2018年10月17日

『平和を守る』は我々大人(おとな)の責任


 時々、子供たちの鋭い発言にびっくりすることがある。
 好ましくないことがあっても、「仕方がない。なるようにしかならない」とあきらめているところに、子供たちから「しっかりしてください」と檄を飛ばす発言があり、その都度、いい大人(おとな)である私は子供たちにこんなことを言わせてはいけないと反省する。
 2018年の6月23日、沖縄県で開催された戦没者慰霊の日に浦添市立港川中学校3年生の相良倫子さんが朗読した「平和の詩」に衝撃を受けた。
 ピンと背中を伸ばし、手元の原稿に目を通すことはほとんどなく、目の前の聴衆に向かって読み上げる姿に思わず、身を正したのは私だけではないと思う。
 力強く朗読する姿勢も素晴らしいが朗読された詩の内容も素晴らしいものであった。
 勝手に引用して申し訳ないが、その一部を記すと次のようなものであった。

 私は、生きている。
 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
 草の匂いを鼻孔に感じ、
 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 (中略)
 七十三年前、
 私の愛する島が、死の島と化したあの日。
 小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
 優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
 青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
 草の匂いは死臭で濁り、
 光り輝いていた海の水面は、
 戦艦で埋め尽くされた。
 火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
 燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
 着弾に揺れる大地。血に染まった海。
 魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
 阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 みんな、生きていたのだ。
 私と何も変わらない、
 懸命に生きる命だったのだ。
 彼らの人生を。それぞれの未来を。
 疑うことなく、思い描いていた人だ。
 家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
 仕事があった。生きがいがあった。
 日々の小さな幸せを喜んだ。
 手をとり合って生きてきた、
 私と同じ、人間だった。
 それなのに、壊されて、奪われた。
 生きた時代が違う。ただ、それだけで。
 無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 摩文仁の丘、眼下に広がる穏やかな海。
 悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
 私は手を強く握り、誓う。
 奪われた命に想いを馳せて、
 心から、誓う。

 私が生きている限り、
 こんなにたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
 もう二度と過去を未来にしないこと。
 全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、
 あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
 生きる事、命を大切にできることを、
 誰からも侵されない世界を創ること。
 平和を創造する努力を、厭わないことを。
 (中略)

 だから、きっとわかるはずなんだ。
 戦争の無意味さを。本当の平和を。
 頭じゃなくて、その心で。
 戦力という愚かな力を持つことで、
 得られる平和など、本当はないことを。
 平和とは、当たり前に生きること。
 その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 私は、今を生きている。
 みんなと一緒に。
 そして、これからも生きていく。
 一日一日を大切に。
 平和を想って、平和を祈って。
 なぜなら、未来は、
 この瞬間の延長線上にあるからだ。
 つまり、未来は今なんだ。
 (中略)
 一人一人が立ち上がって、
 みんなで未来を歩んでいこう。

 私はこの相良倫子さんの朗読を目の前で聴いていたら、かつて元内閣総理大臣小泉純一郎氏が土俵に上がって優勝した貴の花に優勝杯を渡す際に「感動した。怪我に耐えてよく頑張った。おめでとう!」と言ったように、私も思わず近寄って「感動した!あなたの詩は素晴らしい!」と言って抱き締めていたかもしれない。
 もちろんそんなことはできっこないが、心の中では相良さんを抱きしめていた。
 これだけの長い詩を全て頭に入れて、目の前の聴衆に向かって堂々と朗読できたのは、この詩の全文を自分で作ったからだと思う。自分で作った詩だから原稿を見なくても、よどみなく朗読できたと思う。
 一部を略してしまい相良さんには申し訳ないが、ご関心のある方はネットで検索していただきたい。

 相良さんの「戦力という愚かな力をもつことで、得られる平和などない」のくだりは、相良さんの目の前で朗読を聞いていた内閣総理大臣の安倍晋三氏は自分のことを言われたのではないかということで、ぎくっとしたのではないかと思う。
 相良さんの素晴らしい朗読の後に安倍晋三氏の心のこもっていない空々しい言葉の羅列のスピーチを聞いてがっかりした。
 心にもないことを喋るには原稿が必要であり、安倍氏が平和祈念の式典で、常に原稿から目を離すことなく、棒読みのスピーチになるのは仕方がないかもしれない。
 
 相良さんの素晴らしい「平和の詩」は新聞、雑誌、テレビで紹介されて相当な話題になると思ったが一部の新聞が取り上げただけであった。
 最近のマスコミは何かおかしくなって来ていると思わざるを得ない。
 NHKを始め、少しでも政府を批判するようなニュースは取り上げないようになり、「新潮45」のようにどう考えてもおかしい主張が喧伝されるようになってきている。
 14歳の少女である相良さんの凛としたたたずまいの朗読を聴いて、どうしたら二度と戦争を起こさなくてすむか、真の平和の時代を築けるかを我々大人が真剣に考えなければいけないということを強く感じた。
posted by 今井繁之 at 10:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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