 若かったと言われれば確かにそうだが、上司の指示は間違っており、間違った指示を唯々諾々と聞かなければならない場所にこれ以上、自分の身を置くべきでないと考えて会社は辞めたが、でも総じて言えば会社勤めはつらいことより、楽しいことの方が多かったような気がする。
 私はソニー及びその子会社に通算すると約20年間勤務したが、その会社勤めで何が一番よかったかというと仕事で共に汗を流して、仕事が終わった後で、その仕事仲間と他愛もない話をしながら酒を酌み交わすという場面がいくつもあったことである。そこでは上司と部下との垣根を越えて人間同士の語らいがあった。気持ち良く酒を飲み「今日はお疲れ様でした。明日もまたよろしく」と言葉を交わして散会することがしばしばあった。
 もう40年近く前になるが、今でも鮮やかに覚えている場面がある。
 私が木更津にあるソニーの子会社に勤務していて、その会社の総務部の責任者をしていた時の話であるが、ある日、ソニー本社から「従業員に限り、大型テレビを市場価格の半値以下で販売する」という案内が来た。
 売れ残ったのでこのような形で従業員に自社製品を斡旋することは何回もあり、この時も部下が作成してきた販売のお知らせの文章によく目を通さず許可印を押してそれを社内に掲示してもらった。
 どの程度の申し込みがあったのかも確認もせず、そのこと自体も忘れていたお盆明けのある朝、資材部の責任者から次のような電話が入った。
 「本社から大型テレビが今井さん宛てに200台ほど送られてきて、資材置き場がいっぱいになってしまった。早いところどこかに持って行ってもらわないと仕事にならないので大至急何とかしてほしい」
 急いで資材置き場に行くと、所狭しと大型テレビが置かれている。当時のテレビは今と違って大変大きかった。
 私は早速、購入申し込みした従業員向けに「できるだけ早く引き取りに来て下さい」という案内を出すようにと部下に指示した。
 すると部下の一人が「今井さん、従業員向けの案内文書には『配達は総務部が行います』と書いてありますよ」と言う。「そんな馬鹿な、誰がそんなことを書いたんだ」と文句を言っても後の祭りである。
 車に積んで自力で持って行ける人には協力してもらうことにしたが、乗用車には乗り切れないような大きなテレビであり、文書に書いた以上、私共総務部で責任を持って配達するしかない。
 当時の総務部には男性社員が10数名いた。その連中を全員集めて、事情を説明した上で「大変申し訳ないが力を貸してほしい。トラックにテレビを積んで従業員宅に配送してもらいたい」と頭を下げてお願いした。
 集まった部員の中には、(なぜ我々がそんなテレビの配達の仕事をしなければならないのだ)といった不満顔を浮かべる人もいたが、車輛班の係長のHさんが「分かりました。やりましょう」と言ってくれた。
 二人一組でトラックにテレビを積み込み、木更津市内及び近郊にある従業員宅に配達に回った。とにかく大きいテレビなのでトラックに載せられるのは6台が限度である。率先垂範しなければいけないということで私も皆と一緒に配達業務に従事した。道が分からなくて苦労したり、家人が留守のため届けることができなかったりしたが、一番困ったのは、「映るようにしてくれ」というリクエストである。
 土間に置いて受領印をいただいて帰ろうとすると、家の人が「ちょっと待って、電気屋さん。すぐ見たいから映るようにして下さい」と言う。「いや、私共は電器屋ではなく、お宅の娘さんが勤務している会社の者です。届けるだけが私共の仕事で、説明書がありますので、それを見ながら組み立てて下さい」と言っても聞いてくれない。「私共年寄りにはこの説明書はよく分からない。届けた以上責任を持って何とかして下さい」と言われて往生した。いくら事情説明しても聞き分けてくれない場合は、「分かりました。何とかしましょう」と言って、梱包を解いてテレビセットを出して、電源に接続するという作業までやることにした。終わると「ご苦労様。冷たい麦茶があるから飲んでいって下さい」と言われ、お茶をご馳走になったりした。
 午前中に2回、午後3回と真夏のような暑いお天気の中を飛び回って慣れない作業に汗を流した。
 配達業務が終わって皆が揃った夜の8時頃、ささやかな慰安の夕べを開いた。ビールを飲みながら自分達はこんな目に遭った、いや俺達の方がもっと難儀したといった今日一日の苦労話を笑いながら夜遅くまで話し合った。
 大きなテレビを運ぶのは辛かったし、電器屋さん扱いされてなれない作業で苦労したが、職場の仲間がお互いに力を合わせて一つのことに取り組み、成し遂げるといったこのような仕事に従事することは実に楽しいものであった。
 仕事を楽しむという言葉があるが、正しくこの時はそうであった。作業そのものはきつかったが、終わってみると心地好い達成感で私の心は満たされた。
 共に汗を流し、その汗の価値が分かる仲間同士がお互いにその苦労をねぎらうということは素晴らしいことだと思う。

 私はこのテレビ配達以外にもこの会社で職場の仲間と一緒に汗を流すという場面がいくつもあった。いずれも肉体的にはきつかったが楽しかった。
 私は「仕事は好きですか?」と問われたら「好きです」と答えるが、その好きだという仕事は一人でやる仕事ではなく、心の通じ合った仲間と共同して行う仕事である。
 私は夜中、寝ている時、よく夢を見るが、その夢の中に時折、かつての仲間と一緒になって楽しく仕事をしていた場面が出てくる。夢ではあるが実に楽しいひとときである。  研修講師となって、たった一人で仕事をするようになると、かつて皆と一緒になって汗を流して仕事をした日々が妙になつかしい。できることであればそういった生活に今一度戻りたいくらいである。
 作家の黒井千次さんがお書きになった「働くということ」(講談社現代新書)という本の中に次の様な文章がある。
 いつであったか、私は会社がとても好きだ、と語る人に会ったことがある。ぼく自身 は勤めている間中、会社が好きだと思ったことはなかった。おそらく大部分の勤め人は、 心のどこかには自分の使われている企業への嫌悪感や違和感を抱いているに違いない。 それだというのに、あまり明快に会社が好きだと表明されてこちらは驚いた。
 この人は愛社精神の塊か企業意識の権化であるかと疑った。そうではなかった。私は人 と一緒に働くのが好きなのだ、と相手は付け加えた。つまり一人ではなく多数の人々と 共に働くことの出来る会社というところが好きなのだ、と彼は言いたかったのだ。

 私はこの文章を読んで私もまったく同じだと思った。私が好きだったのは会社そのものではなく、好きだったのは、このテレビ配達の時のように、気持ちが通い合う仲間と一緒になって汗を流して一つのことを共同して成し遂げることであり、そういう場面が沢山あったから、この会社が好きだったのである。                     
 もうそのような生活に戻ることはできないが、1年に1回の、この会社の同窓会に出席するのはほんのわずかでもあの楽しかった日々を味わいたいからである。
 定年退職後、かつての会社仲間と会って旧交を暖める人が多いということを耳にするが、それは私と同じ思いからではないかと思う。
 会社勤めの一番の楽しみは気の合う人達と一緒に汗を流し、時には涙する場面を共有することであり、そういったことが多かった私の会社勤めは総じてハッピーであった。  
posted by 今井繁之 at 10:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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