2021年02月09日

会社勤めは好きだった

 
 私は長年勤務していた会社にサヨナラして研修講師の道を歩んだが、時折、「会社勤めは嫌いだったのですか?」と問われることがあるが、答えは「ノー」である。私は組織に課せられた目標をクリアすべくお互いに力を合わせて作業するという会社勤めは好きだった。       「すまじきものは宮仕え」なんてことも言われるが、組織の一員として仕事をするのはつらいことばかりかといえば、そんなことはなく、楽しいことも結構あるのではないかと思う。                                      
私は体を動かすことは苦にしない質なので、肉体的に多少きついことがあってもそれに音をあげて会社勤めを辞めようと思ったことはほとんどなかった。            会社勤めを辞めたいと思ったのは自分が正しいと思ったことが堂々と主張できず不本意ながら上司の指示に従わざるを得なかった時である。
 若かったと言われれば確かにそうだが、上司の指示は間違っており、間違った指示を唯々諾々と聞かなければならない場所にこれ以上、自分の身を置くべきでないと考えて会社は辞めたが、でも総じて言えば会社勤めはつらいことより、楽しいことの方が多かったような気がする。
 私はソニー及びその子会社に通算すると約20年間勤務したが、その会社勤めで何が一番よかったかというと仕事で共に汗を流して、仕事が終わった後で、その仕事仲間と他愛もない話をしながら酒を酌み交わすという場面がいくつもあったことである。そこでは上司と部下との垣根を越えて人間同士の語らいがあった。気持ち良く酒を飲み「今日はお疲れ様でした。明日もまたよろしく」と言葉を交わして散会することがしばしばあった。
 もう40年近く前になるが、今でも鮮やかに覚えている場面がある。
 私が木更津にあるソニーの子会社に勤務していて、その会社の総務部の責任者をしていた時の話であるが、ある日、ソニー本社から「従業員に限り、大型テレビを市場価格の半値以下で販売する」という案内が来た。
 売れ残ったのでこのような形で従業員に自社製品を斡旋することは何回もあり、この時も部下が作成してきた販売のお知らせの文章によく目を通さず許可印を押してそれを社内に掲示してもらった。
 どの程度の申し込みがあったのかも確認もせず、そのこと自体も忘れていたお盆明けのある朝、資材部の責任者から次のような電話が入った。
 「本社から大型テレビが今井さん宛てに200台ほど送られてきて、資材置き場がいっぱいになってしまった。早いところどこかに持って行ってもらわないと仕事にならないので大至急何とかしてほしい」
 急いで資材置き場に行くと、所狭しと大型テレビが置かれている。当時のテレビは今と違って大変大きかった。
 私は早速、購入申し込みした従業員向けに「できるだけ早く引き取りに来て下さい」という案内を出すようにと部下に指示した。
 すると部下の一人が「今井さん、従業員向けの案内文書には『配達は総務部が行います』と書いてありますよ」と言う。「そんな馬鹿な、誰がそんなことを書いたんだ」と文句を言っても後の祭りである。
 車に積んで自力で持って行ける人には協力してもらうことにしたが、乗用車には乗り切れないような大きなテレビであり、文書に書いた以上、私共総務部で責任を持って配達するしかない。
 当時の総務部には男性社員が10数名いた。その連中を全員集めて、事情を説明した上で「大変申し訳ないが力を貸してほしい。トラックにテレビを積んで従業員宅に配送してもらいたい」と頭を下げてお願いした。
 集まった部員の中には、(なぜ我々がそんなテレビの配達の仕事をしなければならないのだ)といった不満顔を浮かべる人もいたが、車輛班の係長のHさんが「分かりました。やりましょう」と言ってくれた。
 二人一組でトラックにテレビを積み込み、木更津市内及び近郊にある従業員宅に配達に回った。とにかく大きいテレビなのでトラックに載せられるのは6台が限度である。率先垂範しなければいけないということで私も皆と一緒に配達業務に従事した。道が分からなくて苦労したり、家人が留守のため届けることができなかったりしたが、一番困ったのは、「映るようにしてくれ」というリクエストである。
 土間に置いて受領印をいただいて帰ろうとすると、家の人が「ちょっと待って、電気屋さん。すぐ見たいから映るようにして下さい」と言う。「いや、私共は電器屋ではなく、お宅の娘さんが勤務している会社の者です。届けるだけが私共の仕事で、説明書がありますので、それを見ながら組み立てて下さい」と言っても聞いてくれない。「私共年寄りにはこの説明書はよく分からない。届けた以上責任を持って何とかして下さい」と言われて往生した。いくら事情説明しても聞き分けてくれない場合は、「分かりました。何とかしましょう」と言って、梱包を解いてテレビセットを出して、電源に接続するという作業までやることにした。終わると「ご苦労様。冷たい麦茶があるから飲んでいって下さい」と言われ、お茶をご馳走になったりした。
 午前中に2回、午後3回と真夏のような暑いお天気の中を飛び回って慣れない作業に汗を流した。
 配達業務が終わって皆が揃った夜の8時頃、ささやかな慰安の夕べを開いた。ビールを飲みながら自分達はこんな目に遭った、いや俺達の方がもっと難儀したといった今日一日の苦労話を笑いながら夜遅くまで話し合った。
 大きなテレビを運ぶのは辛かったし、電器屋さん扱いされてなれない作業で苦労したが、職場の仲間がお互いに力を合わせて一つのことに取り組み、成し遂げるといったこのような仕事に従事することは実に楽しいものであった。
 仕事を楽しむという言葉があるが、正しくこの時はそうであった。作業そのものはきつかったが、終わってみると心地好い達成感で私の心は満たされた。
 共に汗を流し、その汗の価値が分かる仲間同士がお互いにその苦労をねぎらうということは素晴らしいことだと思う。

 私はこのテレビ配達以外にもこの会社で職場の仲間と一緒に汗を流すという場面がいくつもあった。いずれも肉体的にはきつかったが楽しかった。
 私は「仕事は好きですか?」と問われたら「好きです」と答えるが、その好きだという仕事は一人でやる仕事ではなく、心の通じ合った仲間と共同して行う仕事である。
 私は夜中、寝ている時、よく夢を見るが、その夢の中に時折、かつての仲間と一緒になって楽しく仕事をしていた場面が出てくる。夢ではあるが実に楽しいひとときである。  研修講師となって、たった一人で仕事をするようになると、かつて皆と一緒になって汗を流して仕事をした日々が妙になつかしい。できることであればそういった生活に今一度戻りたいくらいである。
 作家の黒井千次さんがお書きになった「働くということ」(講談社現代新書)という本の中に次の様な文章がある。
 いつであったか、私は会社がとても好きだ、と語る人に会ったことがある。ぼく自身 は勤めている間中、会社が好きだと思ったことはなかった。おそらく大部分の勤め人は、 心のどこかには自分の使われている企業への嫌悪感や違和感を抱いているに違いない。 それだというのに、あまり明快に会社が好きだと表明されてこちらは驚いた。
 この人は愛社精神の塊か企業意識の権化であるかと疑った。そうではなかった。私は人 と一緒に働くのが好きなのだ、と相手は付け加えた。つまり一人ではなく多数の人々と 共に働くことの出来る会社というところが好きなのだ、と彼は言いたかったのだ。

 私はこの文章を読んで私もまったく同じだと思った。私が好きだったのは会社そのものではなく、好きだったのは、このテレビ配達の時のように、気持ちが通い合う仲間と一緒になって汗を流して一つのことを共同して成し遂げることであり、そういう場面が沢山あったから、この会社が好きだったのである。                     
 もうそのような生活に戻ることはできないが、1年に1回の、この会社の同窓会に出席するのはほんのわずかでもあの楽しかった日々を味わいたいからである。
 定年退職後、かつての会社仲間と会って旧交を暖める人が多いということを耳にするが、それは私と同じ思いからではないかと思う。
 会社勤めの一番の楽しみは気の合う人達と一緒に汗を流し、時には涙する場面を共有することであり、そういったことが多かった私の会社勤めは総じてハッピーであった。  
posted by 今井繁之 at 10:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2020年12月02日

 野村克也さんに学ぶ

 私は自分が独立して研修講師の仕事をスタートする時に社名を何という名称にするかを色々考えたが、最終的にはシンキングマネジメント研究所と称することにした。そして、私が伝える論理的思考による問題解決・意思決定の手法名もシンキング・マネジメント・メソッド(略称TM法)とすることにした。
 そもそも「シンキングマネジメント」という言葉はどこから来たかというと、それは2019年に惜しまれてこの世を去った野球界のレジェンドともいうべき野村克也さん(以下ノムさんと略させていただく)が1969年、34歳で南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の監督に就任した時、頭を使った野球をやろうということで「シンキングベースボール」という言葉をキャッチフレーズにしたが、その「シンキングベースボール」という言葉が気に入って、それにあやかった次第である。
 企業幹部にとって人望、豊富な経験、知識、鋭い直観力も必要だが、それ以上に頭を上手に使って正しい判断をする能力が求められており、上手に頭を使って(シンキング)、管理・監督(マネジメント)をするということで、シンキングマネジメント研究所、シンキングマネジメント・メソッドと称した次第である。

 ノムさんは監督を引き受けた時、メジャー仕込みの守備や頭脳プレーで日本人選手を感服させていたブラッシンゲーム氏をヘッドコーチに迎えて、これまでと一味違う頭を使った野球を展開した。ノムさんは南海ホークスの監督を8年間務め、その8年間、監督だけでなくキャッチャーも務め、何と4番打者も務めた。監督を一つ務めるだけでも大変なのに、三つも務めたのだから凄い人だった。奥さんのサッチーさんとの問題があり、南海ホークスの監督を解任された後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズで選手を務め,45歳で現役を引退した。
現役最後の年、1980年のシーズン途中で『敵は我に在り』というタイトルの本を書いている。この本の「はしがき」に当時、西武鉄道の社長であり、西武ライオンズのオーナーである堤 義明さんが「我が野村克也君」と題して一文を書いている。堤 義明さんがこのようなことをするのは最初にして最後だと思うが、いかにノムさんが凄い存在であったかを窺わせる。
 ノムさんは現役を引退した後、野球解説者になり、その後、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を歴任している。「シンキングベースボール」がいつの間にか「ID野球」という名称に変わったが、頭を使って野球をやろうということでは何ら変わりはなかった。
 ノムさんは監督を退いた後、再び野球解説者になった。生涯でトータル150冊をも超える本を書いている。私は全部読んだわけではないが、最初に書かれた『敵は我に在り』は教えられることが沢山あり、この本が一番ためになる本ではないかと勝手に思っている。

私は『敵は我に在り』の中にあったお話のいくつかを問題解決・意思決定力強化の研修の中で、あるいは拙著の中でお断りすることなく勝手に使わせていただいている。
その一つに「WHY NOT」という考えがある。ノムさんは情報を取るのに5W1H以外に「WHY NOT」もあるとしている。「WHY NOT」とは打てた、三振を取れたなどの結果について、なぜ打てなかったのか、なぜ三振が取れなかったのかと裏側からライトを当てて分析することである。
打者であれば打てたと時と打てなかった時を対比する、捕手の立場であれば相手打者に打たれた時と打たれなかった時を対比して考えてみる。そこに必ず違いがある。その違いを活かすと次は期待した結果に繋がる確率は高くなるという考えである。
ノムさんはヤクルトスワローズの古田捕手、阪神タイガースの矢野捕手、楽天イーグルスの嶋捕手等有能な捕手を育てたことに定評があったが、その中の一人、古田捕手があるところで語っていたが、攻守交替でベンチに戻ると、ノムさんに呼ばれて、リードについて質問を受けたという。松井秀樹という強打者にホームランに打たれたとすると、どうして打たれたコースに投げるようなリードしたのかと聞かれる。古田捕手は深く考えずに「何となく」と言うと雷(かみなり)が落ちる。「馬鹿たれ、何となくということはないはずだ、何か根拠があってリードしたはずだ、前回うまくいったので今回もそのコースに投げさせたのではないか、今回と前回ではアウトカウントが違うとか、ランナーの有無とか違いがあったはずだ。それを考えないでピッチャーをリードしてはダメだ」ときついお叱りがあったということである。ノムさんは根拠のあるリードを要求したということである。根拠のあるリードをするには考えなければそれはできない。よって常に考えてプレーしなければならないというのがノムさんの野球であった。
この考えはビジネスにも共通しており、前回は売れたが今回は売れなかった、あるいはある地域は売れているのに他地域では売れていない、ある営業担当は売れているのにそうでない営業担当がいるとすればそこには必ず違いがあり、その違いに気付けばうまく行くはずである。
 
この本には「WHY NOT」以外にもビジネスの世界に共通して使える話がいっぱいある。ノムさんは物事には優先順位があり、上位者はそれを明らかにするべきだと言う。
そして上位者が部下に指示する時、具体的な指示をするべきで、その際、あれもこれも一挙に言うべきでないと、本の中で次のようなことを述べている。
野球に取り組む姿勢として、絶えず状況を考える必要はあるが、色々考えた末、選択するのは一つです。特に首脳陣が考えたことを選手にすべて伝えていては混乱を招くだけです。
ある球団の話ですが、こんな例があります。打撃コーチが打席に入ろうとする選手を呼び止めて、次の様なことを言ったそうです。
「あの投手は調子がいいぞ。気をつけてゆけ。ストレートは走っているし、カーブも切れている。気をつけろ。追い込まれるとフォークボールもあるからな」
これでは、選手がたとえ「ストレートを狙おう」と決めていても、迷ってしまってどうしょうもない。並列列挙は良くないです。また「気をつけろ」あるいは「思い切ってゆけ」では仕方がない。何に気をつけるか、どう思い切るか、選手はそれを知りたがっています。

なるほどと納得のいく話である。
私は自分の担当する研修でやらなければならないことが複数ある場合は、あれもこれも同時並行に取り組むのはよくない、どれから先に取り組むか、優先順位を付けてから取り組むべきであると話している。
上位者の立場で、忙しい、忙しいと言っている部下に対しては優先順位を着けて取り組むよう促すことが必要であるし、何かを決めるような場合はいくつかの狙いがあれば、それらの中で何を重視するべきかを明確にすれば部下は迷うことなく決めることができると話しているが、ノムさんの言っていることと一致する。

この本のラストの方で『無依是真人』という言葉が紹介されている。この言葉は仏教の教えの中にあるようで、雨が降っても、差し掛けてくれる傘を期待せず、自分一人の力で切り拓いてこそ真の人であるという意味ということである。
この言葉を私の座右の銘というとオーバーだが、私はこの言葉を常に自分に言い聞かせて生きて来た。
とにかくノムさんの本を読むと、この人がどれだけ幅広く本を読み、多くの人と交流し、そこから学んで来たかということがよく分かる。
プロ野球人でこれだけ博識の人はいないのではないかと思う。
プロ野球セ・パ合わせて12球団あるが、ノムさんの薫陶を受けた人が監督しているチームが5球団か6球団あり、この人の影響力がいかに凄かったかが分かる。
もう少し頑張って生きていて欲しかったと思うが、書かれた本が残っているので、ぜひ読まれることをお勧めしたい。
posted by 今井繁之 at 16:44| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

教え過ぎない方がいい



 私達は仕事に慣れていない時期は上司や先輩から仕事の要領について教えられることが多い。ただ、細部まですべて教えてもらうことが良いかと言うと必ずしもそうではない。
 全てを教えてもらうと自分で考えようとしないことになりかねない。
自分で考えようとしないと成長しないと言われるが、その辺りを具体的事例を挙げて説明する。
 
 プロ野球の世界の話で恐縮だが、次のような話がある。
 プロ野球西武ライオンズ傘下のライオンズアカデミーで子供たちに野球の指導をしている石井丈裕さんは沢村賞も受賞した素晴らしい実績を残した選手だが、現役を引退後、西武ライオンズのピッチングコーチを経て現在の仕事に就いている。
 その石井さんがあるところで、「コーチは教え過ぎないのがいい」と言って次のようなことを語っている。
 私はある程度、プロで実績を残させていただいたので、その技術を子供たちに教えたいという気持ちで最初は始めたのですが、そういう思 いが強すぎても、子供たちはただ聞いているだけになってしまう。自分はこと細かく教えることで子供の成長を促しているように感じていたが、実は子供の成長を邪魔していることに気付きました。過保護・過干渉になり過ぎ、子供たちの創造力を奪い、考えることの妨げをしてしまっている。
これではいけないということで、子供たちに考えさせる指導をすることにしました。
そうしたのは自分には次のような体験があったからです。
プロの世界に入ってコーチから色々と指導されて、コーチに言われた通りやりましたが、言われたことをやるのは大切だけれど、ある程度までいったら、自分で考えないとレベルは上がっていかないことに気付きました。教えられたものは、一応はできる。
しかし、どうしてそうするのかを考えないでやっていると身に付かないことが分かって来た。自分で色々考えてやったことは身に付き、そういったものはいつまでも忘れないということに気付いたからです。

 確かに石井さんの言われる通りだと私も思った。
石井さんと同じようなことを先年、亡くなった野球界のレジェンドのノムさんこと野村克也さんは1980年にお書きになった『敵は我に在り』という著書の中で、監督・コーチから教えられるより多少時間はかかっても自分の頭で考えることが大事であると述べている。
 野村さんはバッティングについては打撃の神様と言われた故川上哲治さんに影響を受けたと言う。
 1955年、大阪球場でオールスターゲームが行われた時、憧れの川上さんが打撃練習をしていたのでネット裏から食い入るようにして見た。そこで不思議な光景に出会った。
レベルスイングの元祖と言われていた川上さんが、前屈みになって体の右側のところで、まるでゴルフスイングのような素振りを繰り返していた。頭の中にいくつもの疑問が沸き、何故だろう、どうしてだろうとその後、1週間考えた。実際に川上さんの真似をしてそのスイングを試した。川上さんがなぜそのようなスイングをするのかが分からなかったが、そのスイングを繰り返していたある日、「あっ」と気が付いた。このスイングをしていると体重が右側から左側にスムーズに移動する。このスイングで体重の移動を体に覚えさせているのだということに気付かされた。自分も体重の移動がスムーズに行かなくて悩んでいたが、川上さんの真似をしていたら上手く行くようになり悩みが解消できた。
 もし、川上さんに質問したらすぐ教えてもらえたかもしれないが、それでは身に付かない。
 自分で考えたので時間はかかったが、でもそのお陰で自分のものにすることができた。
そうやって覚えれば、確実に自分のものになり、それは決して忘れないものである。

 野球の世界の話の連続で恐縮だが、2019年のNHKのスポーツ番組だったと思うが、三冠王を3回も受賞した打撃の名人であり、名監督でもあった落合博満さんが野村さんと同じようなことを語っていた。その番組の中で、2018年、2019年と2年連続パ・リーグのホームラン王になった西武ライオンズの山川穂高選手と対談していたが、山川選手が「自分は××部の球を打つのを苦手としているが、そのコースを打つにはどうしたらよいですか?」と聞くと、落合さんは「そんなことは分からないよ。それは自分で考えなければダメだよ。だって俺とお前とでは体が違うんだから」と言われた。山川選手はどうして教えてくれないのだろうという不満顔?をしていた。この場面を見た方の中には落合さんは不親切だなぁと思われた人もいるかと思うが、前述の野村さんの話と重ね合わせて考えていただくと納得できるかと思う。
 教えてもらったものはすぐ忘れるかもしれないが、自分で考えて得たものは真の力となり長続きする。やはり一流に達した人は共通した考えを持っていると感じた。
 ただ、落合さんに教えを乞うた山川選手の2020年度の打撃成績は本塁打24本、打率は2割5厘と前年,前々年と比して著しく低下した。考え過ぎたのかもしれない。

 私の好きな野球の世界の指導者の話に終始して申し訳ないが、ここで紹介した事柄はどのような世界でも共通することであり、指導者は教え過ぎないことが肝要であり、基本的なことは指導しても、部下の成長を願って、その先は本人に考えさせるように仕向けてこそ、有能な部下が育つかと思う。

posted by 今井繁之 at 16:34| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

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