2018年07月10日

 嘘つきは泥棒の始まり


 「嘘つきは泥棒の始まり」と子供の頃、親だったか、先生だったか、明確には思い出せないが、誰かに言われた記憶がある。
 大体の意味は承知しているものの、正確な意味は何かと思い、先日、『新明解国語辞典』を引くと、そこに「平気で嘘をつくようになると、良心がなくなって、盗みも平気でするようになる。嘘をつくのは悪の道に入る第一歩であるので、嘘をついてはいけないという戒めである」と出ていた。
 私を含めて普通の人はこの戒めを守って嘘をつかないように自分に言い聞かせていると思うが、最近はこの戒めを平気で破り、恬(てん)として恥じない人が続出するようになった。
 愛媛県今治市に獣医学部を作った加計学園の事務局長渡辺良人氏は自分が愛媛県庁及び今治市職員に「2015年2月25日に加計孝太郎理事長が内閣総理大臣の安倍晋三氏と面会したのは嘘です。面会した際、安倍総理が『それはいいね』と言ったのも嘘です。あの場の思い付きで職員の皆さんに申し上げました」といけしゃあしゃあと語っている。
 自分の嘘を見抜けなかった県庁及び市役所職員がお馬鹿ですと言わんばかりであった。
 このことについて後日、上司の加計孝太郎氏が形ばかりの記者会見をして「事務局長が嘘を言ったのは確かです。そのような嘘をついたのは獣医学部新設の話を前に進めるためです」と言って、事務局長の嘘を弁護した。あたかも、目的を遂げるために嘘をついても、それは決して悪いことではありませんと言わんばかりであり、これには呆れた。
 この事務局長にこの理事長ありで、事務局長も理事長も一応子供たちの教育に携わっている人達であり、そういった人達が嘘をつくのは方便で許されると平然と言うようであると、この人達の経営している加計学園グループの大学・高校ではどんな教育をしているのか慄然とする。
 こんな学校に高い授業料を支払っている父兄は複雑な思いをしたことだろうと思う。

 しかし、この事務局長及び理事長が語っていることは嘘で、本当は安倍総理と加計理事長は会っており、安倍総理が「いいね」と言ったのも事実だろう。
 でも安倍総理は「2015年2月25日に加計理事長に会っていない。これまで何度も加計理事長に会っているが獣医学部の新設について話をしたことはない」と言っているので、安倍総理を嘘つきにするわけにはいかないということで、嘘の上塗りをしたのだろう。
 嘘をついたと嘘を言う方も悪いが、そのように嘘をつかせる方はより悪いと思う。

 加計学園の問題については安倍総理の元秘書官であった柳瀬唯夫氏は国会で「加計学園側と2015年4月2日に面談したが、この面談は上司である安倍総理からの指示があったから会ったわけではなく、会ったことを安倍総理に報告していない」と嘘を言っている。
 加計学園関係者が東京に出てくる用事があり、柳瀬氏は暇だったので会ったと言う。
 総理秘書官が上司である総理の指示がないのに、一民間教育機関の関係者に会うはずがないのに、柳瀬氏もいけしゃあしゃあと嘘をついた。
 このように嘘をつくのは安倍総理が「加計学園が国家戦略特区制度を使って獣医学部を新設することを初めて知ったのは2017年の1月10日である」という答弁を国会でしているので辻褄合わせをせざるを得なくなったからだろう。
 柳瀬元秘書官は2015年の4月2日だけでなく、その後も2回、4月と6月、加計学園関係者と官邸で会い、どうしたら国家戦略特区制度をクリアできるかというアドバイスをしているが、総理の指示がなければこのような親切なことをするはずがない。
 小学生でも分かる嘘をなぜつくのか、そんなにまでして出世したいのか哀れになってくる。柳瀬氏に子供さんがいるかどうか分からないが、もし、子供さんがいたらどういう説明をしたのだろうか? 大人の世界では嘘をつくのは許されると言ったのだろうか?

 加計学園問題だけでなく、もう一つ、森友学園の小学校建設問題でも、財務省の佐川宣寿前国税庁長官が2017年の国会で嘘を連発し、本年2018年になって国会の証人喚問の席で、前年は嘘をついたことを認めた。ただ肝心なことは訴追される恐れがあるということで真実は語らなかった。公文書の改ざんを指示したことは確かなようであるが、昨年から今年にかけて国政を混乱させたにも関わらず、退職金を少し減額されただけで終わりということになった。
 佐川氏がなぜ嘘をついたのか、なぜ公文書の改ざんを指示したのかというと、安倍総理が「私も私の妻も森友問題に関係していたら総理大臣も国会議員も辞めます」と威勢のよい啖呵を切ったからである。
 佐川氏にしても柳瀬氏にしても、学校を卒業して、国家公務員としてスタートした時は一政治家のために嘘をつくようなことは考えもしなかったことだと思う。
 二人とも国会で嘘の答弁をした時、「嘘をつくのは泥棒の始まり」という戒めを思い出さなかったのだろうか?

 森友問題では近畿財務局の職員が公文書改ざんに関係したことを恥じて自殺している。 その職員のお父さんが2018年5月号の文芸春秋に次のような手記を寄せている。

 私の子は、公文書を改ざんするという法律を犯したまま、その後も平然と生きていくような卑怯な男ではなかったのです。自らの命を絶ってまで「不正は許せない」という信念を曲げなかった息子のことを、私は心から誇りに思います。(中略)
 正義と不正の狭間に追い込まれた息子が、死を以て己の正義を貫こうとしたのであれば、私はこの悲しみをぐっと耐え、息子を称賛してやりたいです。今はそれぐらいの想いです。 息子の命が無駄にならないためにも、誰が、何のために、改ざんするような指示をくだしたのか、真相を究明してもらいたいと願います。
 責任の所在を有耶無耶にされたまま、終わらせては絶対いけないと思います。

 私はこの手記を読んで涙した。
 財務省が隠していた改ざんした公文書を出してきたのはこの手記を読んで心を動かされた職員がいたからだと思う。

 加計・森友学園の問題の根幹は総理大臣の安倍晋三氏にあることは小学生でも分かる。 安倍氏は臆面もなく「公文書の改ざんについてはなぜこのようなことが行われたのか、徹底的に調査をして膿を出す」と言う。
 「膿」は安倍氏そのものであることは誰でも知っており、膿を出すということは安倍氏が総理の座から退くことである。
 森友学園問題では国政を混乱させたが、朝日新聞を始めとするマスコミ及び日本共産党を始めとする野党の追及によって、国有財産の不当な払い下げは防止できたが、もう一つの加計学園問題では愛媛県・今治市役所が93億円という巨額のお金を、さらに文部科学省も毎年相当な補助金を安倍氏の腹心の友である加計孝太郎氏に差し上げることになった。
 政治の私物化は好ましくないと言われるが、これだけ白昼堂々と公金が総理大臣の友人のために使われるのは日本の政治史上、初めてのことであると思う。
 酷な言い方で恐縮であるが、これは総理大臣の犯罪であると言ってもよいかと思う。

 最近、開催されたサッカーのワールドカップに出場したブラジルの名選手ネイマールは相手選手と接触すると、突き飛ばされたというオーバーリアクションをしてレフリーからPKをいただこうとする場面が多く、彼の過剰なアクションを真似する子供たちが「ネイマールする」と言っていると聞いたが、安倍氏もこれ以上長く総理大臣をやるようだと、嘘をつくことを「安倍する」と言われかねない。
 戦後の総理大臣を務めた人達は大体知っているが、安倍氏ほど嘘をつく人はいない。
 嘘をつくことを恬として恥じない人には一日も早く退陣していただき、「嘘をつくことは泥棒の始まりであり、嘘をつくような人にはなってはいけない」ということを親や先生が子供に堂々と言えるようにしなければいけないと思う昨今である。


posted by 今井繁之 at 12:49| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

「リスク分析」と「危機管理」

 私は日頃、研修を通じて、「リスク分析」の考え方を紹介している。
 私の紹介する「リスク分析」はあらかじめ発生するかもしれないリスクを想定し、それを発生させないためにはどうしたらよいか(予防対策)、万が一、そのリスクが発生した時はその悪影響を最小に抑えるのにするにはどうしたらよいか(発生時対策)を事前に検討し、準備しておくというものである。
 事前に注意深く考察した結果、予見できるリスクに対しては、周到なリスク対策を講じておけば発生確率を抑制できるし、また発生したとしても最悪の事態になることを避けることができる。
 そうはいっても、時々私たちは一見、予見できないような事故や事件に遭遇することがある。
 2011年3月11日、東日本を襲った大地震と大津波は正しくそれで、この事故は色々なことを考えさせられた。
 日本は地震国と言われており、私もそうだが一般の人でも多少の大きさの地震が発生することは想定できたと思うが、東北から関東にかけてのこれだけ広範囲な大地震の発生と太平洋岸を中心とした巨大な大津波の襲来まで想定できた人は少ないかと思う。
 起きてから「自分はこのようなことが相当な確率で起こり得ると警鐘を鳴らしていた」と言われる識者がいたが、その識者も震度はともかくこれほどの巨大な津波になるとは思わなかったことだろう。
 科学技術の粋を集めたら、今回のような大地震や大津波の発生はある程度予見はできるかもしれないが、その発生を阻止する、あるいは発生確率を抑える効果的な予防対策はないといってよい。
 事故が起きないのが一番好ましいことなので、起こさせないことは大切だが、天災地変のように起こるのを阻止できない事柄については、万が一起きてしまった時にどう対応するかを事前に考えておくことが大切である。
 どれだけ素晴らしい守備力を持っている内野手でも万が一ということがあるので、内野手が球を取れなかった時、外野手が必ずカバーするという体制を整えておくことが必要である。
 起きる確率は非常に少なくても、起きてしまったら手も付けられない惨事になるということであれば、起きてしまった時にどう対応するか、一の矢だけでなく、一の矢が効果がなかったらどうするかという二の矢、三の矢を考えて、備えをしておかなければならない。
 そのような備えをしていなくて、起きてしまってから「今回は想定外であった」といったエクスキューズは許されない。
 想定外というのは思慮が浅い人が言うことで、東日本大震災、特に原発事故は想定外の事故ではなく、想定する努力を怠ったがために起きた事故と言わざるを得ない。
 大地震や大津波の発生を阻止するのは人間の知恵では難しいが、起きてしまった時の影響を最小で抑えることは人間の知恵でできるはずである。

 「リスク分析」はイコール「リスク管理」といえるが、「リスク管理」イコール「危機管理」かというと、いささか違うかもしれない。
 「リスク管理(リスク・マネジメント)」は将来の不安・心配を先取りして、適切な事前対策を講じる、あるいは準備しておき、それらの発生をコントロールし、万が一発生した場合、最悪の事態にならないようなことを考えておくというものである。
 「危機管理(クライシス・マネジメント)」はその文字通り、重大な事故や事件が発生した時にどう対応して、その悪影響を最小に抑えるかというものである。
 「危機管理」には事故や災害を起こさないように事前に対策や計画を立て、それに基づいて行動することも含まれるが、どちらかといえば最悪の災害・事件が実際に起こった後の悪影響を抑えることに重きが置かれているといってよい。
 予見が非常に難しく、発生をコントロールできない重大な事故や事件については「危機管理」が妥当である。

 ではどうしたら適切な「危機管理」ができるか?
予見が非常に難しい重大な事故や事件が発生した際、最初の手の打ち方を間違えると被害がさらに広がってしまうので何を最初にするかが重要である。しかし、長考一番でじっくり考えている時間的余裕はないはずであり、緊急に適切な手を打たなければならない。
 重大な事故や事件が発生した場合、何より求められることは被害を最小に抑えることであろう。事故発生の連絡があった時、起きていることの重大性とこの後の影響の大きさでどう対処するかを決めなければならない。
 予見が難しい出来事、それも重大事故、大事件が発生した場合、それに適切に対処するのに必要な情報がすべてあるということはまず有り得ない。情報がないからといって、か手をこまねいているわけにはいかない。情報の不足の場合には把握できた情報にこれまでの経験・知識及び想像力を働かせて適当に情報を補って、まず対策を立てるべきである。
 そしてこの事態に対してどのような考え方で臨むかという基本方針のいくつかを設定する。最優先するものは何か、それに次いで重視するものは何かという具合に方針を決め、関係者に知らせる。
 
 そういった点で実にお粗末な「危機管理」をして世間の失笑を買った事件が2018年の5月にあった。
 それは日本大学のアメフト部の選手が対戦相手の関西学院大学の司令塔であるクォーターバック(QB)の奥野選手に悪質なタックルをして負傷退場に追い込んだ事件である。
 試合中、無防備状態にある選手に、背後から猛タックルすることは許されないことであり、今回、そのタックルをした宮川泰介という選手もいけないが、それ以上にいけないのはそのようなプレイを指示した日大アメフト部の内田監督及び井上コーチであり、明らかに指示しておきながら「自分達はそのようなことまでやれと言っていない」と責任を回避する言動に非難の声が上がった。
 この二人の指導者の責任回避の弁明に対して、日本大学の再考責任者がその弁明を許容していることにさらに非難の声が広がった。
 私は監督及び井上コーチから猛タックルを命じられたと告白して奥野選手に謝罪している宮川選手の記者会見を見た。宮川選手はどう見ても正直に語っており、タックルそのものは良くないが、ここまで顔をさらして謝るこの学生に好意を持った。
 専門家で構成されるアメフト関東学生連盟の調査でも、タックルをして反省している宮川選手の告白を真実と認め、宮川選手の誤解であったと言い張る内田監督以下の指導者に責任ありと断罪したが、日大の最高責任者は表に出て来ず、学長とか常務理事が登場して、何を言いたいのか分からない会見をして、責任逃れをしている。
 学生スポーツで今回のような悪質な行為は許されるべきではなく、このようなことの発生を告げられた段階で、日大の責任者は起きた事柄の重大性と、この問題を放置しておくと、どのような悪影響が出ることを想像して、至急適切な手段を講じるべきであった。
 今回、日本大学の責任者は自分達の非を率直に認め、関西学院大学及び被害者である奥野選手に即刻謝るべきであった。
 そして、間違った指導をした内田監督以下日大アメフト部の指導者を更迭するべきであった。
 これだけの不祥事を発生させたら、企業であれば最高責任者である社長が出てきて、謝罪の記者会見をするが、日大も最高責任者である田中理事長が記者会見をして、頭を深く下げると共に再発防止策を告げるべきであった。
 「謝罪会見をしたら笑い者になる」というのが、記者会見しない理由だというが、もうすでに十分笑い者になっている。
 現在、就職活動をしている日大の4年生は辛い思いをしているだろうし、来年・再来年の就職活動にも影響があるかもしれない。
 来春の日本大学への入学志望者も激減することだろう。
 すでに社会人となっている日大の卒業生も肩身の狭い思いをしばらくはするだろう。
 なぜあの時、しかるべき手を講じなかったのかと反省してももう遅いかと思う。

 ある程度注意深く考察すれば予見できるリスクには、私の紹介している「リスク分析」の考え方をそのまま使い、予見が難しい、突然起きたような重大な事件・事故については、今回述べた、「危機管理」の考え方で臨めば被害を必要最小限に食い止めることができるのではないかと思う。
 そして、予見が難しい悲惨な事故、事件を体験あるいは見聞したら、それを貴重な教訓として、そのようなことが今後も起こり得ることと考え、二度とそのようなことの起こらないようにする、起きたとしても最小の被害で済ませられるように「リスク分析」を徹底して行うべきであると思う。


posted by 今井繁之 at 12:10| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

選定基準は価格だけではよくない 

 
 先日、テレビのニュースを見ていたら、日本年金機構が年金データの入力業務を委託した東京都内の情報処理会社が、中国の業者に入力業務を再委託して作業をさせていたことが報じられていた。なぜこのようなことが問題になったかというと中国の業者の入力ミスが原因で年金の支給額が本来より少なくなるということが判明、それも相当多くの年金需給者に影響があるということで大騒ぎになった。
 日本年金機構がデータ入力を受託した「SAY企画」という情報処理会社は契約では800人で作業するとしていながら、作業員が百数十人しかいなかったので中国大連にある会社に委託、その会社が決められたシステムを使わずに作業した結果、入力ミスが発生したということである。
 日本年金機構がSAY企画に委託したのも、SAY企画が中国の業者に委託したのも、委託料金が一番安価で引き受けてくれたからだと言う。
 業者の選定に当たって、価格は重要な条件ではあるが、当事者はそれだけで決めたのではないと言われるかもしれないが、価格を最重要視するとこのようなお粗末なことになりかねない。 
年金機構の水島一郎理事長は記者会見で「態勢の整った会社なのか契約前に確認し、監査も強化する」と今後の姿勢について述べている。
「安物買いの銭(ぜに)失い」という教訓があるが、理事長以下関係者はこの教訓を噛みしめていると思う。
理事長が責任を感じて、今回の損失を弁償することはなさそうだから、年金加入者の我々の貴重な資産が無駄遣いされたことになる。

 年金データの入力ミスのトラブルは多少時間を掛ければ回復できるが、これが命に関わるようなことであれば価格だけで物事を決めるのは絶対避けなければいけない。
 少し、以前の話であるが、高層の都営住宅に設置されていたエレベータが不意に動き出して若い人の尊い命を奪ってしまったという事故があった。
 私は事故発生はエレベータ会社に責任があり、裁判で当然、厳しい判決か出ると思っていたら、最近、事故責任は業者には問えないという意外な判決が出てびっくりした。
なぜそのような判決が出たのかよく分からないが、このエレベータは外資系のS社のものであり、そもそもはS社に発注したのがいけなかったのではないかと思う。
S社のエレベータは公共機関に沢山採用されている。なぜ採用されているかといえばS社のエレベータは他社より価格が安いからだという。
 公共機関の高層な建物ではどこの会社のエレベータを採用するかの検討に当たって、複数の業者から相見積もりを取って決めていると思うが、S社のエレベータを採用したところはひょっとしたら最低の機能を満たしていれば後の評価基準は価格だけだったのではないかと思ってしまう。
決してそんなことはない、S社には優れたところが沢山あって決めたのだと言われるかもしれないので、門外漢の私がこれ以上言うのは止めるが、このような人命の関わる施設の選定に当たっては、最低の機能を満たしていたとしても、より安全、安心できる構造になっているか、強度はどうか、メンテナンスはどうか、過去の故障率(事故率)はどうかといった観点から厳正な比較評価をしなければいけない。
 「うまい話には落とし穴がある」とよく言われるが、価格が安いにはそれなりの理由があり、その辺まで考慮して物事を決めないと後悔先に立たずということになってしまう。

 最低の基準さえ満たしていれば後は価格ということで、一番価格の低いところに決めるというワンパターンの決め方は他の業界でもよく見受けられる。
 価格のみでどこに発注するかを決めてしまうということは私が身を置いている研修業界でもある。
 昨年の春、M県の市町村研修センターから見積もりを出してほしいと要請された。この研修センターには5年前から研修を依頼されており、今まで見積もり書の提出を求められたことはなく、何かおかしいなぁと思ったが、見積もり書提出なんて形式的なものだろうと深く考えることなしに前年と同じ金額を記して見積書を提出した。
 ところが、この研修センターから後日、一通の文書が送られてきて、そこには「本年度はお願いしません。お願いするのはW社であり、理由はそこが最低の見積もり価格であったからです」と書かれていた。
 ご丁寧にも、そのW社の見積もり価格が書かれており、私共より相当下回った価格である。価格以外のことは一切書いてない。
 私共の出した見積もり額は民間企業で行う時の3分の1ぐらいの価格であり、私の公共機関のお役に立ちたいという思いからそのような価格を出しており、その価格をはるかに下回る価格を出すとなると受注したW社がいったいどんな研修をやるのかと心配になって来た。W社がどんな会社か分からないし、講師を勤める方がどのようなキャリアの方なのかが分からないので何とも言えないが、ひょっとしたら安かろう、悪かろうという研修ではないかと考えてしまった。
 この研修センターの旧知の担当者に電話して「私はW社は知らないが、そちらではW社の研修内容を確認したのですか」と聞いた。担当者は「今井さんのところとほぼ同じ内容のものをやるという企画書が来ていますので大丈夫だと思います」と言う。「企画書はどのようにでも書けるし、この見積もり価格で私共がやっていたのと同等の研修をやれるかどうか心配です。本当に大丈夫ですか?」と言うと、「多少不確かな部分はありますが、財政状態が厳しい昨今、価格の安さが一番です」と言われてしまった。
 いまさら決定事項を覆すことはできないが、価格の安さだけで委嘱する研修会社を決めるのは、果たしてどんなものか考えざるを得ない。
 研修内容が企画書に書かれているとしても、具体的にどのようなものであるか、教える講師がどの程度のレベルの人か、受講者を引きつける魅力ある人であるかどうかは実際に受講してみなきゃ分からない。
 もちろん、自分達が受講しなくても、すでに導入済みのところがあればそこに確認するという方法はある。
 同研修センターから本年も 「見積書を出してほしい」とお話があり、昨年より少し金額を下げて出したものの、またもや私共は採用されなかった。先方からの通知書には前年同様、研修委託機関の名前と金額が明記されており、それだけを見ると、評価基準は価格だけであると思われる。
 通知文書を見ながら何か空しくなってきて、今後はたとえお誘いがあってもこの研修センターには見積もりを提出するのは止めようと思っている。

 自治体に限らず、業務をアウトソーシングするというスタイルが増えてきているが、委託先の選定に当たる担当者およびその責任者に申し上げたいことは、物事を決める際、価格は重要なファクターだが、価格だけで決めてよいものではなく、多面的、多角度から検討しないと、大きな間違いになるということである。
 価格は大事だが、それと同等、あるいはそれ以上に大事なものはないかを検討した上で、その上でどこにするかを考えた方がベターであり、さらにうまい話には時には落とし穴があることにも注意しなければいけない。
 価格の安さを売り物にするのは家電製品の販売では許されても、すべてについてそういった価格至上主義の考えが適用されると、とんでもないことになるのではないかと危惧する。
そのようなことから、我田引水になって恐縮だが、ぜひ多くの人に私が日頃、研修で伝えている多面的、多角度から考察して最適案を選択するという考え方を学んでいただき、それに沿ってどこがベストかを決めていただきたいものであると思っている。










posted by 今井繁之 at 17:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする