2018年09月17日

戦力外通告をされないために


 サラリーマンにとって自分は十分戦力になり得ると思っているのに、会社から「君は戦力と見なしていない。よって潔く辞めていただきたい」と戦力外通告されるのはつらいものである。
 サラリーマン時代、私自身は幸いなことに「戦力外なので辞めてほしい」とまで言われたことはなかったが、私の周囲でそのように宣告された人がいた。
 戦力外を通告されて退社することになったその人が、私の元に挨拶に来た時、「いずれは会社をやめなければならないと思っていた。しかし、こんな悔しい思いで会社を去ることになるとは思っていなかった。二度とこの会社の門はくぐらない」と言って悔し涙を浮かべて会社を去っていった。
 自分が会社の戦力になっていないという自覚があれば受け入れる気持になるが、そう思っている人は少なく、大部分の人は戦力外を通告されたら、なぜ自分がそのような辱めを受けなければいけないのかと悲嘆にくれるはずである。

 「戦力外通告」という言葉が一番ポピュラーに使われるのはプロ野球の世界ではないかと思う。毎年シーズンオフにはこの言葉が登場して悲喜劇が報じられる。
 2017年の末、読売巨人軍から戦力外通告を受けたものの、ホームラン王2回受賞という実績からしたら他の球団から入団の依頼があると思っていた村田修一という選手がいた。ところがどこからも声がかからないので、他日を期して、BCリーグのチームに入団して頑張ったが、翌2018年の7月になっても入団してほしいという球団はゼロでプロ野球界にカムバックすることは叶わなかった。可哀想だが仕方がない。
 まだ結果を出せる選手だと思ったが、単に力量だけでなかったのかもしれない。
 でも一度は戦力外という烙印を捺されたが、それを跳ね返した選手がいる。
 いささか旧聞に属する話で恐縮だが、2007年、日本一を競った日本シリーズでMVPを獲得したのは中日ドラゴンズの中村紀洋選手であった。彼のその年の年棒は600万であった。これまでMVPを取った選手の中でも史上最低の年棒ではないかと思う。
 2004年、彼は日本人選手としては最高の5億円の年俸をオリックス球団からもらっていた。2005年、大リーグに挑戦したがうまくいかず古巣のオリックスに戻ったところで年俸は2億円に減ってしまった。ところが2006年の暮れ、彼はオリックス球団から事実上の戦力外通告を告げられ、新たな働き先を探したが、彼を採用したいと名乗り出る球団はなかった。最終的には中日ドラゴンズが育成選手の枠で彼を採用してくれた。給与はなんと600万円。よくぞこの屈辱的な条件で入団したものだと思うが、その低年棒にも関わらず、その年、打率2割9分3厘、本塁打20本、打点79という成績を残した。そして2008年度は年俸は5000万で契約することになった。かつての10分の1であるが、彼は真剣にプレーを続けた。
 その年のシーズンオフにFA宣言した彼には東北楽天イーグルスから声がかかり、2009年からは年棒1億5000万円でプレーすることになった。
 その後は体の故障のため十分な活躍はできなかったのは大変残念だが、彼は戦力外通告という非情な扱いを見事に跳ね返した選手であった。

 2006年にオリックス球団から戦力外を告げられた時、中村選手は自分はまだまだできる、年齢だってまだ33歳、どこだって自分を取ってくれるはずだと思っていたはずである。ところがどこも自分の希望する条件では取ってくれないということが分かった時、彼はこの理不尽な処置に怒ったはずである。しかし、現実がそうであるならばここは「韓信の股くぐり」の心境で、本年度の年俸はどうでもいい、どこの球団でもいい、自分を採ってくれるところがあれば、そこに行き、そこで活躍して正当な評価を得ようと思ったものと思われる。育成選手、背番号99という屈辱的な扱いにも関わらずそれを跳ね返した中村選手の頑張りは立派だと思う。
 サラリーマンにしてもプロ野球の選手にしても戦力外になるにはそれなりの理由があり、一番大きいのは力量が落ちて支払う給与に見合うだけの働きが期待できないことだろうがそれ以外に組織として仕事を進めていく上でチームワークを乱すという理由から引き続きの雇用を見合わせるということもあるかと思う。
 戦力外通告された人は不本意な扱いに怒るが、己にも至らないところがあったのではないかと自分自身で反省しないと次の飛躍はむずかしい。

 サラリーマンでも戦力外通告を受けた場合、あるいは戦力外通告までいかなくても閑職に追いやられた時は、上司を含む周りの人を恨むだけでなく、なぜこのような仕打ちを受けなければならない仕儀になったのか、自分に至らないところがあったのではないかと素直に反省することが必要である。そうでないと次の飛躍は難しい。
 当人に至らないところがあり、周りの人はそれを苦々しく思っていても、当の本人にはあれこれはっきり言わないものである。
 中村選手を育成枠で採用した中日ドラゴンズの前監督落合氏が日本ハムの前監督梨田氏とのテレビ番組の対談で「自分は『お前(中村選手)のこういうところがよくない、改めなければダメだ』といったようなことは一言も話していない。プロなんだから自分で気付かなければダメであって、そういう反省がないのに端があれこれいっても身に付かない」と話していた。
 私がサラリーマン時代、自分自身は戦力外通告を受けたことはないといったが、閑職に追いやられたことがある。その時はなぜ私にそのような人事をするのかと怒髪天を衝くという思いでいっぱいになったが、しばらくして落ち着いて考えてみると自分にも反省する部分が沢山あることに気付いた。
 その反省があったからこそ、次の機会にそれを活かすことができた。

 戦力外通告を受けないのに越したことはない。そのような通告を受けないにはどうしたら良いかといえばひたすら実力と人間性を高めるような努力をするしかない
 担当する仕事を通じて知識・技能・技術を身につけると共に機会を見つけて勉強をしてどこに行っても通用する実力をつけなければならない。その上で、身に付いた力を与えられた仕事で存分に発揮して余人をもって代えがたいという存在になるよう努めるべきである。

 戦力外通告を受けないために上司を含む周囲の人達との良好な人間関係を構築しておくことも時として有効であるが、それが本当に頼りになるかといえば怪しいものである。
 世の中、冷たいもので、力のなくなった人には他人は手を差し延べてくれないものである。
 実力があってもチームワークを乱すような言動があまりにもあり過ぎると、トータルすると、こいつはいない方がよいということになり、「残念ながらお引き取りいただきたい」ということになってしまうので、他の人との協調性の涵養にも努めるべきである。
 人間関係のもつれから閑職に追いやられることになったら自分の至らなかったところは反省すると共にこれも一つのチャンスととらえて充電に努めることも時には必要である。 たとえ、戦力外通告されても、「捨てる神あれば拾う神あり」で、これまで培った知識・技能・技術を活かして生き生きとした第二の人生を送った人は沢山いる。そのように活躍できるのは、以前の勤務先で幅広く勉強して研鑽に努め、人間性も含めて、どこでも十分通用する実力が身に付けていたからであると思う。

 プロ野球の選手は個人事業主であるといわれるがサラリーマンだって見方によっては個人事業主といえないことはない。プロ野球の世界ではシーズンオフには契約更改があり、力のない選手は戦力外を通告されるが、サラリーマンの世界でもいずれはそのようなことになるかもしれない。むしろ、実質的にはそういう時代が来ているといってよいかもしれない。
 プロ野球の選手として長く活躍している選手は天分もあるかと思うが体がなまらないように不断に体を鍛えており、技倆を磨いている。特に年齢を重ねてくれば、より努力を怠らない。選手寿命の長い選手はシーズンオフに誰に言われるまでもなく、自分自身で体の手入れを怠らない。
 不断の努力は必ず自分に返ってくる。
 サラリーマンも己の能力伸長を勤務先に委ねることなく、「天は自ら助くるものを助く」という教えの通り、自分自身の努力で己の能力を高め、戦力外通告を受けないように努めなければいけない。
           
posted by 今井繁之 at 13:39| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年08月22日

あれもこれも大事(大事)はよくない


 私の紹介している問題解決の手法では「優先順位をつける」という言葉が随所に出てくる。
 取り組まなければならない課題が複数ある場合、重要度・緊急度・拡大傾向で優先順位をつける、あるいは実現したいことがいくつもあり、どれもこれも大事だとしても、より大事なものはどれかということで、優先順位をつけた方がうまくいくと話している。
 
 ヤマト運輸の元社長の故小倉正男さんのエピソードであるが、ドライバーの運転事故が多くて困っていた時に、労働基準監督署の勧めで、労災事故の少ない事業所を見学した時に、普通の事業所であれば「安全第一」という標語だけを掲げているのに、その労災事故の少ない事業所は「安全第一」という標語と並んで、「効率第二」という標語があるのを見て、これだと思ったという。自社に戻ったところで、安全運行が一番優先すべきことであり、営業効率(スピード)を良くすることはその次で構わないという方針を徹底するために「安全第一」に並べて「営業第二」と書いたポスターを職場に貼ったところ、安全運行が徹底されて、さらに営業効率も向上したということである。

 私は上位者の重要な役目の一つとして、部下が判断に迷わなくてもすむように優先順位を明らかにすることであると思うが、ところが、あれもこれも大事ということで複数あるものに優先順位をつけない上位者が一般的に多い。
 優先順位をつけ難い場合もあるかと思うが、それでもどちらを優先するかという方針・方向を上位者は明確にするべきである。

 優先順位を明確にして見事、成功した具体的事例を紹介しよう。
 現在は第一線を退いているが、かつてソニー㈱の副社長をしていた大曽根幸三さんが、ウォークマンの開発責任者をしていた時の話であるが、大曽根さんはこれはと見込んだ技術者達を呼び、カセットケースを見せて、これと同サイズのウオークマンの開発を命じた。 カセットを入れるのに、それと同サイズのものを作るなんて無理だと、困惑した顔をしている部下に「コストはどうでもいい。1億円かかってもいいから、とにかく1個作ってみろ!」と言う。
 コストはどうでもいいというコスト無視の指示があったので技術者の連中はお金は相当かかったものの、なんとか頑張って試作品を作り、大曽根さんに提出したという。
 大曽根さんは「よくやった」と褒めてから、担当者に「まさか、おまえ、これを1億円で買ってくれる人はいないだろう。どう見たって、30,000円かそこらだな。今度はこいつを30,000円以下で作れるよう工夫してみろ!」という。
 最初に開発を指示された時は作れないと思ったものの、なんとか工夫したらモノはできた。今度はそれを安く作るにはどうしたらよいかということでコストダウンに全精力を注ぐことになる。大変な苦労はしたものの、なんとかなるもので大曽根さんの希望する位の価格で生産することができるようになったという。
 完成品を作ることを最優先、コストは二番目でいいという明確な方針を示したのでこのような結果につながった。
 もし、大曽根さんが「世界初のものを、世界最小の大きさで、それも販売価格30,000円以内に収まるものを作れ」という目標を同時に出したら即座に「できません」という返事が返ってきただろう。
 この大曽根さんの例のように上司が部下に仕事を命じるような時、いくつかの狙いがあればその狙いを同等ではなく、何を優先するかということを明確に示してくれると部下は助かるというものである。

 今では日本を代表する企業に成長したファーストリテイリング(店名ユニクロ)という会社も優先順位を明確にしているので成功したのではないかと私は勝手に推測している。
 私はユニクロが全国区になり始めた頃、ユニクロ商品があまりに安いので、この会社の商品のセールスポイントは低価格であると思っていた。
 ところが関係者に聞くと、最初に低価格ありきではなく、まず高品質な製品を提供したいという強い思いがあり、それをいかにしたら低価格で提供できるかという発想から事業展開をしたということである。
 高級デパート等で10,000円以上で販売しているクオリティの高い品物をどうしたら低価格で提供できるかと考えた時に、大量生産すればコストが下げられるのではないかという考えが社長である柳井さんの頭に浮かんだという。
 その大量生産をするにはどうしたらよいかと考えると、それには男女の性別、老若の年齢の関係なしに幅広い層に着ていただける同一(ユニ)のデザインのものを作れば大量に生産することができる。
 さらにコストを下げるには流通の中間マージンをなくせばよい。中間マージンをなくすには自前で生産して販売と直結させればよい。
 その生産コストを下げるには日本国内ではなく、中国で生産すればよい。
 柳井さんに直接確認した訳ではないが、恐らくこんな具合に考え、実践した結果、代表的商品であるフリースに1,900円という驚異的な価格をつけることができたのではないかと思われる。
 
 一般的にはユニクロの高成長は安くて、いいものを提供しているからと評されているが、柳井さんはその評し方の順序に反発されるのではないかと思う。
 柳井さんはいいものを、安く提供していると言うのではないかと思う。「いいもの(高品質)」が先であり、次いで「安く」という優先順位がついているのではないかと私は勝手に思っている。
 柳井さんが低価格を優先して、品質を二の次にしたら恐らくここまでの成長はなかったと思う。
 今日のユニクロの成功は、「安かろう、悪かろうの商品提供では消費者の支持を長期間に渡って得ることは困難であり、また売れないものをいくら安くしてもだめであり、高品質のものを安くして売らないと顧客がついてこない」という商売の定理を物語っている。
 
 大曾根さんや柳井さんのように向かうべき方向を明らかにして、あれもこれも大事(だいじ)ではなく、どれを最優先で取り組むかという優先順位を示すことは上位者にとって最も大切な仕事であると私は思う。
posted by 今井繁之 at 14:06| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年08月20日

私は実社会という大学で学んだ


 いささか旧聞に属する話で恐縮だが、英国の元首相メージャー氏が首相在任中にテレビインタビューで次のようなことを語って物議をかもしたことがある。
 インタビューで「私は実社会という大学で学んだ」と語り、「知性と常識こそ大学教育より重要である。(中略)高等教育の証明書を山のように持っている人を多数知っているが、そんな証明書はほとんど何の役にも立たない」とも語った。
 サーカス芸人の子に生まれたメージャー氏は16歳で事務員や建設労働者として働き始め、大学には進まなかった。
 このメージャー氏の発言に英国の野党は「教育を軽視している」と攻撃したというが、メージャー氏と似たような経験を持つ私はメージャー氏に同感する。
 私は一応、大学卒業の証明書を持っているが、大学で学んだことが現実の仕事にどの程度、役に立ったのかと言われるとそれはほとんどなく、実社会で学んだことの方がはるかに役に立っている。
 私は中学を卒業して長野県岡谷市にあるマルヤス機械という会社に就職、その会社に勤務しながら夜間高校に通い、さらに上京して明治大学に進むという普通一般の人と少し変わった道を歩んできた。
 そんな私が研修の合間に受講生と歓談した時、ひとりの受講生から「学校はどちらを出られたのですか?」と聞かれたことがある。出身大学を聞いているのだろうとは思ったが、意地悪をしようとしたわけではないが「長野県にある中学校です。私は中学を卒業してすぐ就職したのです」と答えたことがある。その方は驚きの表情を浮かべて「本当ですか?」と言われる。「ええ、本当です。ただ、その後、定時制高校に進み、さらに明治大学の商学部に入学、そこを卒業しています」と答えたら、心なしかほっとした顔をしている。
 高校、大学を卒業していることは確かであるが、「高校、大学で何を学んだのか?」と問われると答えに窮する。
 定時制高校の時は大学受験という目標を得てからは、授業は適当に受けて、あとはひたすら大学入学のための勉強に勤しんだ。
 頑張って入学した明治大学では生活費を捻出するため、アルバイトには励んだものの、これといって熱中して勉強したという教科はゼロである。
 卒業後、大学で学んだことで生きたことはほとんどない。
 その責任は指導する学校側にあったかというと、受講する私の姿勢にあったと言える。
 その証拠に私は3年生の時、マーケティングの権威である三上富三郎教授の指導する三上ゼミに所属していたものの、何を教えていただいたかをまったくといって覚えていないが、同じゼミ生で、盛岡で『ジョイス』というスーパーを経営していた小苅米淳一君は「三
上先生の教えは大変役に立った」と言うからである。
 自分を標準にして、大学では実社会に出て役に立つ学問はまったく教えていないようなことを言ってしまったが、皆が皆、私のように不勉強な学生ばかりではないので、小苅米君のように熱心に勉強して、実社会に出て、それを生かしている人の方が多いかと思う。
 ただ、私に限っていえば大学4年間は無為に過ごしたといっていい。
 皮肉なことに、大学を卒業後、実社会に出て、役に立ったことは、中学を卒業して入社したマルヤス機械で体験した事柄である。
 どんな体験が具体的に役に立ったかと問われると次のようなことがあった。
 私が所属した検査係を含む製造課の課長であった山田寅雄さんという人は映画俳優にしてもよい位、ハンサムな人であったが、仕事面では大変やり手であり、この人が来ると職場には緊張感が漂った。私はこの人が苦手で、直接声を掛けられて震え上がったことがある位、私には怖い存在であり、入社した当初はできるだけ顔を会わせないようにしていた。
 私にはこの人がなぜ若くして製造課の課長になったのかが分からなかったが、ある日の出来事でそれが分かった。その日は、外は雪が降っていて大変寒かった。私達検査係のメンバーは出来上がった製品に不具合がないかをチェックするという作業をしていた。
 非常に大きな鋳物製品であり、それを水槽の中に入れて空洞がないかをチェックして、空洞があると水の中に手を突っ込んでその箇所をマークするのが私の役目であった。
 信州の冬は寒く、水槽の中の水は手が切れるような冷水であり、水槽の中に何度も手を入れるというのは非常につらかった。周りにはストーブもなく、手を暖める暇なく、再度手を入れなくてはいけないのだが、あまりにも冷たい水なので、つい躊躇したことがある。
 一緒に作業していた主任も係長も水が冷たいのが分かっているから手を出さない。そこに通り掛かったのが山田課長である。「繁之、チョークを寄越せ」と言って、私の手からチョークを取って、ワイシャツの腕を素早くまくり上げ、冷水の中に手を突っ込む。
 この人はこの苛酷な作業を涼しい顔で行う。これにはびっくりし、そして感動した。
 その日以降、私は山田課長を尊敬の眼で見るようになった。
 人の上に立つ人は部下の嫌がるつらい仕事を進んでやらなければならない、自分にとって嫌な仕事、つらい仕事を上位者の権威を借りてただ指示するだけでは、部下は付いてこないということをこの山田課長の行動から学んだ。
 後年、私が組織のリーダーになって部下にきつい仕事をやってほしいとお願いするような場面では、この時の山田課長の姿を思い起こし、リーダーというものは部下と一緒に汗を流してこそ真のリーダーであると自分に言い聞かせてきた。
 仮に大学の授業でリーダーは率先垂範しなければならない存在であるということを学んだとしても、目の当たりにそのような場面がリアルに思い浮かばなければ、そうかもしれないと思う程度で、後年、実践するまでには至らなかったのではないかと思う。
この会社では働くとはどういうことなのか、下積みで働いている人の上位者に対する思い、現場で汗と油にまみれて働いている人達がきれいな事務服を着て事務所で働いている人に対して、どんな思いを持っているかなどを学んだが、これが大学卒業して人事部門で働き、課長、部長というリーダー職を務めるようになったところで、大変役に立った。
 そういった意味で、私にとっての『大学』は中学を卒業後、4年間お世話になったマルヤス機械という会社であるといってもよいかもしれない。

 また、明治大学を卒業してから今日の研修講師になるまでの間、10数年に渡って勤務していたソニーの子会社である桜電気(現ソニーイーエムシーエス木更津テック)という会社で体験したこと、上司から教えていただいたことがその後の私の人生で大変役に立った。
 特にこの会社の社長であった鳥山寛恕さんには貴重な『常識』を教わった。
 もうかれこれ40年ほど前になるが、鳥山さんと一緒に「トヨタかんばん方式」について教えを乞いにトヨタ自動車の元町工場を見学に行った。私は工場を見学した際、いつもの癖で片手をスボンのポケットに突っ込んでいた。さらにあちらの応接室でトヨタの総組立部長の松永さんという方から懇切丁寧な説明を受けていた際、私は無意識であったが足を組んで聞いていた。
 この工場見学の終わった翌日、私は鳥山さんに社長室に呼ばれてこっぴどく叱られた。
 「お前は常識を知らない。俺は、昨日は恥ずかしくて仕方がなかった。工場見学している時、俺がお前さんの腕を何度か引っ張ったことがあるだろう。何で俺があんなことをしたかお前に分かるか?」ときつい調子で言う。「さあ、何か変だなあと思ったのですが分かりません」と脳天気なことを言った途端、「馬鹿もん!人様の会社に行って、相手の方が案内してくださっているのにポケットに手を突っ込んでいるとは何事だ。それと人の話を聞くのに足を組んで聞くというのはどういう了見だ。俺は勿論だが、説明してくれた方だって足を組んでいなかったのに一番若造であるお前が足を組んでいた。あんな生意気な態度は許せない。外国ならいざ知らず、この日本では目下の人間が目上の人から話を聴く際には足を組まないのが常識だ。俺に二度と恥をかかせるな!」と。
 「分かりました。申し訳ありません」と平謝りに謝ってなんとか勘弁してもらったことがある。この厳しい叱責があるまで、私はそれまでポケットに手を突っ込んで歩くことも足を組んで人の話を聞くのも、それほど失礼なことではないとは思っていた。苦々しく思っている人は沢山いたと思うが、面と向かって注意されたことはなかった。
 鳥山さんに、きつい調子で『常識』を教えられ、それ以来、そのような生意気な態度を取ることは極力なくそうと努めて今日まで来ている。
 もし、あの時、鳥山さんから叱責されることなく、『常識』を教えられなかったら、私はその後の人生でさらに沢山の恥をかき、謗りを受けたと思われる。
 本来なら男親が教えるべきことなのかもしれないが、たまたま私は成人してから父親と接することは少なかったこともありそのような『常識』を教わらなかったし、また大学でもそのような『常識学』という講座はなかった。
 このような失敗も含めて、この桜電気という会社で数々のトラブルに遭遇し、その都度悩み苦しみ、意思決定の難しさを味わい、また十分なリスク検討もせずに実行に移して、上司からきついお叱りをうけるという体験を通じて、貴重な教訓を得たが、それらは現在の研修講師の仕事にズバリ生きている。

 マルヤス機械を始めいくつかの会社での数々の苦い体験がなかったら、一通りの講釈はできても、講義は実に薄っぺらなものになり、受講者を納得させることはできなかっただろう。学校で知識を学ぶことは決して悪いことではないが、その知識は現場に身を置いて初めて分かることが多く、知識を生きた知恵にするのは現場である。
 実務に生きる本当の学問は現場にあるといって差し支えない。
 私もメージャー氏同様、多くのことは実社会という大学で学んだと実感している。
posted by 今井繁之 at 16:11| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする