2020年05月04日

学歴コンプレックスは不要


 コロナウイルス騒ぎで大学生が親からの仕送りが減少したり、あるいはアルバイトができなくなり、授業料が払えず、大学を退学せざるを得なくなる、そうなると高卒ということになるが政府としては、このことをどう考えるかと立憲民主党の蓮舫議員が安倍内閣総理大臣に詰め寄ったと報じられていた。
 高卒の何が悪いのだという論議まで発展して、蓮舫議員は言葉足らずであったと謝罪したということだが、確かに高卒だって立派なもので、大学卒業の資格を持っていなければダメなんてことは全くない。
 でも日本社会では学歴がとやかくささやかれるのは確かである。
 かくいう私は明治大学商学部を昭和40年に卒業している。大学で多くのことを学んだと胸を張って言えないが、一応最終学歴は大学卒業である。明治大学は超一流の大学ではないが、まあまあの大学と自認しており、そこを卒業しているので学歴そのものに対するコンプレックスはまったくといってよいくらい持ち合わせていない。
 しかし、もし私が大学を卒業してなかったら、最終学歴に対するこだわりを結構持っていたかもしれない。

 学歴に対するこだわりということで思い出すのは、少し以前の話であるが、S県にあるソニーの子会社の社長になったN氏のことである。私はN氏とそれほど親しい関係ではないが、この会社の総務部長をしていたO氏とは親交があり、そのO氏から聞いた話であるが、N氏が社長就任直後、地方紙の記者が今後の経済の見通しも含めてどのような方針で会社を運営していくつもりかを聞きたいということでインタビューに来たという。 N氏はその取材に快く応じ、自分の抱負を闊達に話し、記者もいい記事ができたと満足して帰った。その後、記者が「記事構成上、最終学歴を聞かしてほしい」と言ってきた。 N氏は「私の学歴なんてどうでもいいではないか」と言う。しかし、記者は「最終学歴を載せるのは通例になっているので、ぜひご協力いただきたい」と懇願するものの、N氏はどうしてもイエスとは言わない。 一応引き下がったものの、あきらめきれない記者は総務部長のO氏に「社長さんはなぜか最終学歴を明かしてくれない。なんとか教えてもらえないでしょうか?」と頼み込んできたという。社長であるN氏が明かさないものを部下が勝手に明かす訳にはいかない。 O氏にはN氏がなぜ最終学歴を明かすことに躊躇するのかはある程度分かっていた。 というのはN氏の最終学歴は都内の○○中学卒業であり、N氏は自分が中学卒業だけであることを恥じているふしがあったからである。 N氏は昭和××年、中学を卒業後ソニーに入社し、製造現場での目覚ましい活躍を買われて、昇進昇格を果たし、本社の部長から子会社の社長になったというキャリアの持ち主である。そんなに恥じることはないとO氏には思えるが、当人は中卒であることを知られることを大変嫌がっており、O氏の説得にN氏は「どうしても学歴を載せなければならないのであれば記事はボツにしていただいてもいっこうに構わない」と言い張り、とうとう幻のインタビューになってしまった。
 O氏は「両者の間に入って苦労しました。Nさんはなぜあんなに学歴を知られることを嫌がるのかなぁ?」と私に問い掛ける。
 N氏が中卒という学歴を明かすことになぜこだわりを持つかは高校、大学を順調に卒業したO氏には理解できない部分があるかと思うが、私にはN氏の気持ちがよく理解できた。
 私はN氏同様、中学を卒業して、町工場に勤務した。O氏とは異なり、定時制高校に進学、そこから明治大学商学部に入学し、そこを卒業するという道を歩んだ。
 この経歴は恥ずべきものではないにも関わらず、私もN氏同様、自分が中学を卒業して就職したことを明らかにすることに躊躇した経験がある。
 それは私が一番最初に出版した『問題解決の技術』(日本実業出版社)という本のラストに著者略歴を書いてほしいと出版社から依頼されたが、この時、中学卒業してマルヤス産業(現マルヤス機械)に入社したという事実を書くべきか否かでしばらく迷った。
普段、私の講師プロフィールは「昭和40年、明治大学商学部を卒業、リコー、ソニー等に勤務、その後独立して研修講師となり、これまでに東芝、日立、NHK、シャープ等の企業の幹部社員の指導をしている」というような内容にしており、最初はその通り書くつもりであった。 履歴書ではないから多少の省略があっても罰せられることはない。ただ、その前年、縁があって古巣のマルヤス機械という会社で研修をしたばかりで、その研修の際、この会社の皆さんに歓待してもらったことを思い出した。もし、著者略歴欄に中学を卒業して入社したマルヤス機械を省略してあったら、かつての同僚、上司はどんな思いをするだろうか。この人達はきっと(今井は調子のいいことをいっていたが、ウチで働いていたことを恥ずかしく思っているのだ、仲間だと思っていたがそうではなかった)と落胆するのではないかと考えてしまった。考え過ぎといえばそれまでだが、やはり省略せずに書くべきではないかと考えた。
 そのように書こうと心に決めたものの、まだ多少の迷いがあり、その当時、仕事を手伝ってくれている友人のS氏にその悩みを話すと、彼は「そのような記述をすると、研修講師としての価値にマイナス影響があるかもしれませんね」と言う。
 この言葉で迷いがふっきれた。 そもそも中学卒業して悪いことをしていたわけではないし、中卒、工員経験があるからといって人を低く見るような方とはこちらがお付き合いをご遠慮すればよいので、次のように正直に書いた。
 「昭和17年東京生れ。昭和32年中学卒業後、マルヤス機械㈱入社。4年間の工員生活を体験後、昭和36年明治大学入学。昭和40年同大学商学部卒業。その後、㈱リコー、ソニー㈱等に勤務………………」と。
 このように書けたのはやはり私が大学に行っていたからである。もしも、私が大学に行ってなかったらN氏同様、「中学卒業、就職した」という事実を隠した確率は高い。 私は大学に進んだものの、大学ではこれといって力を入れて勉強したものはない。自分に責任があることだが、大学は卒業したもの、身に付いたものは正直言ってほとんどない。 大学に行って一番よかったことは何かと問われたら学歴コンプレックスを持たないですんだことである。極端にいえばそれしかないといってよい。

大学を順調に卒業した人はそんなことは考えたこともないと思うが、中学卒業だけの人、高校卒業だけの人から見ると、大学卒業者は相当な勉強をした人であると錯覚している。 もちろん実態は違って大部分の大学卒業者はたいした勉強はしていない。なぜそれが分かるかといえば自分が大学時代そうであったからであり、私の周囲にいた友人も私と似たようなものであったからである。これは明治大学の学生だけかといえば、そんなことはなく、交流のあった他の大学の学生もほとんど同じであった。
  私達の時代だけかというと、現代においても同様であり、我が家の長男はW大学の法学部に行っていたが、私同様、勉強に励む姿はほとんど見かけることはなかったが無事卒業している。私立だからそうかもしれないが、国立だってたいして変わらないと思う。 ただ、文系はそうだが理系は私の次男を見ていると遅くまで勉強していたので多少異なるかもしれないが……………。
 例外はあるとしても、今も昔も文系の大学生はそれほど勉強しておらず、自分自身の体験から、大学卒業しているからといってたいした学問なんか身に付いていないと自信を持って言える。
 しかし、私はそういう実態を知っているから、自分の最終学歴が中学、高校卒業だからといって、大学卒業者に対してコンプレックス持つ必要はまったくないと言えるが、やはり大学生活を経験したことのない人は大学卒業者に対して学歴コンプレックスを持つのはやむを得ないかもしれない。 しかし、大学なんて出ていなくても仕事を立派にこなしている人は沢山おり、前述のN氏が胸を張って「私は中卒です」と言えば、「中卒なのに子会社といえども社長になったのはたいしたものだ」と感心する人の方が多く、軽蔑する人は少ないと思う。

  言うまでもなく、どこの学校を卒業したかという学歴よりもどのようなことができるかという実力の方が大事である。偏差値が最高に高い大学を優秀な成績で卒業したからといって会社の仕事でそのとおり優秀な成績を示すとは限らない。
 いささか古い話で恐縮だが、N氏の勤務先であるソニーの社長・会長であった故盛田昭夫氏が昭和41年、『学歴無用論』と題する著書を出して、そこで、「いったい学歴とはどういう意味、価値を持つものなのか。会社は激しい過当競争のさなかにあって、実力で勝負しなければならないというのに、そこで働いている人は、入社前に教育を受けた『場所』で評価されるというのは、どう考えても納得がいかない」と言い、さらに「その人が、どの大学で、何を勉強してきたかは、あくまでもその人が身に付けたひとつの資産であって、その資産をどのように使いこなして、どれだけ社会に貢献するかは、それ以降の本人の努力によるものであり、その度合いと実績とによって、その人の評価が決められるべきである」と述べている。 盛田氏の言われる通りであると私も思う。
 あの人は中卒だとか、高卒だとかと学歴にこだわるのはおかしいことであると思う。 私の講師仲間には高校を卒業後、すぐ就職して、その勤務先で与えられたチャンスを生かして、社内講師として通用する力量を身に付け、会社を辞めてプロ講師となり、すばらしいとの評価をいただいている人が沢山いる。
 今と違って私と同世代の人達は大学に進学できた人はわずかであり、一流大学に十分入学できる位の成績優秀な人が普通高校ではなく、工業高校、商業高校に進み、卒業後就職した例は多い。N氏や私のように昼間の高校には進学できず中学卒業で実社会に出た人もいる。
学歴は商品のラベルであると言った人がいるが、まさしくその通りで、大学を卒業しても大いに学んだ人はそれほど多くなく、大学にこそ行かなかったが実社会で大いに学んだ人は沢山いる。大学に行けなかったからといってコンプレックスを持つ必要はまったくないと私は言いたい
posted by 今井繁之 at 10:05| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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