2018年12月20日

ikigai(生きがい)について考える


 2018年12月2日、NHKの番組で日本語の「ikigai」という言葉が世界各地で注目されていると報じていた。ikigaiは「生きがい」のことである。
 きっかけとなったのは「IKIGAI」という一冊の本である。書いたのは日本在住のスペイン人のエクトル・ガルシア氏である。ガルシア氏はIT企業に勤めるエンジニアとして12年前に来日、朝から晩まで仕事に追われる中で、日々の暮らしに満足感が得られなかった。「自分はなぜここにいるのか、なぜ生きているのか」と考え込んでしまった。
 そんな時、住民の多くが長生きしているという沖縄にある大宜味村の存在を知って、訪ねてみた。そこには笑顔あふれるお年寄りたちの姿があり、80歳を超えてなお、畑仕事をしながら、日々支え合って暮らしている。ガルシア氏はこの大宜味村の人達の笑顔の背景に何があるかを考えるようになった。
 そして、この人達は自分の好きなこと、自分の得意なこと、社会から必要とされていること、さらに収入の得られることをしている、それら4つの要件が重なり合っているから、笑顔で生き生きとした日々を過ごしているのではないかと考えた。
 ガルシア氏はそれらは日本に来て、時折り耳にする「生きがい」という言葉に繋がるように感じられたという。
 ガルシア氏によると、この「生きがい」という言葉は世界各国のどこにもあるかというとそうではなく、「生きがい」は日本独特の価値観ということである。
 ガルシア氏はこの沖縄での体験を「IKIGAI」というタイトルの本にして、出版したところ、ヨーロッパでベストセラーになり、今では世界42か国で翻訳されているということである。
 ヨーロッパで「生きがい(ikigai)が注目され、共感されているのは、あちらでは仕事とプライベートを分けて考えることが多く、一方が充実していても、もう一方で不満がある人が多く、ikigaiはその両方を合わせて人生の喜びを得るという考えなので、ヨーロッパの人たちには新鮮なものとして受け入れられているのではないかということである。

 私もそうであるが、私達日本人は生きがいとは何か?なんてあまり意識せず、自明のこととして「生きがいのある人生を送りたい」という具合に日常的に使っている。
 「生きがい」とはそもそも何かということで、新明解国語辞典を引くと、そこには「生きていることに意義・喜びを見出だし、感じる心の張り合い」とある。ただ、どんな状態になっていると生きがいが感じられるようになるかまでは辞典には出ていない。
 ヨーロッパの人だから曖昧さを許さず、4つの要件が重なり合っているものという明確な定義をしたが、この定義は大変普遍性のあるものであると感じた。

 ガルシア氏の「ikigai」の定義について改めて触れると、「生きがい」は次の4つの要件が重なり合った中心にあるとしている。
 4つとは「自分の好きなことをする」「自分の得意なことをする」「社会からも必要とされる」「一定の収入が得られる」である。
 勝手ながら、私がそのことをより分かりやすくすると、次のような4つの問い掛けを自分自身にして、多くに「イエス」と答えられたら、生きがいのある人生を送っているということになるのではないかと思う。
 1.あなたは好きなことをしていますか?
 2.あなたは得意なことをしていますか?
 3.あなたは社会(世の中)が必要としていることをしていますか?
 4.あなたは自分のしていることで生活するのに必要な収入を得ていますか?

 ネットでこの「ikigai」を検索して、どんなことを取り上げているのだろうかと調べていたら、まったくの偶然であるが、部屋にあるテレビでNHKのBSで騎手の武 豊さんが4000勝を上げたという番組を放送していた。
 武さんの表情を見ながら、この人は生きがいを感じているだろうと思った。なぜならば、武さんは馬に乗ることが好きで、馬をコントロールすることが得意で、多くの競馬ファンを楽しませ、沢山の収入を得ているからである。本人に確認したわけではないので軽々に言えないが、生きがいのある人生を送っているに違いないと思った。
 武さんとはまったく縁はないが、よく知られている人で生きがいのある人生を送っていると思われる人を誰かいないかなと考えていたら私と同年輩の小椋 佳さんを思い出した。
 「シクラメンのかほり」を始め多くの楽曲を作詞・作曲・歌唱している小椋 佳さんには二度ほどお会いしたことがあるが、この人が数年前に行なった「生前葬コンサート」という変わった名前の番組を録画してあり、時折り見ているので、その番組での発言から、この人は間違いなく生きがいを感じている人だろうと思った。
 私が小椋さんにお会いできたのは、小椋さんと親しくしている友人がいたお陰であるが、お会いしたのは小椋さんが神田紘爾という本名で第一勧業銀行にお勤めの頃である。
 その場で生きがいについて質問したわけではないが、私の勝手な憶測だが、銀行員当時の小椋さんに前述の生きがいに関する4つの質問をしたら、4つすべてに「イエス」と言われたかというと、そうでもなかったのではないかと思われる。
 しかし、49歳で銀行を辞めて、自らも歌うが、美空ひばりさんや梅沢富美雄さん等、多くの歌い手に楽曲を提供するという自分の好きな世界にどっぷり浸るようになってからの人生は4つの質問すべてに「イエス」と答えるようになったのではないかと思う。
 
 有名人に限らず、好きなこと、得意なこと、世の中のお役に立つこと、一定の収入が得られることに従事しているかという4つの問いに「イエス」と答えられたら、その人は生きがいのある人生を歩んでいると言える。
 私は小椋さんと比べようのない無名な人間だが、「今井さん、あなたはどうですか?」と問われたら、今の研修講師をするようになった44歳以降の人生であれば4つの質問に「イエス」と答えられる。
 現在の自分は、会得した問題解決・意思決定の手法を多くの人に伝える仕事に意義を感じており、それを伝えることが好きであり、人前で喋ることは得意といえば得意であり、自分の伝えている事柄が社会のお役に立っているという確信があり、伝えることによってまずまずの収入が得られて路頭に迷うことのない生活ができているからである。

 しかし、サラリーマンを続けていたら、皆が皆、生きがいの感じられない人生になるかと言えば、決してそんなことはない。
 自分の得意な分野の仕事に配置され、喜びを感じてその仕事に従事し、仕事が社会的に役立つものであって、それ相応の収入を得ている人達は生きがいのある人生を過ごしていると言える。
 定年退職して、サラリーマン人生を卒業した人だって、自分の好きなことでボランティア活動をして地域社会に貢献することによって生きがいを感じる人もいるかと思う。
 子供さんが好きであれば、通学時に旗をかざして、横断歩道を渡る際のお手伝いでもよいし、学校で子供たちに自分の得意なスポーツや工作の指導をすることでもよいかと思う。
 私の友人で手品が得意な人がいるが、定年退職後、彼は老人ホームを訪問して、妙技を披露して拍手喝さいを浴びている。
 もっとも、4つの問いの最後の「一定の収入を得られているか?」には「イエス」と言えないかもしれないが、他の3つを十分満たしていれば、まずまず、生きがいのある人生を過ごしていると言えるかと思う。

 「生きがい」の要件はガルシア氏の4つにしなければならないことはない。
 例えば、自分の働きを正当に評価してもらえる、あるいは素晴らしいパーフォーマンスを示して、感動してもらうことも生きがいにつながるかと思う。また、良好な人間関係の中で気分よく仕事ができることも生きがいにつながるかと思う。
 さらに人によっては高名になること、高収入を得られること、社会的貢献度が高いことといったことも生きがいの構成要件に含むべきであると考えられる人もいるかもしれない。 
 そういったものを含めてもいっこうに構わないが、そういったものをすべて生きがいの構成要件に含めてしまうと混乱を来たすかもしれないので、ガルシア氏の4つの要件で生きがいを感じられるかどうかの判定はできるかと思う。

 「生きがい(ikigai)」が国際的になるかもしれないので、ガルシア氏が指摘した4つの要件を参考にして、我々日本人も「生きがい」について理解を深め、時折り、生きがいのある人生を送っているかどうか、もしそうでなければどのような努力をしたらよいかを自問自答してみるのもよいかもしれないと思う。
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2018年11月20日

ぶれないで生きたい


 私の大好きな作家飯島和一さんが最近書かれた「星夜航行」というタイトルの長編小説を読んだ。上・下巻合わせて1100ページというボリュームのある本だが、実に読み応えのある作品である。朝日新聞にこの小説の紹介があり、「思った通りにならなくても、信念を曲げず、まっすぐに生きていけばきっとよい人生がひらける、そんな希望を示してくれる大著である」とあった。そして著者の飯島さんの言葉として「星は雨や曇りの日には見えませんが、一定の軌道で動きます。人生には変転がありますが、どんな立場になっても心の指針がぶれなければ、きっとよい人生を過ごせるんじゃないかと思う」とあった。
 全くその通りであり、心の指針がぶれないで生きていけたら幸せであると思っている。

 この本を読んだ数日後、朝日新聞の夕刊の『左遷をたどってⅡ』にライフネット生命保険創業者の出口治明さんが立命館アジア太平洋大学の学長に就任したという記事を目にした。その記事を読んで、この出口さんは正しくぶれない人生を歩んでいると感じた。
 出口さんは以前、日本生命保険で働いており、55歳の時、国際業務部長からビル管理会社に出向となった。友人には「ひどい左遷人事だ」と怒る人がいたという。
 出口さんは国際業務部長であった1996年、少子化で縮小する国内市場の代わりに海外での売り上げを拡大する目標を掲げた計画を策定して、経営陣もこの計画を支持してくれたという。ところが翌年、社長が替わり、新社長は「今は国際化は不要。国内に注力する」という方針を出した。出口さんは新社長に国際展開の必要性を訴えたが、その訴えは新社長に受け入れてもらえなかった。社長の側近から「社長は怒っている。すぐ謝れ」と連絡が入ったが、出口さんは何もしなかったという。出口さんは「僕は自分の腹に落ちたことでしか行動できない。間違っていました、と言わなかった瞬間に人事の流れは決まったのです」とたんたんと振り返る。
 もう生保の仕事には戻らないだろうと考え、出向先で、次世代への「遺書」として「生命保険入門」を書き、出版。それがネット生命保険の創業につながったという。
 出口さんは「人生は自分が考えている通りに動きません。変化に柔軟に適応し、その中で楽しく生きた方が実利的です」という。今回もそのような考え方で依頼された大学の学長に就任したという。
 前述した作家の飯島和一さんの言葉と同じで、実に爽やかなぶれない生き方である。

 私は出口さんに及びもつかない人間だが、私なりにぶれない生き方を願って生きてきた。 
 今までの人生で一瞬ぶれそうになったが、ここはぶれてはいけないと自分に言い聞かせたことがいくつかある。
 そのうちの一つであるが、もう40年近く前のことであるが、私はソニーの子会社である桜電気(現ソニーイーエムシー木更津テック)という会社に勤務しており、この会社の創業者でもあり、当時、社長をしていた鳥山さんに可愛がっていただいていた。ところがこの鳥山さんが事故に遭い急死した。後任にソニー本社のラジオ事業部の事業部長をしていた西村好範(仮名)という方が社長として就任して来た。なかなかやり手の方という評判だった。しばらくしたら、その西村さんから「ちょっと話したいことがあるから来てくれ」と呼ばれた。雑談を少ししてから、「ところで労働組合ができたら君はどうする?」と聞かれた。当時、私は人事・労務部門を統括する総務部長であった。
 「労働組合ができないように努めます」
 「君は何を呑気なことを言っているのだ! いつできたっておかしくない時代だぞ!」 
 「いや、今までも従業員の声に耳を傾け、良好な労使関係を築いて来ましたので、当社では労働組合はできないと思いま  す」
 「それは甘い。もっと真剣に考えなければ駄目だよ!」
 「いや、これまでも鳥山社長は従業員の代表とは定期的な会合を持ち、要望を聞き、できることはやり、できないことはどうしてできないかを説明して、納得してもらってやってきましたので組合を作ろうという動きはありません。私も鳥山社長を補佐して従業員の要望に真剣に耳を傾けて来ました。これからもそういう姿勢で対処したいと思っています」
 「どうも君は性善説に毒されているようだ。君はどこかに行って勉強して来たほうがいいと思うよ」
 「生意気を言って申し訳ありませんが、そもそも生善説に立たなければ信頼関係は構築できないと思います。私はこの会社のことはよく分かっているつもりです。」
 「分かった。もういいよ」

 そもそも労働組合ができるのは賃金を不当に低くして働く人の努力に正当に報いようとしない、あるいは公正・公平な扱いをしないことにあり、もしそんなことがあれば労働組合は必要であると思う。私の勤めた桜電気は労働条件はソニー本社に比べれば劣ったが、それでも労使が対立するような場面はほとんどなかったといってよい会社であった。
 私はこの会社に入社して、最初は経理の事務職に就いたが、しばらくしたら鳥山さんから人事・労務関係の責任者の仕事を任された。従業員の代表と社長が定期的に意見交換する経営協議会という場があり、私はその事務局を務めるようになった。私は額に汗して働く人の努力に正当に報いるべきだという考えをしており、経営協議会の開催前に鳥山さんと話して、「もっと賞与支給額を上げるべきだ」という話をして、鳥山さんから「君は組合の委員長みたいだ」と言われることがしばしばあった。
 桜電気は従業員200名強の中小企業であり、私は入社して数年で管理職に登用された。私を生意気な人間と見る先輩社員もいたと思うが、多数派の生産現場の皆さんとは仲良くしており、私なりに従業員の皆さんの信頼を得ているという自負心があった。
 また鳥山さんを始めこの会社の役員の皆さんは決して高給取りではなく、真面目に働いてくれる従業員にできるだけ報いようとする素晴らしい人間性の持ち主であった。業績が良くなく、従業員に十分報いることができない時も、鳥山さんは実情を率直に話し、従業員の皆さんに理解してもらって来た。「組合を作ろう」という話は聞いたことはなかった。
 今までの自分達の路線が間違っていないという自信があったから、本社の事業部長でもあり、実力者である社長の西村さんに対して臆することなく堂々と反論できたというわけである。
 西村さんの期待に添うような答えをしなかった私は、しばらくしたら総務部長の職を解任されて、閑職に回されたが、生来呑気な性格のお陰でそれほど落ち込むことはなかった。

 私淑していた鳥山さんはいなくなった段階でこの会社は辞めようと思ったが、辞めても実力がなければ安売りをしなければならないので、閑職に回されたのを機に社外の各種セミナー等に参加して実力をつけるべく努めた。幸いなことに、西村さんはすぐ社長職を解かれて、本社に戻り、新たに岩城 賢さんという方が本社の経営企画部長兼務で社長として就任して来た。
 その方から「君のことは鳥山さんが存命中に聞いていた。鳥山さんは君のことを『生意気なところはあるが優秀な人材である。井の中の蛙になっているところも多少あるので、機会があれば本社で鍛えていただきたい』と言われていた。よかったら本社に異動しないか? 研修の社内講師に欠員があるので、それをやってみなさい」と勧められて本社に異動することになった。
 この時、「捨てる神があれば拾う神あり」を実感した。

 サラリーマン時代、西村さんとの対立?以外にも、いくつか上司の指示に対して、自己主張をして、上司を敵?に回したことがある。おおむね、ぶれることなく己の存念に忠実に行動したので、私がトップになることは絶対ないと思っていた。
 数年後、私はソニーグループの会社を辞めることにした。辞める決心がついたのは、ソニーで社内講師を数年勤めて、講師として何とかやれるという自信がついたからである。 
 サラリーマンを辞めて研修講師の仕事をするようになってから、ぶれることがまったくなかったかというと、そうでもない。お客様選択の段階で多少ぶれることはあった。そのような時はセオドア・ソレンソンの「良心に恥じぬということだけが我々の確かな報酬である」という言葉を自分に問いかけて、自分の意に添わないところはお断りしてきた。
 飯島さんや出口さんの言葉にあるような立派な生き方をして来たかと言われると、あまり自信はないが、それでもぶれることのできるだけ少ない人生を志向して生きてきたといえる。

posted by 今井繁之 at 16:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

有難いお叱りの言葉


 人間を何十年もしていると、色々と失敗することがあり、その都度、親や先輩や上司からお叱りを受けるかと思う。
 私も人間が至らないので、若いころ、何かとお叱りを受けた。そのお叱りがその後の人生で生きたのでよくぞ叱ってくれたと感謝している。
 お恥ずかしながら、そのお叱りを二つほど紹介する。
 先般、私がかつて勤務していたソニーの子会社で一緒に仕事をしていた石田秀一(仮名)さんという方が亡くなったという訃報が届いた。仕事の関係で葬儀には顔を出すことができなかったが石田さんのいた木更津の方向に向かって深く頭を垂れて黙祷を捧げた。
 石田さんは私より5歳ほど年上で、生産技術部の部長をしていた。年下の私を可愛がってくれて、私が議長役を務めていた週一回の部長会議の席上でも何度も助けていただいたことがある。
 その石田さんから「今井さんがそんなことをいったら駄目だよ・・・」と注意されたことがある。何のきっかけであったかは忘れてしまったが、石田さんを含めて何人かの人達と歩きながらおしゃべりしていた時に、私が深く考えずに軽口を叩いた時に石田さんの口から出た叱責の言葉であった。私はどのようなことをいったか覚えていないが、言った自分もまずいことを言ってしまったなぁと悔やんでいた時に、石田さんが私だけに聞こえる声で私をたしなめた時に言われた言葉であった。
 石田さんは日頃からいい加減な男である私を大変買ってくれていた。買ってくれたというのも変な表現だが、石田さんは何かあると「今井さんはいい」と言って褒めてくださり、「今井さんはもっと偉くなるのを皆、期待しているよ」と言って励ましてくれた。
 その私が不用意に石田さんを失望させるようなことを言ってしまったのである。
 自分でも恥ずかしく思っていたが、石田さんの口から「今井さんがそんなことを言っては駄目だよ」という言葉は、私のその後の言動にも大いに影響を与えて、周りの人を失望させるような軽口を利いてはいけないという戒めになった。
 私がこの会社を去った数年後、研修講師の仕事をするようになったことを知らせた時、「今井さんはたいしたものだ。いつかは今井さんがそんな風になるかもしれないと思っていたが、その通りになってくれた。ありがとう」というお褒めのお手紙をいただいた。
 ここ数年、石田さんと親しくお会いする機会はほとんどなくなったが、年賀状のやりとりをしており、年賀状にはいつも励ましの言葉があった。何年経っても、「今井さんがそんなことを・・・」と言って、私をたしなめてくれた石田さんの言葉は忘れない。

 二つ目は「人を責める前に自分の無知を責めなさい」という言葉である。
 この言葉は私が30代の後半、ヒューマンアセスメントのアセッサー養成コースという社外研修に参加した時、一緒に参加していた高橋さんという方に言われた一言である。
 講師がやたらと横文字を使うのに閉口した私が、このコース終了後の懇親会の席で隣り合わせた私よりはるか年配、50代の後半と見受けた高橋さんに「いやぁ、あの講師の横文字の乱発には参りましたねぇ。横文字をわざわざ使わないで日本語でお願いしたいものですねぇ」と話しかけた。私より年配者だからこの人も講師の横文字の多さに閉口して 「まったくその通りですねぇ」という返事が返ってくると思ったら、高橋さんは「あなたは私よりはるかに若い。そのあなたが横文字が多いといって講師を責めるのはおかしいよ。その横文字の意味を知らない自分の無知を責めなければいけません。分からなかったら辞書で確認すればよいではないですか」と言う。その言い方に一瞬、反発を感じたが、確かに高橋さんの言われる通りである。
 高橋さんは「分からない言葉が出てきたら書き留めておいて後で辞書で引けばよいのです」と言う。そう言われる高橋さんの傍らに国語辞典と英和辞典があった。
 後日、高橋さんからこの時の立派な講義録が送られてきた。そこには私が分からなかった横文字に日本語の意味が付してあった。素晴らしい講義録を前にして私は恥ずかしくなった。
 「己が無知であることを恥ずかしいことだと思いなさい」という高橋さんの言葉は私のその後の生き方に大きな影響を与えた。
 自分が理解できない言葉を使われたからといって、使った相手を責めるのではなく、分からないのは己がよくないのであると自分に言い聞かせて、何らかの手段で自分で分かろうとする努力を惜しまないようにした。辞書を必ず持ち歩くようになった。
 分からないことの大半は辞書を引けばどこかに出ているものである。
 高橋さんが言われた「分からないことがあったら分かるように自ら努力しなさい」という教えがなかったら、私は自分の勉強不足を棚に上げて他人を非難していただろうから私にとっては大変有り難い言葉であった。
 高橋さんからいただいた名刺の肩書きはNTT、当時は電々公社であったかと思うが都内にある支店長というものであった。
 講義録をいただいた時はお電話でお礼を申し上げたが、その後は疎遠にしており、今現在、どこにおられて、そもそも存命かどうかも分からないので、お会いして「高橋さんの教えのお陰で少しは利口になることができました。ありがとうございました」とご挨拶できないのは大変残念である。

 この二つ以外にもいくつもお叱りを受けたり、指導を受けたりしたことがある。
 そのように叱ってくれる人に恵まれたお陰で今日まで研修講師としての仕事を続けることができたので感謝、感謝、感謝である
posted by 今井繁之 at 16:26| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする