2020年05月04日

「障害者」という文字に異論あり

多くの人は「障害者」という文字からどんなことを思い浮かべるだろうか?
身体が自由な人というのが一般的だろう.ただ、「障害者」の「害」という文字から、何か害をなす人、あるいは迷惑をかける人と解する人も多少はいるのではないかと思う。
傷害者といえば他人の身体に傷害を加えたものであり、「障害者」は決して他人に害を与える人ではない。
私の知人の会社では「障害者」ではなく、「害」の代わりにひらがなを使って「障がい者」という文字を使うようにしているという。
「障がい者」であれば、害をなす人、迷惑をかける人と思う人は稀だと思う。
身体または精神に何らかの障害を持つ人に確認したわけではないが、その人達に聞けば、「障害者」という文字ではなく、「障がい者」という文字を使っていただきたいというのではないかと想う。
そもそも障害者はどのような定義がされているかというと、「身体障害・知的障害・精神障害(発達障害を含む)・その他の心身の機能に障害があり、障害及び社会的障壁によって継続的に日常生活や社会生活に相当な制限を受ける状態にある人」とされている。
国際連合の障害者の権利制限では「障害者とは先天的か否かにかかわらず、身体的または精神的能力の欠如のために、普通の個人または社会生活に必要なことを、自分自身で完全、または部分的に行うことができない人」となっている。
何か一段下の人というか差別的に見ているような印象を受けるのは私だけだろうか?

少し以前の話であるが、私と同じ思いを持った人が、ネット上で次のような問いかけをしたことがある。
「障害者」というのは差別になるので、もう少し丁寧な言い方に言い換えることはできないですか?
私はどうしても障害者といういい方は障害者差別しているみたいで嫌いです。これって私だけですか? 他にいましたらどんどん意見を聞かせてください。

これに対してベストアンサーに選ばれた回答が下記の通りだが、この回答にはびっくりするとともにこれをベストアンサーにした人たちの良識を疑った。
私は「障害者」と呼ぶのは差別になると思いません。 近頃は障害者にたいする配慮からか、「障碍者」、「障がい者」などというように表記を変えて表現しているマスコミなどを見ます。結局はどれも同じ「しょうがいしゃ」という音なので、このように変化させるのは絶対おかしいと思います。いきすぎです。
障害者の方たちもあまり気にしていない方々の方が多いらしいですよ。
障害を持っている方を「障害者」と呼ぶ。どこが悪いのでしょうか?
私は「障害者」の害の字を「がい」とか,「碍」にするほうが、逆にそんなのは乱暴な言葉狩りです。

この回答者の年齢がどのくらいの人なのか分からないが、私はこの人の意見には賛成しない。失礼ながら、このような考え方しかできないこの人は感受性があまり豊かではないのではないかと思ってしまう。

障がい者を蔑視するような人がいるのは確かだが。それが政治家となると始末が悪い。
2020年3月22日の朝日新聞の朝刊の文化・文芸欄に”「障害者」この時代に合った言葉か"という記事があった。そこにあった記事の概要は次の通りである。
弁護士会館前の掲示板に額縁のようなものから「障害者」と書かれた紙の下半分がはみ出し、シュレッダーにかけられている。その下には紙くずの山になっている。掲示板に貼られた紙の左上に「この国の一番の障害は『障害者』という言葉だ」とのメッセージが添えられている。この紙は2月21日から25日の間、掲示されていたということである。
設置したのは、知的障害のある人が描いたアートをネクタイやハンカチなどにして販売している岩手県花巻市にあるベンチャー企業を経営する松田崇弥さんという方だった。
掲示するきっかけは安倍内閣総理大臣の国会答弁であったという。掲示する2カ月ほど前、「桜を見る会」の招待者名簿廃棄の経緯について、安倍氏は「シュレッダーの空き状況や、担当である障害者雇用の短時間勤務職員の勤務時間などとの調整を行った結果です」と述べたが、松田さんはこの安倍氏の答弁は障害者が作業をしたため廃棄に時間がかかったと言わんばかりと受け止め、日本の『障害』に対する姿勢を象徴していて悲しいとツイートした。松田さんは「障害者だということが国民に向けた言い訳として成立すると判断されたのだとしたら、『障害』には『欠落』というイメージがあるのではないか。それを『障害』イコール『違い』にシフトしたいと思った」と振り返る。

松田さんの4歳上のお兄さんは自閉症で知的障害がある。同じように楽しそうに生きているのに「障害者でかわいそう」ときめ付けるような言い方をされることがあり、違和感を抱いてきたという。
その新聞記事の後半に「障害が存在するのは人にではなく社会にだ」という意見があったが、正しくその通りだと思った。
なぜそう思ったかというと、つい先日、NHK アーカイブス「あの日、あのとき、あの場面-『良司君 旅立ち 全盲大学生・18年の記録』-」という番組を見たからである。
その番組は今から26年前の1994年、新居浜西高校に通学していた星加 良司さんと
いう方が全盲というハンディがあったにもかかわらず、東大にストレートで合格した姿を取り上げた番組であった。
全盲の少年が身体が普通の少年と同じ学級で生活することにまずびっくりした。新居浜市の小学校、中学校、高校いずれも全盲の良司君を特別扱いにしないで迎え入れるという覚悟にも感動した。級友も良司さんを自分たちの仲間の一員として対等に遇したのも素晴らしいと思った。
小学校6年生の時の運動会のクラス対抗リレーの場面があったが、リレーの一員として加わった良司君に級友たちは「良ちゃん、僕と一緒に走ろう、僕について来いよ、さあ行こう」と呼びかけ、仲良しの河合君は良司君の3メートル先を走り、思い切り大きな声で「良ちゃん、頑張れ、君ならできるよ」と励まし、リードし、見事完走させた。
この日のことを、良司君はその後の高校生全国英語弁論大会でこの仲間たちの友情に大変感謝していることを述べ、弁論の最後に「ともに生きたい、すべての人達と共に」と語っている。
学校関係者や級友や両親の励ましを受けながら東大に合格するまでの日々が描かれているが、その受験勉強に当たっては愛媛県だけでなく、兵庫県、奈良県、東京都等の約300名の点字ボランティアの方が教材の作成に協力してくれたという。
良司君本人の努力もさることながら家族を含めて善意あふれる周りの人の協力がなければ学業生活は続かなかったと思う。私は障害のある人を特別視することなく、同じ人間として手助けするのが当然という素晴らしい人達の存在にこの日本国も悪くないと感じた。

番組の終わりでリレーの伴走をした河合君が東大に進むことになった良司君に「良司は障害のある人に勇気を与えるだけでなく、障害のない人にもよい影響を与えて欲しい。身体の恵まれた人にも考えさせるようになって欲しい」とはなむけの言葉を贈ったが、星加 良司さんの現在は東大の准教授をされており河合君の要望した通りの人生を送っているとお見受けした。
この番組の最後にゲストとして出演していた俳優の東ちずるさんは「この世の中で障害がある、不自由、不便があるのは障がい者の側にあるのではなく、障がい者を受け入れる自分たち・社会の側にあることに気付かされました」と語っていた。
障害は本人も家族も望んだものではない。しかし障害のある人は障害のない人と共に一緒に生きていく権利がある。障害のある人を快く受け入れるのはこの人間社会の義務である。

障害者という文字表現に戻るが、民放はともかくNHKは「障害者」ではなく、「障がい者」という画面表記にしてほしいと NHK の知人にお願いしたことがあるが、いまだに「障害者」のままである。
NHK が障害者という文字を使い続けるのは、公式見解ではないが、元 NHK アナウンサーであった堀 潤氏がどこかで語っていたが、「『障害』はその人自身ではなく社会の側にあり、『障害者』とは社会にある『障害』と向き合っている人達と捉えているからだ」ということである。
何か屁理屈を言っているように感じたが、やはり「障害者」ではなく、「害」はひらがなの「がい」にして「障がい者」という表示にして欲しいと思う
posted by 今井繁之 at 09:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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