2019年04月27日

私は記憶力が本当に優れているのか?

    
 私はこのブログで少年時代のことをよく書いているので、それを読んだ人から「今井さんは昔のことをよく覚えていますね。記憶力が凄いですね」と褒められることがある。
 褒められて悪い気はしなかったが、最近は自分の記憶力は人に褒められるほどのことではないような気がして来た。なぜかというと、最近は、つい昨日、一昨日にあったことを忘れてしまうことがあるからである。
 つい先日も、私の好きな作家 門田陸将さんが東大野球部のことを書いた「敗れても 敗れても」(中央公論新社)という本がどうしても見つからないという事件?があった。
 読みかけの本であり何としても後半を読みたいと思って自宅、事務所の可能性のあるところを探したが、どうしても見つからない。家人がこの本を読むことはなさそうであり、本が勝手に動くことはない。とにかく自宅か事務所のどこかにあるはずだが見つからない。 どこかに置いたはずだが、その場所を思い出そうとしてもどうしても思い出せない。
 探しながら、先日読んだ『週刊文春』に掲載されていた作家の万城目 学氏が書かれた文章を思い出した。万城目氏は「自分は鍵をどこに置いたかといったことは瞬時に忘れてしまうように短期記憶はまったく駄目だが、長期記憶はめっぽう強い方で、それを人に自慢して来た。しかし、それは怪しいものであることに気付いた。自分が小説を書き始めた時期は長年思っていた時期とは異なるということが分かり、人間の記憶はささいなことだけでなく、重大なことであっても改竄されるということが分かったので、自分が長期記憶に強いとは言えない」と記述している。
 これを読んで私もまったく同じだと思った。万城目さんのように私も相当 昔のことを覚えてはいるものの、必ずしも正確ではなく、結構思い違いをしていることがある。
恐ろしいことだが、長年思い違いをしているとそれが真実と思い込んでしまうようである。

 思い違いをしていたと気付いたことに私が小学生の時、弟と一緒に長野県の岡谷から長崎まで2日かけて汽車で移動したことが、私の記憶ではこの移動は私が小学3年生の時であったとずっと思い込んでいた。私は3人兄弟の真ん中である。この時、両親はすでに長崎に行っており、兄は岡谷に残り、道中は私と弟との二人連れであった。後年、兄に「なぜ自分達と一緒に行動せず岡谷に残ることになったのか?」と確認したら、「中学に上がったばかりなので転校したくなくて、伯父さんの家に残ることにした」と言う。私と兄は2つ違いなので、兄が中学1年生であれば、私は小学校5年生でなければおかしい。移動したのは正しくは小学3年生の時ではなく、5年生の時であった。私は長い間、思い違いをしていた。
幼い子供?二人連れであったということで、移動中の汽車で真向かいに座った大人の人から声をかけられて、私が『母を訪ねて3千里』のような話をしたら、涙ぐんで「あなた方は小さいのにエライねえ」と同情されておにぎりやみかんをもらったことは鮮やかに覚えている。
長崎駅に着いたら迎えに来た父は「俺は仕事があるからしばらくお前たちは映画でも見ていろ」と言われて、映画館に案内された。父は上映している映画が「騎兵隊」というタイトルだったので、その映画館に私達を入れたと思うが、当時は二本立てが普通であり、もう一つの映画は「肉体の悪魔」というタイトルの映画であった。
 父が迎えに来るのが遅くなり、なんと「肉体の悪魔」を2回も見ることになった。
 子供だったので内容は忘れてしまったが、この映画のタイトルと主演俳優がフランソワーズ・アルノールという女優であったことだけはよく覚えている。
 ただ、私達子供が二人連れで何故そのような成人映画を見れたのか不思議だが、昔は制約が緩かったのだろう。
 肝心なことは思い違いをしているが、どうでもいいことはしっかり覚えている。

 記憶違いというわけではないが、記憶していても何らおかしくないのに、何故か、まったく記憶してないことも結構ある。
 私は2019年2月の始めに私の母校である明治大学に行ったが、ちょうど入学試験の季節ということもあり、受験生と思われる若者が不安な表情を浮かべてあちらこちらにいた。その姿を見ながら自分が大学受験した時のことを思い起こした。
 私は1961年に大学受験したが、記憶していてもおかしくないのに記憶していないのは大学受験した当日の行動である。
 私は明治大学と早稲田大学を受験したが、明治大学の受験会場であるお茶の水、早稲田大学の受験会場である高田馬場に一人で行ったと思うが、信州の田舎から出てきて、東京の地理はまったく不案内なのに、どのようにして会場まで行ったのかまったく記憶にない。 前日に下見に行った記憶はないが、ぶっつけ本番でよくぞ迷わず行けたものだと感心する。   ひょっとしたら宿泊させてもらった親戚の家の人が付き添ってくれたかもしれないが、そのような記憶はまったくない。
 不安がいっぱいだったのに、なぜか、当日の行動の記憶がまったくないのは大変不思議だ。

 受験日のことはどうということではないが、自分の記憶は間違っていないと思い込んで、関係者?に不用意に話してしまい、危ない?思いをすることがある。
 テレビを見ていて、地方の観光地が写しだされて、現在のカミさんに「あすこに行ったのはいつだったかなぁ?」と話したら、「私は行ったことはありません。誰と一緒に行ったのですか!」と厳しく追及されたことがあった。行ったことは確かであり、同行者はカミさんでなかったことも確かなようであり、自分の記憶に変な自信を持たずに多少でも記憶が不確かなものであったら注意して発言しなければならない。
 似たような話になるが、自分の記憶には間違いはないと思っていたことを話したら、相手からそのようなことはないと強く否定されてしまったことがある。
 私が学生の頃にお付き合いしていた女性のことであるが、学生の頃といっても高校生の時であり、お付き合いといってもお互いに好意を抱いているのが確認できる程度の淡いお付き合いの女性である。何かのきっかけで年賀状のやりとりをするようになり、今から数年前、その女性と久し振りに会うということになった。約50年振りの再会であったが、待ち合わせ場所に現れた彼女はそれなりに年齢を重ねているが、若い頃とあまり変わらない表情をしており、迷うことなく分かった。
 近況を話し合い、途中で「昔、私が大学4年生の時、君は『今度、結婚することになったが、その前に今井さんに会いたい』と言って上京してきたことがあったね。あれ以来だね」と言ったら、彼女は頭を捻りながら、「私は今井さんが大学生の時に会いに来たことはないわよ。今井さんは誰かと勘違いしているのではないの?」と言われてしまった。
 確か、あの時、私が彼女に「夜も遅くなって来たので帰らなければいけないね。そろそろ行こうか」と言ったところ、彼女は「今日は親戚の伯母さんのところに泊まることになっているが、どうしてもそこに行かなければならないわけではない」と言われた。女心を理解しない私は「それはまずい。伯母さんの家の近くまで送るよ」と言って送っていった記憶があるが、彼女が「会いに来たことはない」とはっきりと言われた以上は、「いや、そんなことはない。君は確かに私に会いに来た」とは言えず、「そうか、私の勘違いだったかなぁ?」と言わざるを得なくなった。
 この話は自分の願望というか、妄想というか、そういったものが長い年月の内に記憶に刷りこまれてしまったのかもしれない。50数年前のことであり、真実は分からない。
 「私の勘違い」で済ませたので、彼女のお怒りを買うようなことには発展しなかったが、自分の記憶をあまり信頼するのは考えものであると感じた。

 冒頭に記した「敗れても 敗れても」という本は探すのをあきらめかけていた時、事務所の書類棚の一角を何気なく見ると、知人のMさん宛の封筒がかさばっているように見えたので開けてみると何とそこに探していた本はあった。なぜその封筒の中に収まっていたかというと、読み終えたらその本をMさんにプレゼントしようと思っていたからである。しかし、その封筒の中に入れたという記憶は脳裏にまったく残っていなかった。
 冒頭の万城目さんではないが、私の長期記憶が強いというのも怪しいので、昔のことを書くときは記憶を過信せず、事実確認を怠らないようにしなければと自分を戒めている。
 さらに、最近は年齢の関係もあるかと思うが、短期記憶能力も低下気味なので、置くべきところは一定にするとか、役立つ情報はマメにメモするようにして記憶力の衰えをカバーしなければいけないと思っている。ただ、どこにメモしたのかの記憶がなくなり、記したメモ帖を探すのに一苦労するかもしれないので悩みはつきない。
posted by 今井繁之 at 12:35| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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