2018年11月20日

ぶれないで生きたい


 私の大好きな作家飯島和一さんが最近書かれた「星夜航行」というタイトルの長編小説を読んだ。上・下巻合わせて1100ページというボリュームのある本だが、実に読み応えのある作品である。朝日新聞にこの小説の紹介があり、「思った通りにならなくても、信念を曲げず、まっすぐに生きていけばきっとよい人生がひらける、そんな希望を示してくれる大著である」とあった。そして著者の飯島さんの言葉として「星は雨や曇りの日には見えませんが、一定の軌道で動きます。人生には変転がありますが、どんな立場になっても心の指針がぶれなければ、きっとよい人生を過ごせるんじゃないかと思う」とあった。
 全くその通りであり、心の指針がぶれないで生きていけたら幸せであると思っている。

 この本を読んだ数日後、朝日新聞の夕刊の『左遷をたどってⅡ』にライフネット生命保険創業者の出口治明さんが立命館アジア太平洋大学の学長に就任したという記事を目にした。その記事を読んで、この出口さんは正しくぶれない人生を歩んでいると感じた。
 出口さんは以前、日本生命保険で働いており、55歳の時、国際業務部長からビル管理会社に出向となった。友人には「ひどい左遷人事だ」と怒る人がいたという。
 出口さんは国際業務部長であった1996年、少子化で縮小する国内市場の代わりに海外での売り上げを拡大する目標を掲げた計画を策定して、経営陣もこの計画を支持してくれたという。ところが翌年、社長が替わり、新社長は「今は国際化は不要。国内に注力する」という方針を出した。出口さんは新社長に国際展開の必要性を訴えたが、その訴えは新社長に受け入れてもらえなかった。社長の側近から「社長は怒っている。すぐ謝れ」と連絡が入ったが、出口さんは何もしなかったという。出口さんは「僕は自分の腹に落ちたことでしか行動できない。間違っていました、と言わなかった瞬間に人事の流れは決まったのです」とたんたんと振り返る。
 もう生保の仕事には戻らないだろうと考え、出向先で、次世代への「遺書」として「生命保険入門」を書き、出版。それがネット生命保険の創業につながったという。
 出口さんは「人生は自分が考えている通りに動きません。変化に柔軟に適応し、その中で楽しく生きた方が実利的です」という。今回もそのような考え方で依頼された大学の学長に就任したという。
 前述した作家の飯島和一さんの言葉と同じで、実に爽やかなぶれない生き方である。

 私は出口さんに及びもつかない人間だが、私なりにぶれない生き方を願って生きてきた。 
 今までの人生で一瞬ぶれそうになったが、ここはぶれてはいけないと自分に言い聞かせたことがいくつかある。
 そのうちの一つであるが、もう40年近く前のことであるが、私はソニーの子会社である桜電気(現ソニーイーエムシー木更津テック)という会社に勤務しており、この会社の創業者でもあり、当時、社長をしていた鳥山さんに可愛がっていただいていた。ところがこの鳥山さんが事故に遭い急死した。後任にソニー本社のラジオ事業部の事業部長をしていた西村好範(仮名)という方が社長として就任して来た。なかなかやり手の方という評判だった。しばらくしたら、その西村さんから「ちょっと話したいことがあるから来てくれ」と呼ばれた。雑談を少ししてから、「ところで労働組合ができたら君はどうする?」と聞かれた。当時、私は人事・労務部門を統括する総務部長であった。
 「労働組合ができないように努めます」
 「君は何を呑気なことを言っているのだ! いつできたっておかしくない時代だぞ!」 
 「いや、今までも従業員の声に耳を傾け、良好な労使関係を築いて来ましたので、当社では労働組合はできないと思いま  す」
 「それは甘い。もっと真剣に考えなければ駄目だよ!」
 「いや、これまでも鳥山社長は従業員の代表とは定期的な会合を持ち、要望を聞き、できることはやり、できないことはどうしてできないかを説明して、納得してもらってやってきましたので組合を作ろうという動きはありません。私も鳥山社長を補佐して従業員の要望に真剣に耳を傾けて来ました。これからもそういう姿勢で対処したいと思っています」
 「どうも君は性善説に毒されているようだ。君はどこかに行って勉強して来たほうがいいと思うよ」
 「生意気を言って申し訳ありませんが、そもそも生善説に立たなければ信頼関係は構築できないと思います。私はこの会社のことはよく分かっているつもりです。」
 「分かった。もういいよ」

 そもそも労働組合ができるのは賃金を不当に低くして働く人の努力に正当に報いようとしない、あるいは公正・公平な扱いをしないことにあり、もしそんなことがあれば労働組合は必要であると思う。私の勤めた桜電気は労働条件はソニー本社に比べれば劣ったが、それでも労使が対立するような場面はほとんどなかったといってよい会社であった。
 私はこの会社に入社して、最初は経理の事務職に就いたが、しばらくしたら鳥山さんから人事・労務関係の責任者の仕事を任された。従業員の代表と社長が定期的に意見交換する経営協議会という場があり、私はその事務局を務めるようになった。私は額に汗して働く人の努力に正当に報いるべきだという考えをしており、経営協議会の開催前に鳥山さんと話して、「もっと賞与支給額を上げるべきだ」という話をして、鳥山さんから「君は組合の委員長みたいだ」と言われることがしばしばあった。
 桜電気は従業員200名強の中小企業であり、私は入社して数年で管理職に登用された。私を生意気な人間と見る先輩社員もいたと思うが、多数派の生産現場の皆さんとは仲良くしており、私なりに従業員の皆さんの信頼を得ているという自負心があった。
 また鳥山さんを始めこの会社の役員の皆さんは決して高給取りではなく、真面目に働いてくれる従業員にできるだけ報いようとする素晴らしい人間性の持ち主であった。業績が良くなく、従業員に十分報いることができない時も、鳥山さんは実情を率直に話し、従業員の皆さんに理解してもらって来た。「組合を作ろう」という話は聞いたことはなかった。
 今までの自分達の路線が間違っていないという自信があったから、本社の事業部長でもあり、実力者である社長の西村さんに対して臆することなく堂々と反論できたというわけである。
 西村さんの期待に添うような答えをしなかった私は、しばらくしたら総務部長の職を解任されて、閑職に回されたが、生来呑気な性格のお陰でそれほど落ち込むことはなかった。

 私淑していた鳥山さんはいなくなった段階でこの会社は辞めようと思ったが、辞めても実力がなければ安売りをしなければならないので、閑職に回されたのを機に社外の各種セミナー等に参加して実力をつけるべく努めた。幸いなことに、西村さんはすぐ社長職を解かれて、本社に戻り、新たに岩城 賢さんという方が本社の経営企画部長兼務で社長として就任して来た。
 その方から「君のことは鳥山さんが存命中に聞いていた。鳥山さんは君のことを『生意気なところはあるが優秀な人材である。井の中の蛙になっているところも多少あるので、機会があれば本社で鍛えていただきたい』と言われていた。よかったら本社に異動しないか? 研修の社内講師に欠員があるので、それをやってみなさい」と勧められて本社に異動することになった。
 この時、「捨てる神があれば拾う神あり」を実感した。

 サラリーマン時代、西村さんとの対立?以外にも、いくつか上司の指示に対して、自己主張をして、上司を敵?に回したことがある。おおむね、ぶれることなく己の存念に忠実に行動したので、私がトップになることは絶対ないと思っていた。
 数年後、私はソニーグループの会社を辞めることにした。辞める決心がついたのは、ソニーで社内講師を数年勤めて、講師として何とかやれるという自信がついたからである。 
 サラリーマンを辞めて研修講師の仕事をするようになってから、ぶれることがまったくなかったかというと、そうでもない。お客様選択の段階で多少ぶれることはあった。そのような時はセオドア・ソレンソンの「良心に恥じぬということだけが我々の確かな報酬である」という言葉を自分に問いかけて、自分の意に添わないところはお断りしてきた。
 飯島さんや出口さんの言葉にあるような立派な生き方をして来たかと言われると、あまり自信はないが、それでもぶれることのできるだけ少ない人生を志向して生きてきたといえる。

posted by 今井繁之 at 16:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

有難いお叱りの言葉


 人間を何十年もしていると、色々と失敗することがあり、その都度、親や先輩や上司からお叱りを受けるかと思う。
 私も人間が至らないので、若いころ、何かとお叱りを受けた。そのお叱りがその後の人生で生きたのでよくぞ叱ってくれたと感謝している。
 お恥ずかしながら、そのお叱りを二つほど紹介する。
 先般、私がかつて勤務していたソニーの子会社で一緒に仕事をしていた石田秀一(仮名)さんという方が亡くなったという訃報が届いた。仕事の関係で葬儀には顔を出すことができなかったが石田さんのいた木更津の方向に向かって深く頭を垂れて黙祷を捧げた。
 石田さんは私より5歳ほど年上で、生産技術部の部長をしていた。年下の私を可愛がってくれて、私が議長役を務めていた週一回の部長会議の席上でも何度も助けていただいたことがある。
 その石田さんから「今井さんがそんなことをいったら駄目だよ・・・」と注意されたことがある。何のきっかけであったかは忘れてしまったが、石田さんを含めて何人かの人達と歩きながらおしゃべりしていた時に、私が深く考えずに軽口を叩いた時に石田さんの口から出た叱責の言葉であった。私はどのようなことをいったか覚えていないが、言った自分もまずいことを言ってしまったなぁと悔やんでいた時に、石田さんが私だけに聞こえる声で私をたしなめた時に言われた言葉であった。
 石田さんは日頃からいい加減な男である私を大変買ってくれていた。買ってくれたというのも変な表現だが、石田さんは何かあると「今井さんはいい」と言って褒めてくださり、「今井さんはもっと偉くなるのを皆、期待しているよ」と言って励ましてくれた。
 その私が不用意に石田さんを失望させるようなことを言ってしまったのである。
 自分でも恥ずかしく思っていたが、石田さんの口から「今井さんがそんなことを言っては駄目だよ」という言葉は、私のその後の言動にも大いに影響を与えて、周りの人を失望させるような軽口を利いてはいけないという戒めになった。
 私がこの会社を去った数年後、研修講師の仕事をするようになったことを知らせた時、「今井さんはたいしたものだ。いつかは今井さんがそんな風になるかもしれないと思っていたが、その通りになってくれた。ありがとう」というお褒めのお手紙をいただいた。
 ここ数年、石田さんと親しくお会いする機会はほとんどなくなったが、年賀状のやりとりをしており、年賀状にはいつも励ましの言葉があった。何年経っても、「今井さんがそんなことを・・・」と言って、私をたしなめてくれた石田さんの言葉は忘れない。

 二つ目は「人を責める前に自分の無知を責めなさい」という言葉である。
 この言葉は私が30代の後半、ヒューマンアセスメントのアセッサー養成コースという社外研修に参加した時、一緒に参加していた高橋さんという方に言われた一言である。
 講師がやたらと横文字を使うのに閉口した私が、このコース終了後の懇親会の席で隣り合わせた私よりはるか年配、50代の後半と見受けた高橋さんに「いやぁ、あの講師の横文字の乱発には参りましたねぇ。横文字をわざわざ使わないで日本語でお願いしたいものですねぇ」と話しかけた。私より年配者だからこの人も講師の横文字の多さに閉口して 「まったくその通りですねぇ」という返事が返ってくると思ったら、高橋さんは「あなたは私よりはるかに若い。そのあなたが横文字が多いといって講師を責めるのはおかしいよ。その横文字の意味を知らない自分の無知を責めなければいけません。分からなかったら辞書で確認すればよいではないですか」と言う。その言い方に一瞬、反発を感じたが、確かに高橋さんの言われる通りである。
 高橋さんは「分からない言葉が出てきたら書き留めておいて後で辞書で引けばよいのです」と言う。そう言われる高橋さんの傍らに国語辞典と英和辞典があった。
 後日、高橋さんからこの時の立派な講義録が送られてきた。そこには私が分からなかった横文字に日本語の意味が付してあった。素晴らしい講義録を前にして私は恥ずかしくなった。
 「己が無知であることを恥ずかしいことだと思いなさい」という高橋さんの言葉は私のその後の生き方に大きな影響を与えた。
 自分が理解できない言葉を使われたからといって、使った相手を責めるのではなく、分からないのは己がよくないのであると自分に言い聞かせて、何らかの手段で自分で分かろうとする努力を惜しまないようにした。辞書を必ず持ち歩くようになった。
 分からないことの大半は辞書を引けばどこかに出ているものである。
 高橋さんが言われた「分からないことがあったら分かるように自ら努力しなさい」という教えがなかったら、私は自分の勉強不足を棚に上げて他人を非難していただろうから私にとっては大変有り難い言葉であった。
 高橋さんからいただいた名刺の肩書きはNTT、当時は電々公社であったかと思うが都内にある支店長というものであった。
 講義録をいただいた時はお電話でお礼を申し上げたが、その後は疎遠にしており、今現在、どこにおられて、そもそも存命かどうかも分からないので、お会いして「高橋さんの教えのお陰で少しは利口になることができました。ありがとうございました」とご挨拶できないのは大変残念である。

 この二つ以外にもいくつもお叱りを受けたり、指導を受けたりしたことがある。
 そのように叱ってくれる人に恵まれたお陰で今日まで研修講師としての仕事を続けることができたので感謝、感謝、感謝である
posted by 今井繁之 at 16:26| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年10月17日

『平和を守る』は我々大人(おとな)の責任


 時々、子供たちの鋭い発言にびっくりすることがある。
 好ましくないことがあっても、「仕方がない。なるようにしかならない」とあきらめているところに、子供たちから「しっかりしてください」と檄を飛ばす発言があり、その都度、いい大人(おとな)である私は子供たちにこんなことを言わせてはいけないと反省する。
 2018年の6月23日、沖縄県で開催された戦没者慰霊の日に浦添市立港川中学校3年生の相良倫子さんが朗読した「平和の詩」に衝撃を受けた。
 ピンと背中を伸ばし、手元の原稿に目を通すことはほとんどなく、目の前の聴衆に向かって読み上げる姿に思わず、身を正したのは私だけではないと思う。
 力強く朗読する姿勢も素晴らしいが朗読された詩の内容も素晴らしいものであった。
 勝手に引用して申し訳ないが、その一部を記すと次のようなものであった。

 私は、生きている。
 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
 心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
 草の匂いを鼻孔に感じ、
 遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 (中略)
 七十三年前、
 私の愛する島が、死の島と化したあの日。
 小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
 優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
 青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
 草の匂いは死臭で濁り、
 光り輝いていた海の水面は、
 戦艦で埋め尽くされた。
 火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
 燃え尽くされた民家、火薬の匂い。
 着弾に揺れる大地。血に染まった海。
 魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
 阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 みんな、生きていたのだ。
 私と何も変わらない、
 懸命に生きる命だったのだ。
 彼らの人生を。それぞれの未来を。
 疑うことなく、思い描いていた人だ。
 家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
 仕事があった。生きがいがあった。
 日々の小さな幸せを喜んだ。
 手をとり合って生きてきた、
 私と同じ、人間だった。
 それなのに、壊されて、奪われた。
 生きた時代が違う。ただ、それだけで。
 無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 摩文仁の丘、眼下に広がる穏やかな海。
 悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
 私は手を強く握り、誓う。
 奪われた命に想いを馳せて、
 心から、誓う。

 私が生きている限り、
 こんなにたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
 もう二度と過去を未来にしないこと。
 全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、
 あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
 生きる事、命を大切にできることを、
 誰からも侵されない世界を創ること。
 平和を創造する努力を、厭わないことを。
 (中略)

 だから、きっとわかるはずなんだ。
 戦争の無意味さを。本当の平和を。
 頭じゃなくて、その心で。
 戦力という愚かな力を持つことで、
 得られる平和など、本当はないことを。
 平和とは、当たり前に生きること。
 その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 私は、今を生きている。
 みんなと一緒に。
 そして、これからも生きていく。
 一日一日を大切に。
 平和を想って、平和を祈って。
 なぜなら、未来は、
 この瞬間の延長線上にあるからだ。
 つまり、未来は今なんだ。
 (中略)
 一人一人が立ち上がって、
 みんなで未来を歩んでいこう。

 私はこの相良倫子さんの朗読を目の前で聴いていたら、かつて元内閣総理大臣小泉純一郎氏が土俵に上がって優勝した貴の花に優勝杯を渡す際に「感動した。怪我に耐えてよく頑張った。おめでとう!」と言ったように、私も思わず近寄って「感動した!あなたの詩は素晴らしい!」と言って抱き締めていたかもしれない。
 もちろんそんなことはできっこないが、心の中では相良さんを抱きしめていた。
 これだけの長い詩を全て頭に入れて、目の前の聴衆に向かって堂々と朗読できたのは、この詩の全文を自分で作ったからだと思う。自分で作った詩だから原稿を見なくても、よどみなく朗読できたと思う。
 一部を略してしまい相良さんには申し訳ないが、ご関心のある方はネットで検索していただきたい。

 相良さんの「戦力という愚かな力をもつことで、得られる平和などない」のくだりは、相良さんの目の前で朗読を聞いていた内閣総理大臣の安倍晋三氏は自分のことを言われたのではないかということで、ぎくっとしたのではないかと思う。
 相良さんの素晴らしい朗読の後に安倍晋三氏の心のこもっていない空々しい言葉の羅列のスピーチを聞いてがっかりした。
 心にもないことを喋るには原稿が必要であり、安倍氏が平和祈念の式典で、常に原稿から目を離すことなく、棒読みのスピーチになるのは仕方がないかもしれない。
 
 相良さんの素晴らしい「平和の詩」は新聞、雑誌、テレビで紹介されて相当な話題になると思ったが一部の新聞が取り上げただけであった。
 最近のマスコミは何かおかしくなって来ていると思わざるを得ない。
 NHKを始め、少しでも政府を批判するようなニュースは取り上げないようになり、「新潮45」のようにどう考えてもおかしい主張が喧伝されるようになってきている。
 14歳の少女である相良さんの凛としたたたずまいの朗読を聴いて、どうしたら二度と戦争を起こさなくてすむか、真の平和の時代を築けるかを我々大人が真剣に考えなければいけないということを強く感じた。
posted by 今井繁之 at 10:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする