2019年06月24日

行蔵は我に存す

   
 日本維新の会に所属なのか、大阪維新の会に所属なのか、どちらでも同じようなものだが、「北方領土を戦争で取り戻す」発言で物議を醸した丸山穂高という衆議院議員に対して国会で議員を辞めるようにという糾弾決議が出されたのに対して、丸山議員は「行藏は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず」という幕末に活躍した勝 海舟の言葉で勧告を拒否したということである。
 丸山議員のようなお粗末な人間に自分が述べた言葉が使われて、地下に眠っている勝 海舟も苦笑しているかと思う。
 「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず」は平易な言葉でいえば、「行いは自分のもの、批評は他人のもの、私が知ったことではない」ということであり、換言すれば「何かを実行しようとする者は、雑音に耳を貸すことなく己を信じて歩むのみ」ということである。「行蔵は我に存す」を「行蔵は我にあり」ともいうようである。
 私はこの「行蔵は我にあり」という言葉は大変好きで、成人になってから、何か判断に迷った時に、自分にこの言葉を言い聞かせて、自分の行動を律して来た。
 私はそれほど意固地な人間ではないと思っているものの、時には意に沿わないことには節を曲げてまで膝を屈することを潔ぎよしとしないことがある。
 損な性分だと思うが、こればかりはどうしょうもない。

 サラリーマン生活に別れを告げて研修講師になったのもそのせいと言える。
 私は今から30数年前、埼玉県坂戸市にあったソニーボンソンという会社に勤務していた。その会社で私の前任地であるソニー木更津という会社から「出向」の形で、この会社に来ていた私の長年の友人である赤荻敏治氏の処遇を巡って、私の上司である北島さんというこの会社の社長と意見が対立したことがある。
 赤荻氏は出向期間2年という約束で、この会社の資材管理部の立て直しのために来てもらっていた。この出向には私が密接にからんでおり、ソニー木更津の社長である田村さんという方との間で、2年の出向期間を終えたら、赤荻氏はソニー木更津のしかるべきポストに迎え入れるという約束で出向してもらっていた。
 赤荻氏の努力もあって資材管理部の業務の整備は順調に進み、彼は満2年を迎えたら、ソニー木更津にカムバックできると思っていた。私は、北島社長に赤荻氏の出向期間がもう少しで終わることを告げた。すると、北島社長は君は何を言っているのだという調子で 「2年経ったら木更津に戻すなんて昔の約束だ。赤荻君には引き続きウチで働いてもら おうじゃないか。君からそう話しておいてくれ。何かまずいことでもあるか?」
 「いや、彼は2年の約束で家族を木更津に残して単身赴任で来ているんです。期間を延 ばすのはうまくないです。約束違反になります」
 「人事ではこの程度の約束違反はよくあることだよ。君が話せないなら俺から話そう」 「いえ、この出向はソニー木更津の田村社長も一枚噛んでいますので、田村社長と話を してください。約束は守るべきだと思います」
 「実は田村さんとはすでに話がついている。田村さんは『そちらで必要でしたらどうぞ お使いください』と言ってくれている。今更木更津に帰っても、適当なポストがないと も言っている」
 「本当ですか。それはないですよ。一応、赤荻さんの気持ちも聞いてみます」

 そういうやりとりがあり、私は自席に戻り、赤荻氏の意向を確認すると、当然のことであるが、彼は「木更津に戻りたい」と言う。
 そこで、その日の夜、ソニー木更津の田村社長に電話して北島さんが私に語ってくれたことの真偽を確認すると「今井さんには申し訳ないが、北島さんの言われる通りだ。こちらに戻って来ても適当なポストがない」と言う。「それはないです。私は赤荻さんにウソをついたことになります。男の約束を守ってください」と言うと、「分かりました。何とか考えてみましょう。またご連絡いたします」と言うので、その日は一安心してぐっすり眠ることになった。
 翌日、出社すると、北島さんが「今井君、こっちに来てくれ!」と社長室に呼ばれた。 普段は「今井さん」だが、この日は「今井君」だった。社長室に入ると北島さんは顔を真っ赤にしてつかみ掛かるような調子で私に話す。
 「君は昨夜、ソニー木更津の田村社長に電話しただろう。余計なことをするな!」
 「いや、私は当初の約束を確認しただけです。一度交わした約束は守って欲しいとお願 いしただけです」
 「それが余計なことだ。君はいつから社長になったのだ。田村社長は君からの電話に大 変困惑したということだ。二度と電話させないでくれと頼まれた。だいたい君は俺の部 下だ。俺が指示したことを忠実にやってくれればいいのだ。下らない理屈は言うな」
 「確かに私はあなたの部下ですがこの決定はおかしいと思います」
 「青臭いことを言うな!」
 この後、北島さんの「人事権は俺にあるのだ・・・・」といった理屈にならないようなことを話すのを聞き流しながら、一度交わした約束を破ることを恬(てん)として恥じないこの人と、これ以上、話しあっても無駄だと思い、「分かりました」と言って引き下がることにした。
 北島さんは苦労人ではあったが、人格的には尊敬できる人物ではなかったので、このようになるのは仕方ないとしても、「考えた上で連絡します」と約束したのに関わらず、北島さんに「今井には電話させないように」と依頼したソニー木更津の田村さんの変身ぶりには失望した。田村さんに再度電話しようかと思ったが、状況は変わることはないだろうから止めることにした。
 その日は寝床に入って自分の言動は間違っていなかったかどうかを自問自答した。そして、(私は間違っていない。間違っていないと思うことを主張しても容れられないこの状況から脱するべきだ。そろそろこの辺りで生き方を変えよう)と思った。

 数日後、再就職先を見つけた私は北島さんに退社の申し入れをした。「先日の件を根に持っているのか?」と聞かれたが、「自分は45歳までの間にサラリーマン生活にサヨナラをしようと思っていたので、いい機会を与えていただき感謝しています」とだけ告げた。 この時の私の年齢は満44歳であった。
 北島さんに告げた後、この会社への異動の世話をしてくれたソニー本社の人事部長の高橋敏夫さんにも退社する旨を伝えた。高橋さんには引き止められ、ソニーグループの他社への異動を世話すると言われたが、「行蔵は我にあり」と言う言葉こそ出さなかったが、慰留はありがたいが、自分が正しいと思ったことを貫くことができないサラリーマン生活をこれ以上続けたくないと話して他社への異動の話は丁重にお断りした。
 約束を守ることができず迷惑をかけてしまった赤荻氏には私の力不足を詫びた。

 我を通してばかりでは何かと損することは多いと思うが、どうしても譲れないことがあり、我に「理」(ことわり)があると思ったら大いに主張するべきであると思う。
 正しいことをねじ曲げるようなことに反対して、「青臭い」と言われても「青臭い 大いに結構」と開き直って自己主張するべきである。
 主義主張だけでなく、生き方だって、人に迷惑をかけないのであれば、「行蔵我にあり、毀誉は他人の主張、我に与らず」と正々堂々と歩むべきである。
 サラリーマン生活に別れを告げたが、その後の人生で、自分の思うところというか、存念というか、それが受け入れてもらえない場面は多少あったが、ささいなことであれば妥協したが、肝心の場面では我意を通して生きてきた。よって後悔することの少ない人生を歩むことができたので、「行蔵は我にあり」を通して来てよかったと思っている。










posted by 今井繁之 at 12:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年06月18日

相手を戸惑わせない名乗り

 

 最近はメールで用件を伝えることが増えたが、メールアドレスが分からなければこれまでと同様、電話で用件を伝えることになる。                     
 用件を伝える際、先ず、自分がどこの誰であるかを相手に伝えるかと思うが、その名乗りがうまくいかないことが時にはある。         
 以前、作家の故城山三郎さんが書かれた作品「打たれ強く生きる」の中に元内閣総理大臣の故福田赳夫さんからお電話をいただいた時のエピソードが紹介されていた。     福田さんは大変気さくな方だと思うが、ご自宅から家人を通さず、直接、城山さんに電話を入れたようで「福田ですが」と話し始めると、電話に出た城山さんの奥さんにとって聞き覚えのない声だったので「どちらの福田さんでしょうか」と聞いた。福田さんは「ソーリの福田です」と名乗ったという。城山さんの奥さんは「ソーリの福田さんというひとからですが・・・」と訝しげな表情で城山さんに受話器を渡した。城山さんはソーリの福田さんとは誰かな?と思いながら受話器を取った。一瞬、内閣総理大臣の福田さんの顔を思い浮かべたが、福田さんとは以前、ある会合でお会いしたことが一度だけあったきりであり、まるで付き合いがない。
 いくらなんでも現職の総理大臣から電話があるなんてと思わず電話に出ると、なんと、その総理大臣の福田さんだった。城山さんは「大変失礼いたしました」と謝ったという。
 福田さんの用件は、城山さんが「黄金の日々」というタイトルの作品を書くために、堺の古い歴史を調べていることを知り、堺に旧知のお寺さんがあり、そこを紹介しましょうかという電話であったということである。
 福田さんは「自分は現在、内閣総理大臣をしている福田です」と名乗ると相手に威圧感を与えるかもしれないと考えて、そこで遠慮気味に「ソーリの福田です」と名乗ったものと思われる。
 社会的に地位のある人であっても、どこどこのだれそれとフルに言っていただけるとお互いに助かるかと思う。

 有名人であると、姓を名乗っただけで相手に分かっていただけると思う人がいる。
 以前、何かの雑誌に出ていたが、世界のホームラン王の王貞治さん(現福岡ソフトバンクホークス取締役会長)がプロ野球ダイエーホークスの監督をされていた時に、ヤクルトスワローズの投手コーチを辞めて浪人中の尾花高夫さんという方に投手コーチをお願いしようということで電話を直接されたという。
 王さんは電話口に出た尾花さんの奥さんに「王と言いますがご主人はおられますか?」と聞いたと言う。奥さんは、どちらの王さんですか?とは聞かないで、ご主人の尾花さんに「あなたに電話です」と言って、受話器を渡したという。王さんは「王ですがお願いがあります」と話し始めたが、尾花さんは警戒?して「どちらの王さんですか?」と聞いたということである。王さんは「これは失礼いたしました。ダイエーホークスで監督をしている王です」と名乗った。名乗られたところで尾花さんは相手が「世界のホームラン王」の王さんということが分かり、「大変失礼いたしました」と平謝りに謝られたということである。
 王さんは人格的に優れていると定評のある人なので、同じ業界(プロ野球界)の人間ということで、分かってくれるだろうと考えて、姓だけを名乗ったと思うが、所属とフルネームを語った方がよかったかもしれない。

 ただ、勤務先名あるいは所属先をストレートに名乗った場合、先方が戸惑われる、あるいは不安に思われる場合があるので注意した方がよい。
 以前、私のところに「こちら京都地検です」と名乗る電話が入った。
 私は一瞬、京都で何か悪いことをしたかなぁと思ってしまった。
 不安を感じながら電話に出ると、「私は大津地検の知り合いから紹介されたのですが、『ホウレンソウ』の講演をお願いできないかと思い、お電話を差し上げました」と言われて一安心した。
 大津地検の名前が出たところで、1年ぐらい前に大津地検から講演を依頼されたことがあり、その時、「他の地検にも紹介したいと思いますのでその節はよろしくお願いします」と言われたことを思い出した。

 地検だけではなく、「警察です」と言われても不安を感じる人もいるかもしれないので、「○○警察ですが」と名乗るのは止むを得ないが、「○○警察ですが、××の件でお知らせしたいことがあります」という具合に名乗りの後に用件名をすかさず添えると、用件名にもよるが相手の不安はなくなるかと思う。

 とにかく連絡相手の心情にも心を配って、名前、勤務先名・所属先、及び用向きを簡潔に伝えれば相手に要らざる心配をさせなくて「あの人は気が利く人だ」ということになるかと思う。  
posted by 今井繁之 at 11:45| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2019年05月28日

許しがたい読み間違い


 あまり大騒ぎになっていないが、平成最後の日の4月30日に行なわれた“退位礼 正殿の儀”で安倍内閣総理大臣が述べた『国民代表の辞』で「天皇皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」と言ったということである。
 私はその記事をネットで見た時は、安倍晋三氏は日頃から、平和を希求し、災害の被災者に真摯に寄り添う天皇陛下・美智子様のことを疎ましく思っているという噂があるので、一瞬、本音でそのようなことを言ったのではないかと思ったが、いくら何でもそれはないだろうと否定した。
 しかし、「願っていません」と言ったのは事実であり、安倍晋三氏がなぜそのようなことを言ってしまったのかというと、手元の原稿には「末永くお健やかであらせられますことを願って已(や)みません」とあったが、「已みません」の「已」には振り仮名が付いていなかったため、「願って已(や)みません」と読めなくて、「願っていません」と読んでしまったということである。
 事務方は森羅万象、何でも知っていると豪語する安倍氏なら振り仮名をつけなくても正しく読めると思ったのではないかと思う。
 安倍氏は『国民代表の辞』を途中まですらすらと読み進んで来たが、「願って已みません」のところで、「已」を「や」と読めずしばし詰まってしまった。「已」は「い」とも読めるので、(何か変だなぁ)と思いながら、「願っていみません」と読むのもおかしいと思って、思わず「願っていません」と言ってしまったようである。
 でもこの言葉を耳にした天皇陛下、美智子皇后はびっくりされたことだろう。
 「願って已(や)みません」と「願っていません」では180度違う。
 今回のことは「已」(や)は自己の「己」(おのれ)と、12支の巳年の「巳」(み=へび)と大変似ており、間違いやすい漢字といえばその通りであるが、事前に読み合わせをしていて、安倍氏が「俺はこの字を読めないが、已は何と読むのか?」と確認しておけば、事務方から「それは『や』です」と教えてもらえたと思う。
 已(や)の字を何と読んでよいか戸惑ったら、前後の文章から、当意即妙にあっさり「願います」と言えばよかったのにと思う。でも、そのような当意即妙はやさしそうで難しい。

 不思議なことに今回の誤読の件は主要新聞やテレビで取り上げられることはまったくない。
 安倍氏が直接、官邸HPから映像を削除しろとかマスコミ対策をしろと命令したわけではないと思うが、いつものようにお付きの人達が安倍氏に忖度して大急ぎで証拠湮滅をはかり、NHKを始めマスコミに対してもニュースとして報道することを固く禁じたものと思われる。
 日本国には報道の自由があると思っていたが、現在の安倍内閣の下ではそのようなものは存在しなくなっているのかもしれない。

 今回の読み間違いは戦前だったら切腹ものだと思う。
 安倍氏は「願っていません」の部分は声を落として言ったので誤読は露見しないと思ったのかもしれないが、やはり悪事?は露見してしまった。
 私だって怒るが、右翼の皆さんは大変なお怒りになったようである。右翼団体の一水会は公式ツイッターに「安倍氏が願っていませんとやってしまったことは仕方ないが、それを糊塗しようとして、官邸HPから映像削除したことはよくない、潔く字を間違えたことを認め不見識を謝罪せよ」と投稿した。
 一水会の主張はもっともであるが、その後、公式に謝った様子もなく、首相官邸の前で大音響で「切腹しろ」と責めているという話もないので、どうなったのかはまったく不明である。
 ネット上では「字が読めないことより、こんな人生最大の舞台で間違えないよう、読み合わせぐらいはきちんとしてくるべきだ」、「極めて厳粛な場で、自身で原稿を作成せず、読む練習すらしていないのはけしからない」と批判されている。

 重要な文書を読むような時はきちんと読み合わせをして間違いのないようにしなければいけない。
 森友問題にしても加計学園問題にしてもウソのオンパレードで乗り切ったが、この読み間違いで天皇陛下・美智子様に不快な思いをさせたことも、なかったことにして乗り切るつもりなのだろう。
 安倍氏の仲良しの麻生元総理大臣も未曾有を「みぞうゆう」と読んだり、怪我を「かいが」と読んで失笑を買ったが、安倍氏も漢字の読み書きは得意ではないようである。
 これまでも云々を「でんでん」と読んだり、背後を「せご」と読んだということである。 やはり子供の頃、読書に親しむとか漢字の読み書きをしっかり勉強することを怠った付けが出てきたということだろう。
 安倍氏はこの先、まだまだ日本国の最高権力者として君臨するつもりだろうから、読み書きが不得意であれば、重要な挨拶文には振り仮名をつけてもらうか、事前の読み合わせをきちんとして、恥をかかないように準備をおさおさ怠らないようにするべきである。

 それとまだ若いのだから読み書きの勉強をするべきである。
 戦前から戦後にかけて学習院の院長を勤めた元海軍大将の山梨勝之進さんは、米寿(88歳)を迎えた時、お祝いの贈り物に何がいいかと聞かれて、「ブリタニカの百科事典がいい」と答えたそうである。
 実に向学心の旺盛な方であった。
 安倍氏に限らず私達も山梨さんを見習って、分からないことが出来るだけ少ない大人になるために絶えることなく勉強をしなければいけないと思う。


posted by 今井繁之 at 15:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする